第43話『蠱惑的なシチュエーション』
ルームシェア。
それは百合ジャンルにおいて定番かつ王道のシチュエーションである。
同性の気安さゆえに共同生活を開始し、そこから普通の「友人」を逸脱するほどに関係が深まり、やがて性を越えた愛が芽生え、とうとう最後には一線を越える――そんな作品を瞳子はこれまで数知れず嗜んできた。
越えるのか? 越えてしまうのか? 心のルームをシェアしてしまうのか?
(あれ………………私、今日何してたっけ……?)
深夜二時。自宅のベッドの中でギンギンに見開いた状態で、瞳子はふと我に帰った。
記憶は真っ白だったが、こめかみを押さえてなんとか脳味噌を再起動してみる。
(ううん……確か……)
断片的に思い出してきた。
朝一番に日果から衝撃提案を受けた後、HRと午前の授業を放心状態でやり過ごしたが――昼休みを迎えて、「一緒にお弁当食べよう!」と席に近づいてきた日果がなんだか妙に騒ぎだした気がする。
(私、あの子に変なこと言ってないよね……?)
そう不安に思いながら枕元のスマホを手に取ったら、日果から新着メッセージが届いていた。
『水無月さん、大丈夫? 熱が下がるまでゆっくり休んでね。健康第一だから』
その一文で記憶が蘇った。
瞳子が顔どころか首元まで真っ赤にして上の空になっていたので、日果が「水無月さん保健室行こう!!!」と騒いだのだ。
で、背中を押されるがままに保健室に行ったら実際に熱が出ていた。人間は感情のオーバーヒートで発熱できるらしい。そのまま保健室で放課後まで横になって、親が迎えに来て車で帰宅した――という流れだったはずだ。たぶん。
記憶がある以上、おそらく完全に意識を失っていたわけではない。オートパイロットみたいな状態で生返事くらいはしていたのだろう。でなければもっと大事になって病院送りになっていたはずだ。
(冷静になろう……。ルームシェアっていうのは本来健全な友人同士でやるものなんだから……。こんな感情でやっていいわけがない……。毅然とした態度で断ろう……)
そう誓って枕に顔を埋めた瞳子は、しかし五秒後にベッドから夢遊病のごとく立ち上がって本棚に向かった。取り出すはルームシェアものの百合漫画。主人公とヒロインが懊悩の果てに友人関係を越え、勢いのままに唇を重ねてベッドに倒れ込む、この作品の大トロともいえる名シーン――
「んうおぉぁっつっぉぁぁっ!」
無意識の間に手にしていた単行本を瞳子はベッドに叩きつけた。何を期待している。予習でもするつもりか。そんな卑しい思考はしていない。どういう流れで押し倒せばいいかイメトレしていたわけじゃない絶対に。
(寝よう。そして明日しっかり断ろう……)
欲望に負けないよう、布団にくるまって目を閉じながら断り文句をシミュレーションしてみる。
明日の朝一番、日果に「昨日は心配してくれてありがとう」とお礼を言ってからこう繋げるのだ――……
瞳子「ところで日果。昨日言ってたルームシェアの件なんだけど?」
日果「うんうん、前向きに考えてくれた?」
瞳子「生活習慣の違いとかあるし、二人で一緒に住むっていうのはあれこれ大変なことも多いと思うんだ。やっぱりやめておいた方が……」
日果「でも家賃は割安に済むし、自炊も二人分一緒に作ればお得だよね。何より漫画の制作相談がいつでもできるし。デメリット以上にメリットが大きいと思わない?」
瞳子「それは分かるけど、もし同居の中で大喧嘩とかしちゃって日果と険悪になるのは嫌だし……」
日果「ちょっとした喧嘩とかはあるかもだけど、私は何があっても水無月さんのこと大好きだよ。水無月さんは?」
瞳子「わ、私も日果のことは大好きだけど……」
日果「じゃあ問題ないよね? 日常の些細な障害も二人の関係のスパイスだよ」
瞳子「そっか……そうだよね日果。どんなトラブルがあっても、私たちならきっとハッピーエンドを迎えられるよね……」
日果「うん、一緒に幸せになろうね水無月さん」
瞳子「じゃ、ベッド行こうか日果……」
「んうおおぁぉぁぉおぁぉあっ―――――――――――!!!!!」
微睡みかけた意識が一瞬で覚醒して、夏布団を吹っ飛ばしながら瞳子は吠えた。
シミュレーションのつもりが、眠気と相まって都合のいいアホ妄想になっていた。ヤバい。明日、日果と目を合わせられる気がしない。
(とにかく断ろう。絶対断ろう。よからぬ妄想なんて絶対やめにしよう)
そうして瞳子は修行僧のごとく心を無にして、ひたすら朝が来るのを待った。
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