第22話『二人でこれから少しずつ』
「おはよう水無月さんっ!」
持ち込み翌日の月曜日。
瞳子が朝の教室の扉を開くなり、待ってましたとばかりに日果が駆け寄ってきた。そのスピード感たるや、まるで主人の帰りを待っていた子犬のようだった。
「うん、おはよ」
「あのね私普段は月曜日の朝なんてキツくて遅刻ギリギリまで寝ちゃうんだけど今日はすっごく楽しみで早起きできちゃったんだこんなの初めてかもところで改めて昨日はありがとう本当に水無月さんのおかげで」
「ちょ、ちょい待ち。とりあえず席に荷物置かせて」
「あっごめんね」
普通に学校でも話しかけていいとは言ったが、距離感の詰め方とマシンガントークがすごい。ここまで堂々と懐かれるとなんだかすごく気恥ずかしい。教室のみんなもちょっと驚いたようにこっちを見ているし。
できるだけ平静を装って、カバンから机に教科書もろもろの荷物を移す。移し終えるとほぼ同時に、日果がシュバッと自席から飛んできた。タイミングを見計らっていたらしい。
「はい水無月さん、これ」
そしてこちらに差し出してくるのは、封筒のような紙カバーに覆われた――サイン色紙だった。
「嘘、もう描いてくれたの!?」
「うん、帰ってすぐ。アナログでカラーイラスト描いたの久しぶりだったけど、ちゃんと上手に描けたと思うよ」
「カラー……? ちょっと待って。ユキホとクーナのカラー絵なんて今まで一度もネットに上げてないよね?」
「そうだよ。だからこの色紙が初のカラー絵。水無月さんへの感謝の印に」
瞳子はオタク感情の昂りに鼻の穴を広げた。まだ誰も見たことがない『餓鬼は糖なく生きられない』のカラーイラスト。それを直筆サインという形で拝めるとは。
「あ、開けていい……?」
「もちろん。感想聞かせて欲しいな」
教室の人目は気になったが、これを見ないままカバンにしまうなんてできない。
瞳子はカバーを開いてそっと丁寧に色紙を取り出す。
「わ……」
そこに描かれていたのは、手を繋いで笑い合うユキホとクーナのイラストである。
クーナは元気いっぱいに高々とジャンプして、ユキホはそれに手を引っ張られて挙手するような姿勢になっている。
奔放なクーナと保護者役のユキホというキャラ性が一目で分かる構図。そして何より、二人の浮かべる屈託のない笑顔に胸がきゅっと締め付けられる。悲壮感の漂う本編を知っているからこそ、こういう幸せな絵面が心に刺さる。
「……とってもいいイラスト。ありがとう。大事にする。帰りに額縁とか買って部屋に飾る」
「いやいや大袈裟な。気軽に鍋敷きにでもしてもらえれば」
「そんな外道の扱いしないから。どこのファンが直筆サインを鍋敷きにすんの」
「ふふん、自虐ギャグだよ。水無月さんがそんなことしないって分かってる」
相変わらず変なギャグだ。創作の才能はあると思うがそっち方面の才能はまるでない。
「ね、詳しい感想教えて。どこがどういう風にいい?」
「まず、ユキホがクーナに引っ張られてるのが関係性が見えていい。あと、カラーだからこその初情報だけどクーナって白髪だったんだね。これもいいと思う。元気さの裏に隠された薄幸感が見えるというか」
「ユキホのカラーはどう? 変に捻らず、ベタ塗りの髪っていうことで黒髪にしたけど」
「イメージ通り。ベタ塗りでもカラーにしたら青髪とか紫髪なんてキャラはよくいるけど、そういうのって登場人物が多い漫画でのキャラ差別化要素っていうのも大きいから。あくまでユキホとクーナの二人がメインのロードムービーだし、過剰に凝った色付けはしなくていいと思う」
「そっか。実はね、意外性を狙ってピンク髪とかにするようなことも一瞬考えたんだけど」
危うい原作者情報に瞳子は唇を曲げる。意外性を狙うな。ここはシンプルイズベストでいいのだ。
「でも、最近よく水無月さんの長い髪を見て『綺麗だなあ』って思ってたから。ユキホも同じ黒髪にしたくなったんだ」
「……ん。それは光栄だけど」
大丈夫か。顔は赤くなっていないか。うん、このくらいならセーフ。
