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第23話 漆黒の男 前編

ルナが茶虎を抱きとめた瞬間


『うおおおおおお!!』

『今の何!?』

『速過ぎて見えんかった』

『やべええええ!!』

『赤トサカぐっじょぶ』


ナナは思わず前のめりになり、声にならない息を漏らす。


「……っ、ばか」


いつの間にか、爪が掌に食い込むほど拳を握っていた。


「ほんと、ばか……間に合ってんじゃん……!」


隣の女の子も、母親と一緒に飛び跳ねる。


ナナは画面の中のルナを見つめたまま、拳をほどき――


眉を寄せた。


(あれ?)


「見て、ママ!あのねこさん、また光ってるよ!」


嬉しそうに指をさす女の子。


「ま……?」


目を凝らすも

茶虎の身体の縁が、淡く滲んで見える。


(錯覚?や、でも、あの子も言ってるし……)


AIが類似コメントを拾い上げる。


『何かねこ、光ってね?』

『火の粉の反射』

『いや、昨夜も光ってたが?』

『エフェクト旨すぎて草』


(錯覚じゃ、ない……?)


しかし、その疑惑はすぐに吹き飛んでしまう。


「いたぞ!」

「絶対許さねぇ!」

「囲め!」


ルナへと殺到していく、黒焦げのモヒカン達。


「はぁ!? 何で!?」


ナナの両手が、窓に付く。

燃え盛っていた炎はいつの間にか消え、二ヶ所で水が噴き上がっている。

青と黄のモヒカンが、消火栓のホースを握っていた。


(仕事速過ぎっしょ!)


ナナは額の前で、両手の指を絡める。


(お願い、疾く、疾くここまで!)


口元をほんの少し緩ませ駆け出すルナ。


(大丈夫、この距離なら、絶対、間に合う!)


次の瞬間


宙を舞う、ルナの身体。


「……は?」


ナナの目と口が、大きく開く。

コメント欄にも「?」が飛び交う。


倒れたルナの前には

黒い男が立っていた。



やけに、鴉が舞っていた。




第23話 漆黒の男 前編




「ルナだな? ついて来て貰おう」


低い、知らない声。


なのに


胸の奥が、わずかにざわつく。


顔を上げ――



全身に、鳥肌が立った。



そこにいたのは


額も、頬も、首筋も、コートも、何もかもを滅茶苦茶に斬り裂かれ

赤い雫を滴らせている。


4・50代の、血塗れの男


平然と

漆黒の長い髪に

漆黒のコートをなびかせ


手を、差し出しているのだ。


「…………っ!?」


目の前の「赤く染まった手」が、死神の鎌のようだった。


「来ないで!!」


響く血の音。


伸ばされた赤い手を、叩き落としていた。


初めてだった。

普段なら「触らないで」が勝つのに


プライドも何もなく、両手両足を無様に、必死に

地面を這って後ずさる!


赤い痕を落としながら

何の感情もない顔で歩いてくる漆黒


いくら集中しても、考えがまるで読み取れない。


(なんなの……なんなの、こいつ……!)


奥歯が鳴り始める。


(落ち着け、切り換えろ……切り換えろ、私!)


こいつを抜く。

摩天楼へ逃げ込む。


後は

それだけ


失敗すれば私と茶虎は……


胸の中の、茶虎に視線を落とす。


その、怯えた瞳の中には


もう一人の、私が居た。



――邪魔、だよね?なら、壊さないと


けど……


――怖い?


うん……それに、茶虎にまた、嫌われたら……


――大丈夫、だよ。今なら、見られないよ?


そう、かな……?


――うん。ちゃんと、ぎゅってしてあげてれば、いい子にしてるよ♪


本当?


――勿論。護る為だし、ね? それとも、このまま茶虎が殺されてもいいの?


嫌!


――でしょ? この子、だけは


護る、よ。絶対。


――世界を壊してでも?


どうせ


――この世界は、最初から


壊れて、いるのだから。ね



重い腰を上げ、漆黒に首を傾げる。


「……ね、そこ、通して?」


変らない、歩調。


背後からは、迫る靴音。


どう、しよっか……


やっぱり


あいつをヤルのが


手っ取り早い、よね?


でも


どうして


あんなに滅茶苦茶な傷、負ったんだろ?


爪?


ここに来るまで、何かと闘ってた?


ねこ?


それは、ない、かな……


だけど


攻撃は通るって事、だよね


浅いのは、無駄ッポイけど


チェーンソー……都合よく、落ちてない、か。


目の前で止まる、漆黒。

背、高いな。


「心配するな。手荒な真似はしない」


本当、かな?

やっぱり、何考えてるか、解かんないや。



「じゃあ、ね」



飛び上がり、身を捻る。


響く

セロリを折ったような

耳心地のいい音


返り血で汚れた素足が、漆黒の頭にめり込み

真横にまで折れ曲っていた。


「ごめん、ね」


引き抜こうとした足に

ぬちゃり、と

ぬめった感触が絡み付く。


「え?」


「行くぞ」


平然と折れた首を元に戻し、歩き出す漆黒。


「え、やっ……!」


気付けば、視界は逆さまになっていた。


な、は?

