第16話『私というものがありながら』
オフィス街の中にあるカフェなので、今日のような日曜の朝はそこまで混雑していなかった。もちろんガラガラというわけではないが空席もそこそこあって、多少ゆっくり作業をしても構わなそうな雰囲気を感じる。まずは一安心だ。
「水無月さん、朝からガッツリ食べる派なんだね」
イチゴジャムをトーストに塗りつつ、日果がしげしげとこちらを眺めてくる。
瞳子は「ん」とだけ答えて後は黙々とカツカレーを喰らう。百合っぽい雰囲気を避けるためのガッツリ系チョイスとは言えない。
「ねえねえ。編集さんから『結末はどんな展開にする予定?』とか聞かれたらどうしよっか」
「とりあえず、あなたが前に暫定案として挙げてた『俺たちの戦いはこれからだエンド』にすれば? もっといいラストが思い付いたら変える前提で」
「ギャグ漫画としてのラスト案は言わない方がいいよね」
「絶対言わない方がいい」
今回バズった漫画は、日果のズレたセンスが偶然にいい方向へ転んで生まれた奇跡の産物なのだ。再現性は一切ない。実際、日果の過去作はほとんど評価されていなかったという。
「あと、まず会ったら第一声で『本日は無理を言ってスケジュールを合わせてもらって申し訳ありませんでした』って謝ること。しっかり頭を下げて」
「それもカンペに書いていい?」
「ダメ。入れ知恵の謝罪とかバレたら本当に最悪よ。とりあえず無理言った件を謝るってことだけ覚えておいて。一言一句そのまま暗記しなくていいから」
日果がびしりと敬礼した。真剣さが足りない。本当に分かっているのだろうか。
「で、カンペに想定してない質問が来たら『そこは感覚でやってました』の一点張り。感覚派の天才肌を装うの。とにかく光る原石だと思わせれば勝ち」
「ううん。私、どっちかといえば理論派の創作スタンスを自負してるんだけど」
「理論派がなんでキャラの心情をクラスメイトに聞いてんの」
たぶんこいつは感覚派でも理論派でもなく天然派である。
カツカレーを綺麗に平らげてから、瞳子は口を紙ナプキンで拭く。日果もチーズケーキを僅かに残すばかりだ。
「じゃ、カンペ作りを再開ね。ここからは持ち込み時刻までひたすら赤入れ。ただし、店の迷惑にならないよう混んできたら場所変えるけど」
「店の人に注意されるまではいいんじゃない?」
「あなたね……」
配慮というものがまるでない。まあ、朝食時が過ぎて店内は空いてきているように見える。途中で一回くらい場所代として追加オーダーをすればそう迷惑にもならないだろう。
「――じゃ、次。ユキホが『大事なおばあちゃんの写真』を布にくるんでカバンの奥底にしまってる理由」
「日光で写真が日焼けしちゃうのを防ぐため」
「却下。せっかくだからもっと感傷的な理由にしましょうよ。『復讐に手を染めてる自分の姿を見られたくないから』とか」
「本来のユキホは『おばあちゃーん! 私は今、復讐してまーす!』って高らかに誇る性格の子なんだよね。そんなポンコツ孫娘を見て空の上から苦笑いするお婆ちゃん」
「間違っても編集の前で言わないでよねその解釈」
電車内の作業でかなり時間的猶予はできたが、だからといって油断はしない。表情や言動だけでなく、細部の描写にもできるだけ綿密に解釈を加えていく。
「でも、『お婆ちゃんに顔向けできない』なんてユキホは思わないよ。そもそも、そう思ってたら復讐とかしないもん」
「だけど単に日焼け対策ってのはあまりにも風情が……」
んーっ、としばらくこめかみを押さえてから、やがて日果が指を立てる。
「じゃあこんなのはどうかな。復讐そのものに躊躇はないけど、復讐の手段に『料理』を使ってる姿を見せたくないとか。ほら、ユキホが栄養学とか食餌制限に少なからず知識があった理由って、腎臓を病んだお婆ちゃんの世話をしてたからだし」
「……なるほど。お婆ちゃんのために磨いた料理の腕を、復讐の道具にしてしまってることに自己嫌悪があると」
