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第九話 芝浦のチェス盤

22時。芝浦、第四倉庫。

潮の匂いと錆びた鉄の匂いが混ざり合う中、俺は一人、中央の作業灯の下に立っていた。


「……時間通りだね、霧島くん」


背後の暗闇から、遠藤忠雄が姿を現した。彼は一人だった。だが、俺の能力は、倉庫のキャットウォーク(足場)の上に潜む二人の男から放たれる、どす黒い殺意の波動を捉えていた。スナイパーか、掃除屋か。


遠藤の口元からは、薄い**赤い靄**が立ち上っている。

「5億円は、準備ができている。……まずは、そのUSBを見せてもらおうか」


「赤い靄」が出た。つまり、送金する気など微塵もない。俺を殺してUSBを奪う。それが彼のプランAだ。


「遠藤さん。あなたほどの人が、そんな安い嘘を吐くとはがっかりです」

俺は左手に握ったデッドマンスイッチ(手を離すと作動する装置)を見せた。

「上に潜ませている連中に指を動かさせない方がいい。私がこのスイッチを離せば、全データが特捜部とメディアに自動送信されます」


遠藤の目が、氷のように冷たく細まる。

「……交渉のテーブルに就く資格はあるようだ。だが霧島。私は『神崎隆を飼い慣らしている』人間だ。そのデータが世に出れば、神崎は終わる。だが、私は新しいダミー会社に資産を移し、新しい『神崎』を作るだけだ。君が死んでも、私のダメージは最小限で済む」


**赤い靄は出ない。** こいつ、本気だ。一兆円企業のトップさえ、こいつにとっては「交換可能な部品」に過ぎないのだ。


「……そうですか。なら、プランBに移りましょう」

俺はわざとらしく、怯えたように後ずさりをした。

「5億円はいらない。その代わり、私を神崎コーポレーションの『直属の掃除屋』として雇え。私のような能力を持つ人間は、敵に回すより飼い慣らす方が効率的だ」


遠藤の顔に、「愉悦」の色が浮かんだ。

「ほう……命乞いの内容としては悪くない」


俺が差し出したUSBを、遠藤が受け取る。

彼は小型のタブレットにそれを差し込み、中身を確認した。

「……確かに、本物の裏帳簿だ」


遠藤が合図を送ると、キャットウォークの気配が消えた。

「いいだろう、霧島。君の度胸と能力は認める。今日から君は、私の……」


その時だった。俺のスマホがバイブレーションを刻んだ。

小日向颯が予言した「時間」ちょうどだ。

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