第19話『まだマシな方』
「ええとですね三葉先生。同じ百合ジャンルと仰っていただけるのは光栄なんですが、実は私は百合というものがあまりよく分かっていなくて。意識して描いたつもりもなくて」
しゅばっと挙手した日果は、何の躊躇いもなく内情をぶっちゃけた。
「私の作品ってやっぱり『百合』っぽいですか? そういう読者層を意識して描いた方がいいんでしょうか?」
「……なるほど。意図せず百合作品として評判になったと。予期せぬ角度からのヒットというのは、実は業界では比較的よくあることです。その上で――」
三葉先生は力強く拳を握ってみせた。
「百合かどうかは、作者であるあなたが決めることです。作者が百合といえばそれはもう百合なのです。私もネットでたまに『三葉わん作品って百合というか女子同士がドロドロ感情ぶつけあってるだけじゃね?』とか言われますが、知ったこっちゃねえこれが私の百合なんだと開き直ることにしてます」
「あ、そうですよね。『私の心を二度も殺すな』って主人公もヒロインもキスとか告白とかしてなかったですし」
「キスならしてますよ。単行本二巻ラストの第9話。プール掃除中に二人が喧嘩してホースの水を浴びせ合いますよね。あそこが事実上のファーストキスです」
「水の浴びせ合いがキス……?」
日果が理解不能とばかりに首を捻った。
瞳子はといえば、悔しいことに解釈一致だった。デビュー作の時から一貫して、三葉わん先生は「青春という限られた時期にしか出せない重々しい感情」を鮮やかな筆致で描いてきた。そのテーマ性を踏まえてあのシーンを解釈すると、
「ねえ水無月さん。水の浴びせ合いがキスってどういうこと?」
「ホースの口を指で潰すと噴き出す水の勢いが激しくなるでしょ? そして三葉先生はあのシーンで『潰れたホースの口』をえらく丁寧に描いてるの。あれは確実に何らかのメタファーだと思う。まだ狭い世界しか知らない少女たちだからこそ、口を潰されたホースみたいに激しい衝動を一点に吐き出せるというか。そしてその衝動を互いにぶつけ合うことは実質キ」
うっかりオタク解釈を早口で並べてしまって、途中で慌てて口をつぐんだ。
日果は「さすが……」と感心している。
三葉先生は両手を拝むように握り合わせて、パァァッと顔を輝かせていた。
「しっかり伝わっていたんですね! そうなんです! ホースを潰す指先をこれでもかとエロく描いたんです!」
「ああはいそうですね! 大変よろしい趣の指先でしたよ!」
「二人ともレベルが高いなぁ……百合って難しい」
満足げな表情で三葉先生は首を振った。
「いえいえ。むしろ百合の自由度を主張したかったんです。時には潰したホースの口すら百合になるのですから。【クレンザー祭】さんも無理に百合というものを意識することはなく、本能の赴くままに描けばいいのではないでしょうか。何にも縛られることはありません」
この先生はもう少し何かに縛られていて欲しい。たとえば社会的常識とか。
薫陶を受けた日果は腕を組んで「うーん」と唸ってから、
「きっと、私が好きに描くと面白くないものになっちゃうと思うんです」
「そんなことありません。私だっていつも楽しみにしてますよ?」
「私はギャグ漫画のつもりで描いたんです。復讐が下手なユキホのポンコツっぷりを、みんなが笑ってくれたらいいなって。だけど、読んでるみんなはそういう感じで楽しんでるわけじゃないみたいで――だから、みんなが求めるこの作品の『面白さ』に合わせていきたいんです」
瞳子はぐっと息を呑む。あの悲劇的な復讐ものをギャグと称するセンスを前に、果たしてプロはどんな反応を見せるか。
「もし三葉先生なら、ユキホとクーナがどんな結末を迎えたら『面白い』と思いますか?」
「ドロドロ共依存の心中エンド」
一秒も待たず返ってきた内容に日果が身じろぎする。瞳子も目を見開く。いくらなんでもそれは、