「いやそうじゃなく。『お婆ちゃんに向けてはこんな魂胆で料理作ってないからね!』って自己弁護的な。まあでも、ニュアンスは近いと思うから自己嫌悪でもOK」
「近い……? いや、あなたが納得してくれたならいいけど」
着々と解釈作業は進み、残す原稿は更新したばかりの最新話だけとなる。
「ラストの見開きシーン。『なぜクーナは合成食糧を燃やしたか』。ユキホの料理の方が美味しかったとしても、いざというときの非常食として備蓄しておくことはできたはず。ここの原作者的解釈は?」
「これはとっても簡単で、ユキホに怒られると思ったから」
「怒られる?」
日果は自信ありげに頷いた。
「合成食糧があるのにユキホにお料理を頼んだら、『合成食糧の方があなたの身体に合ってるんだから、好き嫌いせず食べなさい』って怒られると思ったの。だから先に燃やしておいてから頼んだっていう解釈」
「へえ、いいんじゃない」
ユキホは復讐のためにクーナの餌付けを試みている。しかしクーナの方は心から「ユキホは自分の健康を心配して食事を作ってくれている」と信じている。その無邪気な信頼を浴びせられたら、なるほどユキホも血を流すほどに拳を握ろうものだ。
「でも、なんか意外。あなたのことだから、『クーナは普通にユキホを脅してご飯作らせるよ』とか言うと思ってた」
「うん。正直、当初のキャラ設定だとクーナは『言うこと聞いてくれないと歯とか折っちゃうぞ?』って冗談めかして脅すキャラだったかな」
「怖」
こいつはそれもギャグのつもりなのだろうが、あのシリアス作風でいきなりそんな台詞を出されても普通に怖くて笑えない。あと折る対象が歯なのが生生しくてなんか嫌だ。
「でも、クーナはユキホのことが大好きだって水無月さんが教えてくれたから。大好きな人のことを脅したりなんかしないなって。だからこういう展開を描けたんだ。ありがとう」
「んッ」
「アドバイスしてもらうのは今日で最後になっちゃうけど――」
「ンっ」
「ちゃんと教えてもらったことは、忘れずこれからの創作に活かしていくから!」
瞳子はお冷をぐいっと呷ってから、ふーっと長い息を吐く。
「あのね。絶対に担当編集が付くとは限らないんだから、そんな軽々しく最後だとか」
「ううん。これ以上迷惑はかけられないから、もし担当さんが付かなくっても今日できっぱり最後にする」
「いや、うん。それはありがたいけど」
「あっ。ちょっとトイレ」
そう言うと日果はフリーダムに席を立ち、すたすたとトイレの方に歩いて行った。
瞳子は真顔で天井を仰ぐ。心を無にしよう。何をしでかすか分からない厄介地雷な子と今日で縁を切れるのだ。学校で喋る必要もなくなるから、百合趣味が周囲にバレる心配もなくなる。何も問題はない。
まあ、ちょっとだけは認めよう。
確かにちょっとだけ絆されかけていた。見た目は小さくて可愛いし。慕って必要としてくれるし。だが、それだけで完落ちするほど瞳子のガードは緩くない。そこまでチョロいと思われては沽券に関わる。
(まあ、最後の記念にサインとか描いてもらおうかな……)
いつかもし日果が人気漫画家とかになったら、いい思い出になるかもしれない。
よし、あいつがトイレから戻ってきたら頼もう。個人的な趣味として、ユキホとクーナが仲良く手を繋いでる絵を描いてもらおう。いずれ待つのがバッドエンドだとしても、ハッピーエンドの絵を描いてもらおう。
が、しばし待ってみたがなかなか日果が帰ってこない。
あまりデリカシーのない想像はしたくないが大の方だろうか。まさか緊張で腹を壊しているなんてことは――
そう思ってトイレの方を振り返って、瞳子は目を剥いた。
トイレ近くの席に座っていた制服姿の女の子に、日果がペラペラと話しかけていた。
また距離感ゼロの悪い癖が。いきなり見知らぬ他人から話しかけられたら普通はちょっと引くということが分からないのか。
(もう……!)
