第5話『これはそういう物語』
水無月さん曰く「手伝いはするけど、校内で百合の話題は厳禁」ということだったので、必然的に打ち合わせは放課後ということになった。
授業中も休み時間も会話は一切なく、下校ギリギリの時間になってようやくスマホに一通のメッセージが届いた。
記念すべき水無月さんからの初メッセージに記されていた、放課後の合流場所は――
「うーん……」
「何その不満顔? お望み通り相談に乗ってあげるっていうのに、文句があるわけ?」
「もっとファミレスとかカフェでお菓子でも食べながら打ち合わせがよかったなって」
学校から少し離れた古い公民館の貸会議室である。
ペットボトルの水・お茶以外の飲食禁止。室内にあるのは机とパイプ椅子のみ。娯楽的な要素が皆無の無骨すぎる空間だ。
「そんなところで堂々と百合漫画の相談会して、クラスの誰かに見られたらどうするわけ。私が百合作品好きってことは絶対に秘密なんだから。個室は絶対条件」
「じゃあカラオケとかでも」
「高い。ここなら一時間120円」
一蹴されてしまった。そこまで圧倒的なコストパフォーマンスを示されたらもう反論できない。公共施設恐るべし。
「でも、どうしてそんなに隠したいの? 別にどんなジャンルの作品が好きでも、恥ずかしがることなんてないと思うよ。世の中みんな趣味はいろいろなんだから」
「まあ、それはそうなんだけど――」
水無月さんは机の上に頬杖をついた。
「うちの親、アニメとか漫画とかゲームについてまったく知識も興味もなくて」
「うんうん」
「GLとかBLとか百合とか薔薇とか、そういう略語的な表現をされてるジャンルをほぼ全部エロ漫画的なものだと誤解してるんだよね」
「え」
あまりにも乱雑な認識にびっくりする。まあ、私も百合についてあんまり知らなかったから人のことは言えないのかもしれないが。
「だから、もし私がGL趣味なんて知ったら血相変えて怒ってくるかもしんない。そういう面倒を避けるため秘密にしてるわけ」
「そんなのあんまりだよ。抗議しよう抗議! 私も一緒に行って説明するから!」
「いいってそんなの。余計なお世話」
「だって、親御さんがそんな誤解をしてるせいで好きなものを自由に楽しめないなんて」
ふっ、と水無月さんが鼻で笑った。
「別に? 自由に楽しんでるけど。私の部屋、百合系の小説とか漫画でびっしりだし」
「え。だってそんな部屋を親御さんが見たら怒るんじゃ……」
「言ったでしょ。うちの親はアニメとか漫画に興味ないって。私の部屋にある百合系作品を見ても、まさかそれが『百合』だなんて思わないの。たぶん『なんだか可愛い絵柄の女の子向け漫画』くらいに思ってるんじゃない」
とはいえ、と水無月さんが机をぺしんと叩く。
「雑な偏見を持ってるのは確かだから。くれぐれも『抗議』だの『説得』だの勝手に暴走しないで。かえって逆効果になって、私の部屋の本が勝手に処分されちゃうかもしれないから。そうなったら責任取れないでしょ?」
「う、うん……」
「有名作家さんのサイン入り初版本とか、再入手困難なやつも多いからね。絶対に絶対に絶対にうちの事情に口を出さないで。そんなことしたら二度とアドバイスもしてやらないから。いい?」
すごい剣幕で睨まれて、私はこくこくと頷いた。水無月さんの協力を失うのは困る。どうやら私はコミュ障らしいので、新たな協力者を探すのはたぶん難しいだろうし。
「分かったならよし。私の事情の詮索はこれで終わりね」
―――――――……
まあ、そんな事情は一から十まで真っ赤な嘘だけど。
一芝居を終えた水無月瞳子は心の中で舌を出した。
瞳子の両親はどちらかといえば漫画もアニメも好きな方だし、なんなら自室の蔵書の中には若き日の母が楽しんでいた百合小説なんかも混ざっている。
