第40話『援護射撃』
焦りまくった瞳子は必死で日果に背を向ける。
「な、なに考えてんのいきなり脱ぐとか!」
「え。別によくない? いつも体育の着替えとか同じ更衣室で着替えてるじゃん」
「それはそうだけどっ!」
そういう場面でいつも瞳子は床や壁に視線を向けるようにしている。決してクラスメイトたちを邪な目で見るまいと。中学の修学旅行のときも、入浴時はずっと浴場のタイルだけに意識を集中していた。
普段からそんな涙ぐましい努力をしている瞳子にとって、日果の突発的な脱衣はあまりにも爆弾が過ぎた。
「そ、そう。マナーの問題よ。人の着替えとかはあんまり見るものじゃないでしょ。とりあえず私は部屋出ておくから」
「別に気にしなくていいけどなぁ」
「こっちが気にするの」
そう言って瞳子は部屋を出て後ろ手に扉を閉じる。そして死ぬほど長い溜息をついて天を仰いだ。あんちくしょう、人の気も知らずに。こっちの自制心が弱かったら危ないところだったぞ。
それにまだ油断はできない。果たして部屋着とはどんな格好だろうか。不覚にもちょっとドキドキしてしまっている自分がいる。可愛い系なのかあるいはだらしない系なのか、どちらを拝めるにしても瞳子としては美味しいわけで、
「お待たせ」
そこで扉が内側から開かれ、瞳子は「ぴゃっ!」と声を上げて跳びはねる。
着替えた日果の姿はといえば、
「やっぱり家の中ではこれが一番。着心地いいし動きやすいし」
初回のリモート作業のときに見た、中学時代の体操着だった。
担当編集が付いてからはリモート作業時にもまともな服装をするようになったので、見るのはこれが二度目だ。
正直、なんだか妙にフェチ心をくすぐられるものがある。
体操着なんか学校で見慣れているし、体育のときに見る分には何も思わないのに。
なぜだろう。中学時代の代物で少しサイズが小さいために、二の腕や太腿の露出が比較的多めになっているからだろうか。それとも着古した襟首あたりの生地が緩くなっていてちょっと鎖骨が見えるあたりが――やめろ何を変態じみた分析をしている冷静になれ。
「――よし日果! さっさと投稿しよう!」
瞳子はこんがらがった思考を放棄し、今日の本題に移ることにした。
なんせ三か月以上も読者を待たせていたのだ。こんな無駄なやり取りで時間を浪費するわけにはいかない。一刻も早く更新せねば。
「うん、分かった」
日果がデスクの前に立ち、スリープ状態のパソコンを立ち上げる。
既にブラウザ上にSNSの画面が表示されており、投稿ボタンを押すだけで最新話がアップ可能な状況になっていた。
「ハイ更新」
カチリ、と。
日果はまったく躊躇いなく投稿を完了した。一瞬遅れて瞳子は手を組み合わせて祈る。どうか読者よ戻って来てくれ、と。
「よぉし。じゃあ後はピザ頼んでエゴサしながら夕方までエンジョイしよう!」
日果はまったく不安そうな様子もなく、スマホからピザをアプリで注文している。
自信に満ち溢れたその振る舞いにはどこか大物感すら覚える。もしかしたら瞳子の心配は杞憂で、あっという間にSNS上に絶賛の感想が満ち溢れるのかもしれない。
――と、希望を抱いたのは僅かな間だった。
「……伸びないね」
「ま、まだまだ! 土曜の真昼間だし、みんな外出とかしててあんまりスマホ見てないのよたぶん!」
投稿してからおよそ一時間。
拡散ペースは驚くほどに緩やかだった。「待ってました!」「久しぶりの『糖なく』!」などと更新を喜ぶ感想はいくつか寄せられたが、そうしたコメントが付くペースは数分に一件ほどだ。日果曰く、最初にバズったときは数秒刻みで感想がラッシュのごとく書き込まれてきたというから、今の過疎っぷりが際立つ。
二人ともスマホと睨めっこしてばかりで、せっかく届いたお高めなピザも全然手を付けられていない。
「おかしいなあ。ちゃんと面白かったよね?」
「ええ。絶対に面白かったのは私が保証する」
日果が首を傾げながら尋ねてきたので、瞳子は力強く宣言した。
クーナというキャラに湿度高めの独占欲が芽生えたことで、『餓鬼は糖なく生きられない』は百合作品として一段の深化を遂げた。これが百合を期待していた読者たちに刺さらないわけはない。
「これはあくまでSNSの仕様の問題。長いこと更新されてなかったから、表示の優先度が低くなっちゃってるの。みんな、じきに気付くはずだから大丈夫!」
「う~ん。捨て身の覚悟で学生証とかアップしたら盛り上がって注目度上がるかな?」
「個人情報の切り売りとか追い詰められた限界配信者がやることよ。周囲にも迷惑かかるんだからそんな自爆戦法は却下」
と、そのとき。
再びスマホに目を向けた日果が「わっ」と驚くような声を発した。
「どうしたの?」
「なんか、急に通知がどっと来てる。目を離してた間に30件くらい高評価が」
「お! やったじゃん! きっと優先度が戻ったんだよ!」
「それが……最新話じゃなくて、なぜか第一話の方が伸びてるの」
「第一話?」
スマホでは小さくて見づらいので、二人とも立ち上がってデスクのパソコンに向かった。なぜ第一話が急に伸び始めたのか、通知欄を遡ってみると、
「あっ」
「あ」
そこには一枚のファンアートがあった。
第一話の投稿を引用する形で。『今、個人的にキテる作品です』と短い紹介文を添えて。
小さな川のほとりで、足を流水に浸して涼んでいるユキホ。その膝に頭を載せてうたた寝をしているクーナ。そんな二人の姿が――えげつない画力で描かれていた。
モノクロイラストなのに、小川の水面が光り輝いて見える。そこに映った青空の色がありありと目に浮かぶ。
その水の表現の個性だけで、投稿者名を見るまでもなく誰か分かった。
「三葉先生だ!」
日果が手を挙げて快哉を叫ぶ。さすがにフォロワー30万人越えのトップクラス百合作家は格が違った。たった一枚のファンアートで、みるみるうちに新規の読者が流入してくる。
さらに、最新話の拡散も連動して勢いを増した。一度離れていた読者がファンアートをきっかけにまた戻って来たのだ。
あの人、なかなかどうして粋なことをしてくれるじゃないか――瞳子がそう感極まっていたら、
~~♪ ~~♪ ~~♪ ~~♪
デスクに置いていた日果のスマホが震えた。着信画面には『三葉わん』とある。
同時に瞳子の表情が鋭くなる。
「日果。あの人に電話番号教えたの?」
「あ、うん。前に車出してもらったときに住所とか電話番号とか一通り」
「さっきも言ったけど、個人情報の扱いには気を付けて。世の中には怪しい大人とかいるから」
そう言って瞳子はスピーカー状態で通話を受ける。
『やっほ~! 日果ちゃ~ん! 頼れる先輩の和子お姉ちゃんですよ~! そろそろ気づいた? 気づいちゃいました? お姉ちゃんからのプ・レ・ゼ・ン・ト!』
瞳子は通話を終了した。
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