第51話『結末を示すコンパス』
「どうしよっかって……え? どういうこと日果? 考えてないの?」
「ハッピーエンドっていう方針までしか。具体的なエピソードについては水無月さんと一緒にこれからじっくり煮詰めようかと」
おい待て。今日は晴れてプロへの第一歩を踏み出す宣戦布告の場なんだぞ。
そんな場でクリエイターでも何でもないただの同級生に作品の結末を委ねるような醜態を見せてどうする。プロとしての素養を疑われるかもしれない。一度はやる気になってくれた書籍化の件もまたストップをかけられるかもしれない。
「あ、あの違うんです米原さんっ! この子はライブ感で仕上げる天才肌タイプなので、今はこんなですが最終的に必ず最高のラストを描くと思いますので!」
「現時点で具体的な結末が決まっていないからといって、拙速にそれを責めるつもりはありません」
焦りまくる瞳子に対し、米原さんは思いのほか冷静だった。
「実際、漫画家さんにもいろんなタイプがいますので。なんなら次話の展開も決めず、常に手元の原稿を面白くすることだけに100%集中するような方もいます」
「じゃあ、私も次話の原稿描きつつ水無月さんと相談してゆっくり決めます」
瞳子と違って、焦る様子もなく日果は呑気に宣言した。あまりにも神経が図太い。
「ええ、それで構いません。しかし」
重い口調で、米原さんは日果と瞳子を交互に見据えた。
「ライブ感で描きながら、それでも最後には綺麗に作品を纏められる漫画家さんは――結末を示すコンパスを己の中に備えています」
「コンパス?」
抽象的な喩えに日果が首を傾げるが、米原さんはすぐに続きを解説する。
「ええ。そのコンパスとは『自分が何を描きたいか』ということへの本質的な理解です。それさえ理解していれば、自然と結末はそうした『描きたい』展開へと収束していきます」
「自分の癖を自覚してるかどうか、っていうことですか……?」
「そう捉えてもいいでしょう」
言われてみて瞳子は腑に落ちる。
たとえばライブ執筆派として知られる漫画家の一人に、非常に多ジャンルの百合作品を描く先生がいる。現代恋愛・ファンタジー・ミステリ・SF・コメディなど非常に手広いシチュエーションの百合を描ける人なのだが――作品テーマは毎回決まって『人間の心を満たしてくれるのは意外にちっぽけなもの』というものだ。
以前読んだ作者インタビューで『同じジャンルで描くと完全に過去作の焼きまわしになっちゃうから、毎回ジャンルを変えて誤魔化しているんです』と謙遜しながら語っていた覚えがある。
もちろん、癖ではなく計算で作品ごとにテーマ設定をする漫画家さんも大勢いるだろう。しかし、『描きたいこと』が定まっていれば結末へ迷いなく進めるというのはなるほど一理あるように思う。
だが――
「大淀さんがこの作品を通じて、『描きたかったもの』というのは何ですか?」
「ええと、最初は『みんなに笑ってもらえる愉快なギャグ』で……」
「ですが、そこからシリアス百合へ路線変更したのですよね」
まるで日果がヘルプを求めるかのように、無言でつんつんとこちらの脇腹をつついてきた。そう、日果の胸中に百合作品としての『糖なく』を進める指針など存在しない。それらはすべて瞳子が後付けしたものなのだから。
「そ、そのあたりは私も協力したのでちょっと意見を。百合作品としての作品テーマは『二人の少女の間に芽生える愛』……より詳しくいえば『憎悪を越えて芽生える愛』だと思います。憎悪よりも、愛の方が強くて尊い感情なんだっていう感じのテーマ性というか……」
「なるほど。大淀さんの意見としては?」
「まさに私も水無月さんの意見そのままです。以心伝心の親友ですから」
瞳子が百合オタクとしての経験で捻りだしたテーマ性に、一瞬で日果がフリーライドしてくる。
「率直にいいテーマだと思います。本作がハッピーエンドを迎えれば、確かに読者の多くもそうしたメッセージを受け取ることでしょう」
米原さんの褒められ、瞳子はふうと胸をなでおろした。このテーマで問題ないなら、それをコンパスとして結末の展開を求めていけばいい。瞳子は物語を描くセンスがないので、正直そのコンパスから結末を探すという感覚があまりよく分からないが。
「……これまでのエピソードはどれも素晴らしい出来でした。大淀さんの漫画家としての実力には、デビュー前の新人ながら感心させられるものがあります」
と、そこで。米原さんが急に日果の腕前を賞賛した。
日果は素直に頬を掻いて「それほどでも」と照れる。だが瞳子は不穏な気配を感じた。
いきなり脈絡のない誉め言葉が始まるというのは、落とす前の事前フォローなのでは――?
「友人の助力を得つつとはいえ、ライブ感で描きながらここまでしっかりと作品を仕上げられるのは、既に大淀さんの内心には何かしらのコンパスが備わっているということなのでしょう」
「はいっ。それはもうさっきの『愛は憎悪よりも強し』的な……」
「本当にそう思いますか?」
ゆっくりと落ち着いた声で、しかしどこか尋問するかのように米原さんは問うた。
「失礼を承知で言わせてもらいますと、さきほどの流れは『大淀さんがテーマについて何も考えていなかったため、水無月さんが代弁してその後に乗っかった』という風に感じられてしまいました」
ごめんなさいまさにその通りです。
やはりあんな無理のあるフォローでプロの編集者を誤魔化せるわけはなかった。
「怒っているわけではありません。実際、さきほどの『憎悪を越える愛』というテーマも読者視点からすれば妥当なものだと思います。ですが」
米原さんは日果に対し、覚悟を問うような強い視線を向ける。
「他ならぬ作者として。本当にそのテーマこそが『この作品の本質だ!』と。その指針に従って結末を『描きたい!』と。心の底から思えますか?」
「はいっ!」
日果は何の躊躇いもなく、意気揚々と決意の拳を握った。
「だって、水無月さんが教えてくれたから。私はそれを信じて突き進むのみ!」
深刻そうな質問に対してこのあっけらかんとした返答は、米原さんも予想外だったのだろう。目を丸くして言葉を失っている。
しかし――瞳子の方はそこまでポジティブになれなかった。
(この子が本当に『描きたいこと』って、絶対『愛は憎悪に勝る』とかそんな情緒的なメッセージじゃないよね……)
米原さん曰く『これまでの出来は素晴らしいので、日果は既に何かしらコンパスを持っている』とのことだった。
それを瞳子が勝手にでっち上げたテーマに挿げ替えてしまっては、作品が根底から崩壊するかもしれない。
ならばどうするか。
友人として、共同制作者として。今ここでやるべきことは。
瞳子は反射的に椅子を蹴って立ち上がり、日果に向けて大きく宣言した。
「日果ごめんっ! さっきのテーマ、やっぱナシ! ちゃんと相談して解釈しなおそ!」
今やるべきは、日果が本当に『描きたいこと』を一緒に探すことだ。