真の事情を隠すためとはいえ悪役にしてしまって申し訳ない。いつかちゃんと親孝行しよう。
本当の理由はもっとシンプルで――
創作上のみならず、現実においても瞳子が百合趣味ということである。
もっとストレートに『可愛い女の子が恋愛対象として大大大好き』と言ってもいい。
ついでにいえばだいぶムッツリ気質でもある。同級生の女子でよからぬ妄想をしたことも多々あるし、中学の修学旅行などは未だに思い出すだけで興奮する。『同じ班の女子たちみんなで布団をぎゅうぎゅうに寄せ合って恋バナ』なんてシチュエーションに与ったときは『ここが私の桃源郷かよ……』とそのまま昇天してしまった。一人だけ寝落ちしたと思われて事なきを得たが。
そんなムッツリ百合モンスターという本性がバレたら周囲の友人からドン引きされかねないので、少しでも疑われるような要素は極力隠すことにしているのだ。
万が一にも百合作品好きを公言して、親しい友人などから『え~。じゃあ瞳子って私たちのこともそういう目で見たりするわけ~?』なんて冗談で言われてみろ。
たぶん、瞳子はこんな反応をしてしまう。
『えっ、んっ、えっと。好きは、好きだけどっ! 友達として! うん! そういうんじゃなくて! でも好きは好き!』
おそらく、茹でタコみたいに耳まで真っ赤にしながらテンパる。終わりだ。
いつも口数少ないクールキャラぶっているのは、そういう悪ノリ冗談から身を守る防衛策でもあるのだ。
「――それじゃあ大淀さん。あなたの漫画『とある少女が復讐を果たすまでの話』について、今後の進め方を考えていきましょうか」
瞳子は落ち着いて本題を切り出す。
コミュ障ノンデリ魔人こと大淀日果に秘密がバレてしまったのは一生の不覚だが、まだ致命傷ではない。念入りに口止めはしたし、もし彼女が「水無月さんって現実でも女の子が好きなの?」的なノンデリ質問をしてきても「は? 創作と現実の区別もつかないのあなた?」と冷たく切り捨てることができる。
さすがの瞳子もあんなのにテンパるほど落ちぶれてはいない。
「あ、展開の前に相談なんだけど水無月さん」
「ん?」
「SNSだと『~~する話』っていうタイトルが読まれやすいからそうしてたんだけど、ちょっと今のままだと漠然としすぎてるかなって思うんだ。作品の中心になってるお料理要素とかが伝わらないし」
「まあ、そうかもしれないけど」
「だから頃合いを見てタイトルを変えようと思うんだけど、それってどうかな?」
瞳子はしばし考える。
読者が馴染んだタイトルを途中で変えるのはそれなりにリスクも伴う。正直、瞳子としては今のタイトルだって悪くないと思っている。だが――
「タイトルを変えるか否かは大淀さん、あなたが自分で判断して。私はあなたが提案したタイトルについて、気に入らなかったらダメ出しする。そういう形でどう?」
「それいいね! じゃあ参考までに、原題の『ポンコツユキホの復讐グルメ』はどう思う?」
「最低。感性を疑う」
日果はショックを受けたような顔になった。ちくしょうめ、ショックを受けたいのはこっちの方だというのに。
「うーん……じゃあタイトルは保留で。もう一個のタイトル案はさすがにダメだと自分で没にしちゃったやつだし」
「あなたが自分で没にするなんてどれだけ酷かったの……?」
「コメディを意識しすぎて、安直なネットミームに乗っかったパロディみたいなタイトルになっちゃって」
どうしてだろうか。臭いものを嗅ぐと、なぜかもう一度くらいは嗅いでみたくなることがある。そこまで酷いタイトルと言われるとなんだか興味が湧いてきた。
「……ちなみに、どんなタイトル?」
「ちょっと恥ずかしいけど『餓鬼は糖なく生きられない』ってタイトル。さすがにダメだよね」
ん?
