第2話『百合、まったく分からん』
不毛なエゴサに終止符を打ち、私は街中の大型書店『ブックス百景』へと自転車を走らせた。
確かフロアの一角にGLのコーナーが設けられていたと思う。寄ったことはないが、ときおり視界の片隅には入っていた。
(百合ジャンルに詳しい友達がいれば、いろいろ直接聞いてみたかったんだけどなぁ)
残念ながら私には相談話ができるような親しい友人が多くない。というか一人もいない。お喋りは好きだし、人見知りもしないし、明るい性格だと自負しているのだが、なぜかあまり交友関係が広がらないのだ。運とか巡り合わせの問題だろうか。
まあ、そのおかげで漫画を描く時間が十分に確保できているから、それはそれで悪くない。
(えーっと……確かあっちの方だっけ)
書店に着いた私は、記憶を辿ってGLコーナーに向かう。
普段は少年漫画コーナーを中心にうろついていたので、いつもと違う書店の巡り方をするのはどこか新鮮な気分だった。たまにはこういう新規開拓もいいかもしれない。
(お、あそこだ)
GLとプレートの付いた書棚が三台ほど並んでいる。
少年漫画コーナーに比べると流石に狭いが、それでもかなりの冊数がある。勢いのままに飛び出してくるのではなく、事前に人気作品とかをネットで調べてくればよかった。
今からスマホで調べるのは通信量が少しもったいない。先週から学校なんかの出先でエゴサをしすぎてゴリゴリとデータ残量が減っているのだ。
「すいませんそこのお客さんっ。この中でおすすめの作品とかありますか?」
なので、私は一番手っ取り早い手段に出た。
GLコーナーの本棚をじぃぃぃっと眺めていた別のお客さんに声をかけて、良作を紹介してもらうことにしたのだ。
フード付きのジャージにマスク、そしてサングラス。夜道で出会ったらちょっと警戒するぐらいには不審者っぽい風体だが、ここは昼間の書店だ。それに、あそこまで真剣に漫画を吟味していた人が悪人なわけないと思う。
不審者っぽい人は私の接近に「ビクッ!」と慄くと――フードを目深に被り直して、通路の方へと身を翻した。
「あ、あれっ? すいませんちょっと?」
「……」
「おすすめを紹介して欲しいんですけど……」
呼び止めてみるが、不審者さんは沈黙のまま足早に去っていく。
気難しい人なのだろうか。もしくは極度にシャイなのだろうか――ん?
ふわり、と。
すれ違いざまに流れてきた風が、えらくフローラルな香りだった。
シャンプーの残り香のような。身だしなみに気を遣っている女の子から漂う感じの匂いだ。もしかすると、不審者さんは女性だったのかもしれない。背丈もそこまで高くなかったし。
しかし、どこかで嗅ぎ覚えのあるような……
(まあいっか)
今は匂いなんかを気にしている場合ではない。私の漫画を待つ大勢の読者たちのためにも、百合なるジャンルを極めなければ。
「すいません店員さん。ここのGLジャンルの人気作品ってどれか分かりますか?」
近くで台車を押していた白髪交じりのおじさん店員を呼び止めて尋ねてみる。
愛好家のお客さんに聞きたいところだったが、店員さんもプロだ。きっといい作品を紹介してくれるに違いない。
おじさんは「少々お待ちください」とお辞儀し、台車を通路脇に停めてGLの棚へ歩いてきた。
「この棚での人気作品ということでよろしいですか?」
「ですです」
「そうですね……基本的には、最前列で多く積んでいるものほどよく売れています。たとえばこちらの作品など」
おじさんは棚の最前列で平積みにされていた『私の心を二度も殺すな』という漫画を指差した。帯には『アニメ化決定!』と書かれているので、確かに人気作品で間違いなさそうだ。
それにしても、表紙のイラストが異様に綺麗な作品だった。
1巻の表紙は「プール底に沈んだ水着姿の少女と、プールに足を浸してそれをじっと眺める制服姿の少女」の構図で、なんといっても水の透明感の描写が凄まじい。自分にはここまでの画力はない。さすがプロ。
最新刊らしい8巻の表紙は、夜のプールサイドで一人だけ立っている制服姿の少女。プールの水面に反射している月の描写がこれまた美しい。もうこの綺麗さだけでも画集として買う価値があると判断。
「ありがとうございます店員さん。では、これ買わせていただきますっ!」
とりあえず、今日はこの『私の心を二度も殺すな』既刊すべてを買って帰ることにした。
一冊あたり900円前後はしたのでなかなかの出費ではあるが、両親は私が漫画を描くことをやたら積極的に応援してくれている。バズった翌日なんかはお寿司に連れて行ってくれたほどだ。たぶん必要資料だと言ったらお小遣いを補填してくれるんじゃないかと思う。
そして、帰宅後さっそく部屋にこもって一気に読み終えた感想だが――
「んん……? これが、百合……?」
おかしい。百合というのは『女の子同士が恋愛する話』というジャンルのはずだ。それくらいは私も知っている。
だが、少なくともこの『私の心を二度も殺すな』の中で、メインキャラの少女二人は互いに告白もしていないしキスもしていない。それどころか手を繋いだりもしていない。なんならバチバチしている場面の方が多かった。
あらすじはこうだ。
主人公の少女は競泳選手として将来を期待されていたが、ある大会で『本物の天才』の実力を見せつけられ、選手としての道を諦める。
後に主人公は高校で件の天才少女と再会するが、なんと天才少女はイップスによって息継ぎもできないカナヅチと化していた。それが許せない主人公は、彼女を選手として再起させるべく奮闘する――という感じである。
圧倒的な画力と繊細な心理描写で作中に呑み込まれ、素晴らしく面白い読書体験だったが、個人的には「競泳を題材にした青春スポーツもの」という印象を受けた。
主人公の少女は、自分を挫折させた天才少女にめちゃくちゃ執着していたし、嫉妬とか憧憬とか憤怒とか友情とかいろんな感情を抱いていたが、あれはラブ的な感情ではないと思う。
しかし、ネットで感想を検索してみたら読者の大半はこれを『百合作品』として賞賛している。
分からん、まったく分からん。これはやはり誰か有識者の解説が欲しい。
「よしっ。こうなったら明日、クラスのみんなに片っ端から聞いてみよう!」
友達はいないが、クラスメイトに話しかけるのを躊躇う私ではない。なんせコミュ力にはとても自信があるのだ。
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