察しの悪い日果が相手なら、よほど致命的なボロを出さない限り問題はない。要は好意を言語化しなければいいのだ。多少の動揺は何とでも誤魔化せる。
「じゃあ水無月さん。本編でもこんなハッピーエンドを目指して頑張るから、これからも協力よろしくね」
「私にできる範囲でならね」
「なら、さっそく今後の方針について相談したいんだけど」
まだ登校後十分も経っていないのにグイグイ来る。もしかしたら一日中ずっとこんな調子で付き纏われるのだろうか。それは少しばかり嬉し、困る。
「このサインの絵だと、二人はとっても仲良しだよね」
「うん。見てて嬉しくなるイラスト」
「前に教えてもらったとおり、クーナがユキホのことを好きな理由は分かったんだ。ご飯を作ってくれる人は愛しくて大事だって。でも、ここからユキホはどんな展開があったらここまでクーナを好きになるかな?」
「うーん……具体的なエピソードのアイデアが欲しいってこと? そういうのは私、あんまり役に立てないかも」
「ううん。エピソード案っていうほど詳細じゃなくていいの」
ふるふると日果が首を振った。
「きっかけのアイデアでいいんだ。たとえばクーナにとっての『ご飯を作ってくれる』みたいな。どんなきっかけがあったらユキホの復讐心が薄れる第一歩になるかなって」
「ああ、そういう――月並みだけど『ピンチのユキホをクーナが助ける』なんてのは?」
「それはダメだよ」
日果は腕をクロスして×を作った。この子は貪欲にアドバイスを求めてくるわりに、気に入らないと遠慮なく反論してくる。
「だってユキホのご飯がないとクーナは死んじゃうんだから。ユキホが危なくなったら助けるのは当たり前。ユキホは頑固だから『この子は私を助けたんじゃない。食事係がいなくなると不都合だっただけ』とか自分に言い聞かせると思う」
「あー……確かに、面倒な子よねユキホ。そこがいいんだけどさ」
「そ。だから一緒に考えて欲しいんだ。ユキホの心情を」
勢いよく前のめりになって、日果がその顔を瞳子の鼻先にまで寄せる。柑橘のような爽やかな香りがふと漂った。
「性根はちょっとチョロい子で、無邪気に頼ってくれるクーナのことも可愛いと思ってるのに、意地っ張りだからそれを認められない。血が流れるくらいに拳を握りしめて好意を否定しちゃう。そんな素直じゃないユキホが――どうやれば正直にクーナのことを好きって認められるか。一緒に考えよ?」
無邪気な日果の笑顔を目の前に、瞳子はしばしフリーズした。
創作の話だ。創作の話をしていたはずだ。これはあくまで漫画の話だ。なのに、なんだか心臓を抉る勢いで鷲掴みにされたようなダメージがあった。
「その作業、私も必要……?」
「必要だよ! 今や水無月さんは私以上にキャラへの理解度が深いんだから、ユキホの心情だってきっと分かるはず!」
誰よりも分かる。分かるからこそ言いたくない。たとえユキホの話だとしても、なんだか言ったら負けな気がする。
葛藤に苦しんでいると、ぱしっと日果がこちらの手を握って来た。
「焦ることないから、一緒にやっていこうね。これからもずっとずっと頼りにしてる」
「そ、そういうところが……」
「え?」
「な、何でもない何でもないっ!」
あっぶねえ。危うく自白するところだった。お前のそういうところが私をチョロっと転がそうとしているんだぞ――と。
そうだ。人が人を好きになるのにそんな劇的なドラマは必要ないのだ。きっとユキホも旅の中での小さな積み重ねで、いつかその心を溶かしていくのだろう。
今はまだ、その『小さな積み重ね』の案が真っ白なわけだが。
瞳子はそっと握られた手を引いてから、こほんと咳払いする。しっかり、現実と創作の線引きをした上で。これは自分の話ではないと己に言い聞かせて。
「『ピンチを救う』ってベタ展開がダメなら、小さな日常の積み重ねを大事にしていくっていうのはどう? たとえば――」
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