第44話『上げる前に落とす!』
今朝の体温は36度5分。あまりに脳が疲れすぎていたのか泥のように熟睡できた。おかげで身体は軽く、思考も極めてクリアである。
『もう治ったから今日は学校行く。心配してくれてありがと』
『了解。無理はしないでね』
起床してすぐ、日果とそんなメッセージを交わす。
ルームシェア提案への返答は口頭で伝えることにする。事務的な文面で『ルームシェアはナシ』なんて送ったら、微妙に棘のある雰囲気になってしまう。対面した上で『いくら仲のいい友人同士でもルームシェアって大変らしいよ? 近場に住むくらいにしておかない?』なんて丁寧に説得して断ろう。
しかし――口頭での説得には一抹の不安もある。
なんといっても日果は押しが強い。対面で話せばあちらの勢いに乗せられて、いつの間にかルームシェアを承諾する流れに持ち込まれるかもしれない。
そのリスクを考慮すればやはり一方的にメッセージで回答すべきなのだろうが、友人としてそれは誠意に欠ける。押し切られるリスクを覚悟の上で口頭での対話に挑もう。決して押し切られる展開を期待しているわけではない。
そんな決意を胸に秘めつつ、瞳子はいつもより30分ほど前倒しで学校に向かう。
言葉を尽くして日果に納得してもらうなら、話す時間は多めに確保しておいた方がいい。別に日果の反論タイムを踏まえて時間設定しているわけではない。決して押し切られる展開を期待しているわけではない。
ソワソワしながら教室の戸を開くが、まだクラスメイトの半分も揃っていなかった。まっさきに日果の席を見るが空席となっている。
「あ、おはよう瞳子! 風邪はもう大丈夫?」
「う、うん。一晩寝たらすっかり元気」
手を上げて声を掛けてきたのは葵である。クラスでもいわゆる一軍の位置にいる彼女は、朝から多くの友人たちと楽しそうに駄弁っていた。
「えーっと……日果はまだ来てないよね?」
「大淀さんならまだだよ。瞳子のことすっごく心配してた様子だったけど、連絡してあげた?」
「ああうん。ついさっき、もう大丈夫って送っといた」
「そっかそっか。ならよかった」
軽いやり取りを交わしてから瞳子は自席に着く。あまりにもくだらない事情での発熱だったのだが、そこまで心配させてしまったのは申し訳ない。
それから日果を待つ間、手持無沙汰の瞳子はなんとなくスマホを弄る。
『都内 賃貸 二人 相場』
『ルームシェア 間取り 快適』
『ルームシェア 1LDK 2K 比較』
『ルームシェア メリット デメリット』
『ルームシェア 物件 おすすめ』
下心ゆえの検索ではない。ルームシェアがメリットばかりのものではないと下調べして、日果への説得を有利に運ぶための下準備である。
(あ、この物件。築浅なのに割安かも。近くにスーパーも商店街もあるし、週末に二人で一緒に料理の作り置きとかしておいたら食費が安くできそう……?)
「おおっ。いいねこの物件、築浅なのに家賃がそんなに高くない」
「そうよね。駅からはちょっと遠いけど、商店街のアーケード内を通り抜けて帰れるから夜でも安心だし――」
無意識に返事をしていた瞳子は、そこでふと我に帰って顔を上げた。
日果が立っていた。
ルームシェア用物件の詳細情報が表示された瞳子のスマホ画面を、真向かいから興味津々にまじまじと眺めていた。
「ッ!??!!!!?!っ!!?!」
「ルームシェアの件、考えてくれたんだ?」
「あっ、いやっ! えっと! そのっ! 真剣に考えたは考えたけどっ!」
断ろう断らねば。しかし今、迂闊にもいい物件を見つけてしまっていた。どうしようここから説得するのは大変だぞ。下手したら押し切られてしまうかもしれないぞ。もう観念した方がいいかもしれないぞ、
「ごめんごめん。私もあれから少し考えたんだけど、お互いに具体的な志望校も何も決まってない現時点で決めるのは時期尚早だよね。早まっちゃった。卒業前に進路状況を見てから改めて相談しよ」
「えっ?」
全身を強張らせていた瞳子は一気に脱力する。
「それより水無月さんへのお見舞いにね。昨日の夜、頑張って次回案をまとめてきたんだ。ネームはまだだけど、文章で軽く要約してきたから読んでみてくれる?」
やけに日果があっさりルームシェアの件を保留してきたと思ったら、どうやら『糖なく』の次回案ができて、目線がそちらに移っているようだった。
安心したような、拍子抜けしたような、ちょっぴりガッカリしたような。
「今回はなんと、クーナから寄せられた好意にユキホからも好意を伝え返す内容になってるんだ。水無月さんにもきっと満足してもらえると思う」
「え、本当? ついにユキホも素直になるんだ……?」
「あ、違う違う。とりあえず一回読んでみて、どういう方針か分かるから」
「ん……?」
瞳子は眉を顰める。ユキホもクーナへ好意を伝えるということは、それは二人が晴れて両想いになるということではないのか。
「水無月さん。この作品は二人でハッピーエンドを迎える予定だよね?」
「ええ。そういう結末だけは先にもう決めたものね」
「じゃあ、まだ中盤くらいの現時点で二人が両想いハッピー状態になると、物語全体のメリハリに欠けるよね。私も漫画描いて長いから、そういう構成の緩急の付け方は理解してるんだ」
そこで日果はぐっと自信ありげに拳を握った。
「というわけで! ストーリーに深めの谷を作るべく、ここらでユキホには一旦重めに病んでもらおうかと!」
病み上がりの瞳子の前で、サイコパスは無邪気にその瞳を輝かせた。
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