瞳子は瞑目して作中設定を振り返る。
作中における生物兵器『餓鬼』――クーナは、基本的にエネルギーの大半を糖質に依存していた。
タンパク質や脂質は代謝の過程において肝臓や腎臓に負担をかける。一日に最低でも10,000キロカロリーを要する『餓鬼』がタンパク質・脂質を過剰摂取するとあっという間にそれらの内臓がダメになってしまう。
唯一、糖質だけはその異常強化された筋肉へグリコーゲンとして直接吸収されるため、消化器官に比較的負担を掛けずに済む――という設定だった。
だからユキホは米から水飴を作って、クーナに毎日与えていたのだ。
その甘い糖がなければ、彼女は死んでしまうから。
「……ちょっと待って。そのタイトルのどこがネットミームに乗っかってるの?」
悪くないと思う。「糖」というのは恋愛ジャンルで「愛」を暗喩するフレーズとして定番だから、食事的な糖と百合的な糖のダブルミーニングにもなる。
「ほら、メスガキわからせっていうネットミームあるよね?」
「あ?」
思わず瞳子の声が低くなる。
「クーナは女の子の『餓鬼』だからいわゆるメスガキとも言えるわけで。それが糖分もなければ生きられないほど弱い生き物ってユキホが分からせるわけだから、広義のメスガキわからせものと解釈できなくもないかなって」
「二度とその解釈しないで」
「うん分かった」
なぜだ創作の神様。なぜこんな奴の頭に、あんなに美しい少女たちの物語のアイデアを授けたのだ。もっと安定感のあるベテラン作家とかに授けて欲しかった。
「まあ……着想の背景は最悪だけど『餓鬼は糖なく生きられない』ってタイトル自体は悪くないと思う。変えたければ好きにすれば」
「うん。タイミング見ていつか変えようと思う」
瞳子は気を取り直して頭を振る。
過程は最悪でも、なぜか出力されるものには才能を感じるのだ。変な暴走さえ自分が止めれば、最終的には良作に仕上がるかもしれない。
「じゃあ、タイトルも解決したところで本編の今後について。ぶっちゃけると、素人の私がアイデア出しをしても陳腐なストーリーになるだけだと思う。だから基本的にはさっきのタイトルと同じように、私は感想を言うだけ。それを元にあなたが自分で展開を試行錯誤してみて」
原作尊重派の瞳子にとってはこれが最大の妥協だ。
「はい先生。さっそくお尋ねしたいことがっ」
そこで急に日果は生徒ぶった挙手をした。この子はたまにこういう変なボケをかまして教室の空気を冷やしている。
「何」
「暫定案として『俺たちの戦いはこれからだ』的なエンドはどうだろ?」
「どういうこと?」
「ユキホが復讐を諦めて、クーナと一緒に過ごす道を選んで、これからも二人の旅はまだ続く……で終わらせるやり方」
「ああ、そういう意味」
瞳子は顎に手を添えて一考する。
「ある意味で投げっぱなしではあるけど、少なくとも今朝あなたが言ってたご都合主義的に医療機関が生きてた……みたいな展開よりは無難だと思う」
「でも正直私これあんまり好きじゃないんだよね。打ち切りエンドみたいで」
「純粋に一読者としていえば、私もその結末は少し残念かも。この物語は二人が最終的にどういう結末を迎えるかっていうところで最大の山場が来ると思うから。そこを濁して終わるのは、不完全燃焼になっちゃいそう」
ただし、大炎上よりは不完全燃焼の方が遥かにマシである。
日果は机の上に突っ伏してうんうんと唸っている。
「んー……でも、ご都合エンドを抜かすと今はこれしか思い浮かばないんだよね。私、みんなが笑える明るいギャグを描きたいと思ってるから、ユキホかクーナが死んじゃうような悲しい結末は嫌だもん」
そこで「はっ!」と日果がこちらに目線を向ける。
「途中からゾンビもの要素も入れちゃって、二人ともなんか正気を保ったゾンビとして永遠に一緒にいられるエンドは」
「没。後付けでとんでもない設定をぶちこまないで。作品が壊れる」
「うーん……」
悩む日果に、瞳子はふぅと溜息をつく。
「そもそも、なんであんな悲しい設定がギャグになると思ったの? スタート地点からしてズレてると思うんだけど」
「饅頭怖いで喩えると」
「今朝も言ったけど無意味に喩えないで。ストレートに説明して」
すると日果は、本当に困惑した様子で首を傾げた。
「だって、嫌いな復讐相手のためにご飯を作ってあげるって的外れすぎておかしくない? 真剣に献立考えて、味付けにまでこだわって。そういうところがとってもお馬鹿可愛くて笑えると思う。本当に長期計画で苦しめたいなら、寄生虫の卵とか食事に混ぜ込んだ方がいいわけで」
なぜだろうか。きょとんとした顔で、ユキホの哀しい復讐を「とってもお馬鹿可愛い」と評する少女に――瞳子は妙な寒気を覚えた。
「ね……ねえ大淀さん。これはそういう安易な復讐じゃないでしょ? ユキホは唯一の肉親のお婆ちゃんを『餓鬼』の起こしたテロによって亡くしてるの。それと同じ『大事な人を失う悲しみ』を味わわせる復讐でしょ? 自分で描いた作品の設定を忘れてない?」
「大丈夫。覚えてるよ」
日果はえっへんと胸を張る。
「でもね、ユキホは最後に『お前みたいな化物。たった一人で餓えて死ね』って本心を明かしてから自殺するつもりって明かされてるでしょ? そこがユキホの復讐の下手くそなところでね。そんなネタばらししちゃったら、クーナの方も『ああ。この人は別に大事な人じゃなかったんだ』って安心しちゃうのに。復讐にならないのに」
瞳子はこれまで、クラスメイトの大淀日果を『空気の読めないノンデリ女子』と思っていた。
しかし、本当は違うのではないだろうか。
空気が読めないことも、デリカシーに欠けていることも、もっと大きな欠落の一側面に過ぎないのではないだろうか。
「ね、ねえ……本当にそう思う? クーナはユキホが目の前で自殺したとして、そんなにすぐ『実は大事な人じゃなかったのか~』なんて割り切れると思う?」
「そりゃあユキホが何も言わずに自殺したらすごく悲しむと思うけど……『飢えて死ね』なんて酷いこと言ってくる人には流石にね。ほら、クーナって敵には無邪気かつ残酷な側面を剥き出しにするキャラだから。野盗を平然と皆殺しにしたり」
「そ、その兵器みたいな子がユキホの愛のこもった食事で人間らしくなる物語でしょこれは!?」
「いや、そもそものコンセプトはギャグ漫画で。やっぱり饅頭怖いで喩えると――」
珍妙な喩え話は瞳子の耳に入ってこなかった。
たぶんそうだ。こいつはただのノンデリではない。
――サイコパスでは?
