第37話『決して得るものなくはなく』
そして迎えた文化祭当日。
拒否権があるわけもなく日果と朝から校内を巡る中で、
「キスとかした方がいいかな?」
出し物の喫茶店で一緒にケーキを食べていたらいきなり日果がとんでもない発言をしたので、瞳子はフォークをガシャンと皿に落としてしまった。
「……は?」
「今回のネームで一気に百合作品っぽくなったって米原さんも言ってたでしょ? だからここで一気に百合要素を濃厚にすべくキス展開とか入れた方がいいかなって」
心臓が止まるかと思った。驚かせやがって。作品の内容の話か。
瞳子は大仰に両腕でバツ印を作る。
「ナシ。安直なサービス展開はかえって醒めるだけよ。読者に媚び売ってるのが見え見えなキスなんて愚の骨頂。だいたい……今のクーナの感情はただの独占欲でしょ? まだキスなんてそんな恋愛感情じゃ……」
「でも私なりに調べてみたんだけど、マーキングとしてのキスってあるらしいよ」
「マーキング」
思わず瞳子は息を呑んで迫真の真顔になる。
「そうそう。首筋とかに思いっきり吸い付いて唇の跡をつけるやつ。今のクーナならマーキングキスの概念を知ったらそのくらいやると思う」
――やるのか?
――やってくれるのか?
瞳子はテーブルの下で自分の腿をつねった。落ち着けこれは漫画の話だ。間違っても現実と混同するな。
「いい、日果?」
「うんうん」
「読者にもね、心の準備っていうものがあるの。たとえクーナがユキホに対してそれくらい強火の独占欲を抱いてるとしても、いきなりマーキングキスなんてハイレベルな所業に及ばれたら情緒の処理が追い付かないから。脳内に宇宙が広がるから」
「じゃあ、徐々に慣らしていけばいいんだ?」
「それは……うん……まあ……」
どうしよう。いつか自分は慣らされてしまうんだろうか。
現状でもそこそこ慣らされてしまっている気がしなくもないが。
「……あ、ごめん。そろそろ呼び込みの当番になりそう」
そこで瞳子は喫茶店――もとい教室の時計を見上げた。
クラスのメンバーは当番制で客の呼び込みや脱出ゲームの運営スタッフをやる決まりだ。瞳子も今日の午前中に30分ほど割り当てられていたが、
「じゃあ私も一緒にやる」
「えっと……日果の当番は午後でしょ?」
「それでも一緒にやる。だから水無月さんも私の当番のとき一緒にやろうね」
逃げ場がない。ネームの自己分析を経て瞳子への独占欲に目覚めたか、日果のひっつき虫っぷりは容赦ないものとなっていた。最近の学校では授業中以外、ほとんど手の届く範囲内でチョコマカしている。このままでは瞳子の自制心が危うい。日果の前でわざと襟元を緩くして首元を晒すような誘い受け行為をしてしまいそうだ。
「あー…………そういえば、三葉先生は?」
「残念だけど急なカラーイラストのお仕事が入って来られなくなっちゃって」
瞳子は頭を抱えた。
ちくしょう。あのモンスターが来てくれれば日果の興味を一時的にそちらへ誘導できたかもしれないのに。来訪を妨害したのは失策だった。
「……じゃ、教室戻ろうか」
「うん」
しょうがないと溜息をついて、お代の食券を払って喫茶店を後にする。
クラスに着いて呼び込み看板を前当番の子から受け取り引継ぎを完了する。ちなみに、看板に描かれた恐ろしげな教室のイラストも日果の手によるものだ。
とりあえず30分間の職務を果たそうと、瞳子が看板を掲げて廊下に繰り出すと――
「2年3組、脱出ゲーム風お化け屋敷『開かずの間』大好評開催中でーす! ぜひみなさん、奮ってお立ち寄りくださーい!」
日果がびっくりするほどの勢いで廊下に向けて呼び込みの大声を上げた。
瞳子は目を丸くする。文化祭そのものには乗り気でなかったのでは。
「さ、声出していこう水無月さん。たった30分なんだし短距離走の気分で」
「う、うん……? 日果、そんなにやる気あったの……?」
コスパが悪いとか準備が面倒とか、そんな本音を散々に垂れ流していたと思うが。
「面倒だったけど、これだけ時間かけて頑張ったんだもん。最優秀クラス賞くらいはもらわないと損。実際、いい出し物ができたんだから」
そう言われて、瞳子は苦笑した。
そういえば最新のネームのクーナもそうだった。『ユキホに近づけないため』という理由で幼い少女と遊んでいたが、実は内心でそこそこ本人も楽しんでいたのだった。物資の使い込みでユキホに怒られることを承知で、別れ際の少女へこっそり石鹸をプレゼントしてあげるくらいには。
「――そっか。じゃあ、声出してこっか!」
それからの30分間。瞳子と日果は目一杯に文化祭を満喫した。
読んでくださってありがとうございます!
感想・ブクマ・☆評価などで応援いただけると執筆の励みになります!