瞳子は慌てて問題児の回収に向かう。
歩み寄っていくと、会話の内容が聞こえてきた。
「私も漫画描いてるんだ! ねえねえ、一緒に創作談義とかしない? 読み合いっことかしてみたかったの!」
見れば、制服姿の少女は大判のノートにシャーペンでネームを描いているところだった。まさか同じカフェに漫画描きが他にもいるとは――いや、出版社の真正面のカフェだから意外と持ち込み待機組はいて当然なのかもしれない。
しかし。
それにしても。
別に嫉妬とかそういうわけではなく。
(私を置いてけぼりにして、他の子に誘いを掛けるってちょっとノンデリが過ぎない……?)
なんか、こう。
さっそく後釜を調達しに動いてるような。破局した翌日にもう新しい交際相手を見つけているような。そういう類のモヤっと感がある。いや別にこいつと交際してたわけじゃないけれども。
「こらっ! よそ様に迷惑をかけない! すいません作業のお邪魔しちゃって」
瞳子は制服の少女に謝りつつ、日果の腕を掴んで席に引き戻そうとする。
「ええっ。でも、せっかく同じ年頃の漫画描く子がいたんだから」
「そんな呑気な漫画談義してる場合じゃないでしょ! まだこっちの作業も詰めないと!」
「えっ。でもさっきので最新話まで終わらなかった?」
「そ……それはそうかもだけど! ユキホとクーナのキャラ性についてもっと深堀りをする余地が……」
「ユキホとクーナ?」
そこで声を発したのは、日果に絡まれていた少女だった。目をきょとんとさせ、瞳子と日果を交互に眺める。
「もしかして『餓鬼は糖なく生きられない』の【クレンザー祭】さん……?」
あ、いけない。知ってた。知られてた。
冬桜出版は百合に強みのある出版社だから、そこへの持ち込み志願者がネットでバズッた百合作品を知っていても不思議ではない。これはまずい。
いや待て、まずくない。なぜ焦っている。焦る必要なんてない。この子にサイコの重り役というバトンを押し付けられるならそれで何よりのはず。ポジションを奪われるだなんてそんな、
「そうですっ! 私がアカウント名【クレンザー祭】こと、大淀日果と申しまして」
「こんなに可愛らしい方だったんですね。先日はどうも失礼いたしました」
ぺこり、と。
制服の少女は丁寧に頭を下げた。
「ごめんなさい。ちょっと押しが強くて警戒してしまって、会うのを断ってしまいました。私、三葉わんといいます」
瞳子は硬直した。
は? え? 三葉わん? あの『私の心を二度も殺すな』の? 大ヒット百合作家の?
そんな馬鹿な。アニメ化まで決まっていて既刊もかなり出ている作家がこんなに若いなんて、
「え、ええっ! 本当ですか!? あなたがあのっ!?」
しかし、瞳子よりも遥かに驚いたのが日果だった。
「すごいです尊敬してますっ! 本当にもう画力が凄くて! 私なんか背景にはフリーのCGモデルを使っちゃうんですけど、三葉先生は手描きであんなに丁寧に……」
「ちょい」
瞳子は日果の腕を引っ張って数メートル遠ざかった。
「いや、どう考えても嘘でしょ」
「え。なんでそんなこというの水無月さん」
「三葉先生はデビュー15年目のベテランだから。あの子が三葉先生なわけないって」
「でも、私がDM送ったこと知ってたよ」
あ、そうだ。
アカウントが乗っ取られでもしていない限り、本人でしか知り得ない状況だ。しかし年齢的にどうしても矛盾する。
この矛盾をどう解くべきかと逡巡していると――
「あ、私。34歳です」
こっそり近寄ってきた少女が、小声でそう言った。
「え?」
「は?」
「34歳です」
セーラー服に身を包んだ少女は、気恥ずかしそうにそう言った。
瞳子の脳裏にちょっとした走馬灯が流れた。
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