もちろん、サイコパスというのは特性の一つであって、それがただちに悪というわけではない。創作上では連続殺人鬼の代名詞のように語られるが、要は他人との感情共有が苦手というだけの特性だ。普通の人間と変わらず社会の中で平穏に生きているサイコパスも大勢いる。
それはそうと、やっぱり怖い。なんか異様に話が噛み合わない。いくらお気に入りの漫画のためとはいえ安請け合いをするんじゃなかった。
「――いい?」
瞳子は心臓の鼓動を抑えつつ、このヤバい奴に精一杯のコミュニケーションを試みる。
「絶対に。作者のあなたが否定しても、読者の私が断言する。もしユキホが復讐の言葉を告げてから自殺しても、クーナは絶対に悲しむし、なんなら後追いすると思う」
「そういうのが百合ジャンルでは定番なの?」
「ジャンルとかそういう話じゃなくて。自分のために温かい食事を作ってくれた人っていうのは、それだけ愛しいものなの。だからクーナは、ユキホに毛布をかけてあげたの」
しばらく日果は沈黙していたが、ややあってゆっくりと頷いた。
「そっか。私が思ってる以上にクーナはユキホが大好きだったんだ。だからみんな百合って言ってくれたんだね」
通じた。
瞳子は密かに胸を撫でおろす。察するのは苦手でも、言語化すれば良識というものがちゃんと伝わるようだ。だが、これ以上こいつと二人きりの空間にいるのはちょっとキツい。
「じゃあ、大事な気づきがあったみたいだから今日はこのくらいでいい?」
「え。まだ十分くらいしか経ってないのに。もっといろいろ話そ」
「せっかくキャラについて理解が深まったんでしょ? ここから余計な雑談でそれを霧散させちゃダメ。家に帰ってそのフィーリングですぐに作業。行き詰ったら相談のメッセージとか送って来てもいいから」
「えっ! メッセージやりとりしてくれるの!?」
日果は目を輝かせた。この様子を見るに今まで同級生とスマホでやり取りしたことがほぼないようだ。
瞳子もできれば距離を置きたい気分だが、作品の手伝いはすると約束してしまったのだ。対面での接触を避けつつ、メッセージ中心で相談に乗るとしよう。
「それなら分かった。家に帰って、いろいろ展開考えてみる!」
「はい頑張って」
「それからねっ」
できるだけ視線を合わせず見送ろうとしたが、いきなり日果が机の対面から回り込んで急接近してきた。
そしてその小さな両手で、瞳子の手をぎゅっと握った。
「ありがとう水無月さん! 私、ずっと一人で漫画を描いてきたから……こんなに嬉しくて楽しくて頼もしいの初めて! これからも、ずっとずっとよろしくね!」
彼女は満面の笑みで瞳子にそう言った。目尻に嬉し涙を浮かべて。
ぎゅうっと強くこちらの手を握りしめてから、日果は勢いよく「また明日!」と会議室を飛び出していく。よく見たら机の上には、会議室代の120円が置かれていた。
瞳子はしばらく、パイプ椅子に座ったまま動かなかった。
自分の腿をスカート越しに全力でつねり上げ、本能が妙な気を起こすのを阻もうとしていた。
(ダメだ……あんな化物みたいな子に変な気を起こしたら終わる……。あれだけはダメあれだけはダメ。だけど手は柔らかかったし笑顔はちょっと可愛……クッ! 正気に戻れ私!)
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これは『化物じみた少女』と『それに愛を教える少女』が、最後にどんな結末を迎えるか――
そういう、物語である。
ここまでが導入部となります!
次回以降も更新頑張りますので、引き続き応援いただけると嬉しいです!