沸き立つ、屈辱感。


「いやっ、放して!」


狂ったように、もう片方の足で顔を蹴り――


あっさりと、掴まれる。


無様に

ぶら下がる身体。


そんな……

どう、すれば……


血が、頭へと下がっていく。



こんなの、もう、勝てっこないよ……


――諦めるの?


だって、首を折ったのに、死なないんだよ?


――うん。どうしようもないね


何か、何か方法はないの!?


――あるよ


本当!? 教えて!


――うん。 考えるの、やめよっか


え……?


――壊れないなら、壊れるまで壊すの。 何度でも、ね


こんな、状態で?


――うん


そんなの、無理だよ


――無理でもいいよ? この子を、失くすだけ


胸の中で、震える小さな命。


茶虎を、失くす?

また、あの時みたいに?


――そう。あの、こねこみたいに



脳裏に、悍ましい光景――



痩せ細り、傷だらけで、糞尿塗れの動物達

もう動く事の無いねこを護ろうと

私に牙を立て

そのまま、力尽きる

黒い、こねこ



知らない。こんなの、知らない。


――じゃあ、赦せるの?


……赦せるわけ、ない


――うん。 簡単だよ?何も考えず、全部、壊すの


全部……


――それだけで


全部、救える。よね



茶虎の、不安気な声が聞こえる。



ふいに

立ち止まる漆黒。


――今


止まった反動を利用し、腹筋に力を込め、上半身を引き起こす。


目の前には


私の足を掴む、漆黒の手


「はな、して」


その指目掛け、全力で顎を閉じる。


歯が皮膚を貫き、肉へと食い込み

口いっぱいに、どろりとした鉄の味が広がっていく。


「……ねこ」


……ねこ?


私の胸に、顔を近付ける漆黒。


痛みすら、感じない……?

なら


自分の歯が砕ける程、顎を噛み締め――


「大丈夫」


あまりにも静かな声だった。


開いていく、私の顎。


は?


浮いていく、歯。


な、何?


二本の指、だった。


それだけで


全力で噛み締めた歯をこじ開けられ


再び、だらりとぶら下がった。


ばけ、ものだ……


こんなの

壊せる、わけ……





ごめん

ごめん、ね……茶虎


月影

ナナ

お日様みたいな、女の子

おばあちゃん


みんな

ごめん……

約束

守れそうに、ないよ……



もぞりと、胸の中が動いた。


……?


赤いストールの隙間から

頼りなく転がり落ちる、痩せ細った身体。


「茶虎!?」


みゃあっ


漆黒の足に、小さな牙を突き立てる。



弱い

あまりにも、弱い息遣いで。


「……落ち着け」


漆黒の視線が、足元へ落ちる。


やめ、てよ……

お願い……


私の足から離れた死神のような手が、茶虎へと伸びていく。


殺さ、ないで……


黒いこねこと、茶虎が


重なった。



瞬間



――ごめんね、ごしゅじん……



違う。


これは、私の記憶じゃない。


ハズなのに―――



――モウ、ニドト

――コノコヲ!


――コノコタチヲ!!



腰を落とした漆黒の脳天に目掛け


高々と踵を振り上げる。


「死ね、悪魔」


響く

枝が、折れるような音。


漆黒の首は

ぐにゃり、と

真横近くまで折れ曲がっていた。


「……怯えるな」


鼻と口からドス黒い血を、ボタボタと垂れしながら

血塗れの手を、茶虎に伸ばしていく。


「死ねっ! 悪魔っ!!」


折れた頭に、何度も


何度も

何度も

何度も


叩き込む。






気が付けば


漆黒の頭は、血に、沈んでいた。



やった……?


兎に角、これで――


血だまりの前で伏せている小さな影に、視線を移す。



「茶虎っ!」



両腕を広げる。


びくりと震える小さな身体。

ゆっくりと顔を、こちらに向ける。


「え……?」


その瞳は


酷く


怯えていた。


その、中には


恐ろしい顔で笑う



私がいた。



イカ耳で後ずさりしていく茶虎


「……待って」


一歩踏み出した瞬間

くるりと背を向け

まるで、私から逃げるかのように


遠ざかっていく、茶色い背中。


「お願い、待って!」


けれど、いくつもの人影が立ち塞がる。


「待たせちまったか?」

「もう逃がさねぇぞ……イカレ唄女」


焼け焦げた大勢のモヒカン達が

荒い気づかいで

血走った目で、私を見ていた。


「どいて!」


「捕まえろ!」

「囲め!油断すんなよ!!」


はやく、はやく茶虎を追わないといけないのに!


ふいに、目の前に、赤黒い影が現れた。


止まる

私の呼吸。



無造作に、影はモヒカン達に近付いていく。


「な、何だテメェは!?」

「こいつ、何で動いてんだ!?」


凶器を構える、男達。



「邪魔だ」



一斉に爆ぜる、羽音。



空が、鴉で埋め尽くされていた。

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