第50話『ノープラン』
「――なるほど。最低限の勉強でも十分に成果を出せるので、学業に支障が出ることはないと」
週末。日果と瞳子は冬桜出版に招聘されていた。
『作品の今後に関する重大な打ち合わせ』とのことで――要は書籍化についての意向確認である。
現状、日果はノリと勢いだけで商業の世界に突っ込もうとしている。米原さんはそこを危惧しているようだった。瞳子に「ぜひご一緒に」と声がかけられたのもストッパー役を期待されてのことだろう。
「はいっ。ノー勉でも中堅程度の大学は合格安全圏なので、このまま書籍化進めていきたいです」
「そうですか……ところで水無月さん。大淀さんの学業成績について、同級生としてのご意見は?」
「あー……地頭は本当にいいですこの子。ちょっと意外なくらい」
米原さんは浅く頷いて、眼鏡の弦をついと持ち上げた。
「そうであれば、学業に専念すればより上のランクの大学も視野に入れられるのでは?」
「いえいえ。私は水無月さんと一緒の大学に行く予定なので。そこまで上を目指すつもりは」
今こいつ、しれっと猛烈に失礼なこと言ったぞ。そりゃ瞳子の現状の成績だと中堅ランクの大学がせいぜいではあるが。
「あのさ日果。もしここから一年で私の学力が伸びて成績逆転する可能性とか考えないわけ? そうしたらノー勉で同じ大学に行くのは難しくなるけど」
「そしたら水無月さんが私の行けるランクの大学に合わせてくれるよね?」
「いや、えーと……」
なんてピュアな目で鬼畜な頼み事をしてくるのか。
『漫画』という職技を持っている日果と違って、瞳子は何の職業スキルもない凡人である。将来の就職のことを考えれば大学のランクは高ければ高いほどいい。それを平然と『私に合わせてくれるよね?』とは。責任取ってくれるのか? もしこちらが就活でコケたら養ってくれるのか?
「友人に合わせて自分の進路を決めるというのは感心しませんよ」
と、そこで。年長者らしい落ち着きをもって米原さんが日果を諫めた。
「あのー……米原さん。こう言ってはなんですが、こういう話は私よりも日果のご両親を交えてする方がよいのでは」
「大淀さんのご両親とは既に相談を済ませてあります」
「え、そうなの?」
瞳子が日果を振り向くと、彼女はこくりと頷いた。
「担当になってもらってすぐ、家族揃って編集部でいろいろ話し合ったんだ。で――私のお父さんもお母さんも、私が漫画の道に行くことは大賛成っていうスタンス。なんなら私以上に積極的」
「ええ。この業界ではなかなか珍しいことなのですが、大淀さんのご両親は学業よりもむしろ漫画を優先させたいという考えのようで」
まあ、その両親の思惑も理解はできる。
両親なら当然、日果のサイコパスっぷりに気付いていよう。性根はそこまで悪い子ではないにせよ、ノンデリアッパー系コミュ性というのは紛れもない事実。就職にも社会人生活にも苦労しそうな未来しか見えない。
ならばいっそ、特技を生かして漫画の道へ――というのはそう突飛な考えではない。実際、瞳子も日果には勤め人より漫画家の方がずっと向いていると思う。
「いくら才能があっても、面白い漫画を描いても、必ずしも売れるとは限りません。万が一にも夢破れたときのことを考えれば、保険として高い学歴を獲得しておくことの意義は大きいでしょう。それを犠牲にしてでも今、刊行を急ぎますか?」
「はいよろしくお願いします」
「すごい即答するわね……」
米原さんはかなり深刻そうな口ぶりで問いかけてきたのだが、何の躊躇いもなく答えた日果を見て苦笑しつつ溜息をついた。
「いや……これまでの親御さんを交えた話し合いでもう半ば分かっていましたが。本当に意思は固いようですね」
「むしろ米原さんはなんでそこまで慎重なんですか?」
「率直にいえばコンプラです」
日果の質問に、降参したように米原さんが白状する。
「一昔前なら、大淀さんくらい才能のある若者は早々にデビューさせてバリバリ腕を磨いてもらうという方針でした。しかし、軽々に十代でデビューさせて後に売れず終いだったとき、出版社はその子の人生に何の責任も取れませんからね。社の利益のため若者に『人生を全賭け』させるような真似は、昨今ではあまり推奨されるものではありません。やるならば、本人と保護者様の意思をしつこいほど慎重に確認しませんと」
ですが、と米原さんは力強く言葉を繋いだ。
「やると決めた以上は売りましょう。SNS上での勢いがある今のうちに出すことで部数も販促も若干強気にいける側面はあります。出版が最終確定するのは企画会議を通過してからとなりますが、既に編集部内での根回しは済んでいますので企画却下ということはまずありません。そこは安心してください」
「ありがとうございますっ!」
日果が諸手を挙げて歓喜した。リスクがある選択と分かってはいるが、瞳子もやっぱり嬉しい。発売されたら十冊は買おう。
「そして大淀さん。作中の時間経過やクーナの寿命からして、本作は数年がかりの長期連載という形にはならないかと思いますが、その認識で間違いありませんか?」
「あ、はい。今の掲載分でだいたいコミック1.5冊分くらいのページ数ですけど、だいたい全3巻くらいで完結かなと」
それは瞳子も少し前に聞いていた。ユキホの病み展開は、ハッピーエンドという山を迎える前の谷底というコンセプトだった。つまりこの修羅場を乗り越えれば、遠からず二人の物語は完結するのだ。
「では、完結までのロードマップは既に完成していますか? 展開に行き詰って刊行ペースが滞らないよう、細部の展開までは決めずとも大まかな流れだけは決めておいてください」
「はい。ユキホを病ませて、さらにクーナの体調も悪化させて、ここから一旦どん底の状況にした上で、急転直下のハッピーエンドを迎えさせる予定です」
「ハッピーエンドの形はどのような? 二人とも生存する形ですか? それとも死別は避けられずとも、互いが満足してそれを受け容れる形ですか?」
これまでどちらかといえば柔和な印象だった米原さんだが、日果の決意が揺るぎないと見て、プロの編集者としてギアを一段上げた気がする。
しかし、そういえば。病み展開を乗り越えた後のハッピーエンド案というのは瞳子も聞いていなかった。同棲提案だの茶番カツアゲだの書籍化だのいろいろあって掘り下げるのを忘れていた。
果たして、大淀日果こと漫画家【クレンザー祭】の描く二人のラストの姿とは――
「そこはどうしよっか、水無月さん?」
いきなりこちらにぶん投げられてきた。




