第49話『倫理の勉強をしよう』
「読者として言わせてもらうけど、ユキホが病んだら絶対にクーナは悲しむから」
中庭のベンチで開催されるのは、久方ぶりのキャラ感情の解釈談義である。
瞳子のエゴと言われてもこの一線は譲れない。ユキホに怒られて幼子のように泣いて縋っていた無垢なクーナが、いきなりユキホを病ませて喜ぶド畜生キャラに豹変しては読者がついていけなくなる。
「私も最初はそうだろうなと思ってたんだ。でも、リアルな感情の動きを知っちゃったから。大事な人が自分のことを想って苦しんでくれるのは、実はとっても嬉しいことなんだよ。新発見」
それはあなたがサイコパスだからです――とは言えない。
なんとか瞳子はそこには触れず軌道修正を試みる。
「あのね日果。程度ってものがあるでしょ? もしも私がユキホみたいに自殺を考えるくらい病んでしまったら、それを見ても嬉しいと思える?」
「あ、なるほど確かにそれはすっごく嫌」
よかった。そのあたりの常識的な倫理観は残っていた。
「私が辛そうにしてる姿を見て『嬉しい』とあなたが思えたのは、さっきの一連の流れがそもそも茶番っていう前提があったからよ。本当に洒落にならないくらい私が病んだら、それを楽しむなんてできないでしょ?」
「水無月さんの言うことには説得力があるなぁ……」
日果は弁当を一旦脇に置き、スマホのメモにいそいそと瞳子の言葉をメモしていく。その調子で人の心を身に着けて欲しい。
が、途中で日果はふとフリック入力の指を止めて、
「でもね水無月さん。命に危険があるくらい病まれちゃうのは嫌だけど、その原因が『私を大事に思って』のことなら、やっぱり心のどこかでちょっと嬉しくなっちゃうとは思うんだ」
「それでも、心配する気持ちの方が圧倒的に上回るでしょ? ならそれはノイズっていうことでいいの」
「うぅん。そっかぁ」
日果は遠い目で空を見上げて数秒ほど考えていたが、やがて頷いた。
「そうだね。クーナがユキホが病んでるのを見て無邪気に喜ぶのはなんだか違う気がしてきた」
「分かってくれたらいいの。だいたい、クーナはユキホの真意を知らないでしょ? 『復讐心と愛情の板挟みで病んでる』なんて事情を知らない以上、ただ普通に情緒不安定になっただけとしか見えないから。喜ぶ余地なんてないから」
「そっか。ユキホの秘めた復讐心なんて知らないもんねクーナ」
クーナの畜生化展開を阻止するためには本来、この箇所を指摘するのがもっとも手っ取り早かった。
しかし敢えてわざわざ倫理観方面の説得から入ったのは、日果の情操教育のためである。間違っても他人を病ませて喜ぶような癖を覚えさせないために。
「ありがとね水無月さん。私、新鮮な発見で浮かれちゃってたみたい。これからも私が暴走気味なときは遠慮せずブレーキお願い」
わりといつも暴走気味だとは思うが口には出さない。瞳子は軽く頷きながら、購買で先程買ってきたタマゴサンドを齧る。
日果の方もメモを終えたスマホを置いて弁当に戻ろうとしたが――
ポーン♪ と。
ベンチに置いたそばから、日果のスマホが通知音を出して震えた。
日果はすかさず拾って画面を確認し、それから猛烈な勢いでこちらを振り向く。
「米原さんから、今回のプロット一発OKだって!」
「おおっ! やったじゃん!」
二人で盛大に歓声を上げて喜ぶ。確かに今回のプロットは隙がなかった。ここから具体的に描くことになる病み描写も、瞳子が監修すればそうトンチキな出来にはなるまい。
「ん? まだ続きが……」
ひとしきり喜んだ後、日果がスマホを再び弄る。瞳子も横からそれを覗き込み、
「なんて書いてる? いい内容?」
「うんとね。大雑把にまとめると『そろそろコミックとして書籍化できるけどどうする?』って内容」
「本当っ!? ついに商業デビュー!?」
思わず瞳子はベンチから腰を浮かす。すごい。友人の描いた漫画が書店に並ぶのだ。もし刊行されたら二人で一緒に書店巡りをしよう。絶対に楽しいに違いない。
「あ、でも。米原さん個人としては『現時点での刊行はおすすめしません』って」
「え……どうして?」
「私が高二っていうのを気にしてるみたい。来年受験だから。このタイミングで商業デビューしちゃったら勉強まで手が回らなくなるって」
それは――至極もっともな意見である。
書籍化をするなら、連載だけでなく単行本作業という負担も上乗せされる。さらに何より「早く続刊を描かねばならない」というプレッシャーが芽生えることとなる。その状態で学業に身が入るかといえば、まず間違いなくノーである。
「だけど、せっかく本にできるチャンスがあるなら待てないよね。というわけで『そういうの気にしないんでコミック化よろしくお願いします』っと――」
「ちょい待ち! 軽すぎない!? 一度親とかに相談して決めてみたら!?」
「えぇ、だって」
日果はやや不満げに口を尖らせ、こう続けた。
「卒業した後も水無月さんと一緒にいられるか分からないから。今のうちに出版して、二人で一緒に書店巡りしたいんだもん」
「うっ……」
嬉しいこと言ってくれるなこいつ。ていうか発想同じじゃん。両想いかよ――と思ったがぐっとその感情を呑み込む。
ここはこの子の将来のためにも、敢えて厳しい意見を言ってやらねば。
「でも、将来に関わることなんだからもっと慎重に……」
「それに私。現時点でも授業中よく寝てるし宿題以外の勉強とかほとんどしてないけど、成績わりといい方だよ? こないだの試験も水無月さんより総合順位上だったし。勉強とかあんまり気にしなくてもよくない?」
瞳子はイラっとした。