「ふふ、なーんて。分かってますよ。ギャグ漫画として描こうとしたのなら、読者さんに笑って欲しかったんですよね? そんな人が心中エンドを許容できるわけありません」
「えっと。それで読者の皆さんが楽しめるのなら別に」
「無理はいけませんよ。心中エンドを一瞬でも『嫌だ』と思ったなら、それがあなたの作家性です」
日果はしばらく考え込んで、こちらを振り向いた。
「そうなのかな?」
「なんで自分の作家性を私に聞くの」
「水無月さんって私の作品について、私より詳しい気がするから」
あくまで百合的な解釈を伝えているだけで、決して作者より詳しいなどとうぬぼれてはいないが――
「いつもクラスで変なギャグしてるでしょ。やり方が下手なだけで、あなたが人を笑わせたいと思ってるっていうのは、なんとなく分かる」
「そっか……。じゃ、それが私の作家性なんだね」
そう言って日果はスマホの時計を見た。瞳子も倣って時刻を確かめる。およそ午前10時30分。もうじき出版社に赴いて、入館の受付予約をしなければならない頃だ。
「じゃあ行ってくる。水無月さん、今までずっとありがとう。迷惑かけてごめんね。二人で一緒に作品作りするのは今日で最後になっちゃうけど、この恩はずっとずっと忘れないから」
「……ん。頑張って」
「三葉先生もありがとうございました!」
「いえいえ。ご武運を祈ります」
日果が参考資料という名のカンペをリュックに詰め、ボックス席から立ち上がる。
楽しかったな、と瞳子は思う。
なんだかんだで日果の漫画は面白かった。これまで百合について語れる友達もいなかったから、こっちの本心を悟ってこない奴と遠慮なく喋れるのも悪くなかった。
だが、もう瞳子の役目は終わった。これから担当編集が付くのならもう日果は自分を必要とするまい。あくまでこれは友人ではなく打算的な協力関係だったのだから。
「じゃあ【クレンザー祭】さん。私とこちら……水無月さんでしたよね? 私たちは二人でこのカフェで待っていますから、持ち込みが終わり次第すぐに戻ってきてくださいね」
「はい?」
「おおっ、祝勝会あるいは反省会まで付き合ってくれるんですか?」
「もちろんです。せっかく現役の女子高生作家さんと知り合いになれたんですから、もう地の果てまでもどこまでもお供し続けましょう」
え、ちょっと待って。
日果が戻ってくるまで最低でも1~2時間、この人と二人きりで待機しないといけないの?
瞳子は動揺に頬を引き攣らせ、
「ご、ごめんなさい。私はこの辺で帰ろうかと……」
「あ、そうだよね。水無月さんは赤入れ作業が終わったら街中ブラブラして遊んで帰るって言ってたもんね」
「ブラブラして遊んで帰る――つまり具体的な予定はないということですね? お友達の戦果を二人で見届けませんか? それに、先程あなたが熱弁してくれたホースの解釈はとても嬉しかったです。ぜひ百合談義に花を咲かせましょう」
三葉先生がぎらりと捕食者のように目を輝かせた。ぺろりと唇を舐めた気もする。助けてお父さんお母さん。
「じゃあ水無月さん、三葉先生とごゆっくり!」
「待っ……」
手を振りながら日果が去っていく。ほとんど同時にセーラー服の34歳がぐっと顔を近づけてくる。
「さあ。手始めにお互いの百合歴から語らいましょう。歴何年ですか? 私は中学時代に出会ったのでキャリア二十年ほどです」
「あ、あの……私っ!」
弾かれるように瞳子は立ち上がった。一刻も早くこの場から逃れようと。
「あの子に言い忘れてたことがあったんです! ちょっと追いかけて言ってきます!」
どうせモンスターの相手をしなければならないなら、一緒にいて楽しいモンスターの方がまだマシだ。こちらのモンスターは尊敬対象ではあっても危機感がすごい。
呼び止められるよりも先に、瞳子はカフェの外へと飛び出した。
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