第3話『探せ有識者』
翌日。
満を持して登校した朝の教室で、私はじろじろとクラスメイトたちを見回す。
さて、まずは誰に話しかけるべきか。
うちの学校に漫研的な部活はない。もしあったとしても、誰がどの部活に所属しているかという個人情報を私はあまり知らない。ピンポイントで漫画好きを探し出すのは難しい。
ならばやはり全般的に博識と評判の学級委員長さんにするか。それとも出席番号順に回っていくか。
「あ、そうだ」
私はぽんと掌に拳を打つ。
図書委員さんがいるじゃないか。たぶん本が好きな人がやっているはずだ。百合の知識がある可能性は他の人よりも高い。
私は機敏に席を立って、クラス前方の壁に貼られた委員リストを確認する。一発目で有識者を引き当てられるといいのだが――
ふわり、と。
私のすぐ背後を香しい風が通り過ぎた。
私はくんと鼻を鳴らして振り返る。ちょうど、長い黒髪をなびかせた生徒が通り過ぎていくところだった。
私はその場でもう一度深呼吸して、ある発見に至る。
(そっか。昨日の嗅いだ匂いってこれだ。教室でたまに漂ってくるいい香り)
ということは、もしや。
私は委員リストの確認を放り出して、じっと長髪の子を凝視する。話したことはないが名前は覚えている。水無月瞳子さん。クラス分け直後の自己紹介のときから、古風でなんだかかっこいいフルネームだと思っていたのだ。
私は水無月さんを見つめたまま、一歩ずつ彼女の席へと近づいていく。
水無月さんは黙々と通学鞄の荷物を机に移している。が、なんだか私が近づくにつれて動きがぎこちなくなっていく気がする。
「ねっ、水無月さん」
「……何? 忙しいから、手短にお願い」
一限目の予習とばかりに教科書を広げ始める水無月さん。本当に忙しそうなので、私は手短に本題を告げる。
「昨日、本屋さんにいなかった? 街中の大っきい『ブックス百景』ってとこ」
「行ってない」
「えぇ嘘っ。絶対に水無月さんだと思ったのに。あのねあのね、昨日そこの本屋さんで、水無月さんそっくりの匂いの人がいたんだよ。すごく熱心にガールズラ」
次の瞬間、私は勢いよく右手を引っ張られて廊下に連れ出されていた。物凄い瞬発力だった。そういえば水無月さんは体育の授業でも活躍していた。
「……そのことは絶対に他言しないで」
人気のない非常階段に着くと、水無月さんは私の両肩を鷲掴みにしてそう言ってきた。
「『そのこと』?」
「私がガールズラブコーナーにいたって話」
「あ、やっぱり水無月さんだったんだ。そうだよ絶対間違いないって思ったもん」
「絶対に誰にも言わないで。いい?」
やたらと真剣な表情だったので、私はすぐ頷く。
「うん分かった。誰にも言わないよっ!」
「とんでもなく不安……」
水無月さんが溜息をついて眉間をつまんだ。それから、思い出したように財布を取り出して千円札を何枚かつまみ出す。
「これ、口止め料。受け取って」
「え。いやそんなお金なんて」
「いいから。このくらいプレッシャーかけておかないと、あなた口滑らせそうだから」
押し付けられる現金を私は必死に拒絶する。クラスメイトから何の謂れもなくお金を受け取るなんてとんでもない。そんな不義理をしてはしばらく申し訳なくて眠れない。
しかし水無月さんの圧が異様に強い。このままでは押し切られてしまう。
「……そ、そうだっ。口止め料の代わりにお願いしたいことがあって」
そこで私はふいに本題を思い出した。そうだった。水無月さんにお願いしたいことがあって話しかけたのではないか。
「お願い……?」
「うん。ガールズラブというか百合というか、そういうジャンルについて詳しく教えてほしくって」
水無月さんはぐしゃっと髪を掻いた。だいぶ嫌そうに表情を歪めたが、やがて肩を竦める。
「まあ、それで絶対に黙っててくれるなら。だけど……そんなの、今時ネットを見ればいくらでも分かるでしょ?」
「それが『百合 定義』とかで検索しても人によって言うことが結構バラバラで」
「まあ、そのあたり議論があるのは確かだけど。そんなに定義だの何だの杓子定規に考えなくて、もっと気楽に楽しめば?」
「えっと、読者として楽しみたいわけじゃなくて」
私はスマホを取り出して、SNSにアップした自分の漫画『とある少女が復讐を果たすまでの話』を表示する。
「読んでみて欲しいんだけど、この漫画って『百合』かな?」
「ん……これ、最近ネットで話題になったやつだよね。知ってる」
いちいちこの場で読んでもらうまでもなく、水無月さんは既に全編を把握していた。何気にかなり嬉しい。いや、かなりどころではなく、高校に入学してからの校内の出来事で一番嬉しかったかもしれない。
そして水無月さんはこう続けた。
「そうね。あくまで私の意見だけど、これはまず間違いなく作者さんも『百合』を想定して描いた作品だと思う」
「キスとか告白とかしてないのに?」
「百合って別に必ずしもそういう描写が必須なわけじゃないから。もちろん人によって定義に差はあるけど――少なくともこの作品の二人の女の子の間に芽生える『愛』がテーマになってるでしょ? それが恋愛的な愛か、それとも家族的な愛かはまだ分からないし、どちらも両立した形の愛かもしれないけど」
「ほぅ……」
有識者の意見に私は圧倒される。なんて頼もしいのだ。もしいつか自分で作品解説をする機会があったらそのまま引用させてもらおう。
「もちろん、私がこんな風に長々とGL語りしたことも他言無用だからね。私にこういう趣味があるってことは絶対に漏らさないこと。いい?」
私は感心と敬意を込めて何度も頷く。水無月さんはまた深々と溜息をつく。
「で、この作品がどうしたわけ?」
「実はこれ、私が描いた作品で」
「はい? なにその変な冗談」
「冗談じゃないよ。ほらここ」
私はスマホをいじってSNSのアカウント画面を表示する。紛れもなく『とある少女が復讐を果たすまでの話』作者である【クレンザー祭】のアカウントにログイン中と表示されている。
水無月さんは目を擦った。
スマホに顔をよく近づけて、もう一度目を擦った。信じがたいとばかりに自分の頬までつねり始めた。
「は……はっ!? あなたみたいな空気読解力ゼロのノンデリ魔人が、こんなに情緒的な作品を!?」
このとき私は初めて、周囲から自分がどう思われていたか知った。
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