第19話 北風と太陽
「哀れだねぇ」
低く、地を這うような声。
「それが自分達の首を絞めてるとすら、気付かないんだからね」
中年女が目くじらを立てる。
「こうする以外にどうしろっていうのよ!」
「そうよ! 悪いのはこの子――」
「お黙り」
老婆の一喝で、中年女の口は金魚のようにパクパクとなる。
モヒカン達の中から口笛が鳴った。
「いいかい、小娘共」
冷えた視線を、3人に向ける。
「どうして警察が来ないのか。そこを考えるんだよ」
「は……?」
「そのくらい、考えたわよ!」
食い気味に返した声は、妙に上ずっている。
「ほう…で、あんたの『頭』はどんな結論を出したんだい?」
途端、黙り込む3人。
私には、彼女たちの脳内でリフレインする無機質な声が聞こえる。
【受理済。待機してください】
「……一体、どんな理由があるっていうのよ」
一人が絞り出すような、ひきつった声を出した。
「それを、自分の頭で”考えな”と言ってるんだよ」
老婆は、枯れ枝のような指で、自分の頭をトントンと叩く。
「はぐらかさないで、ハッキリ言いなさいよ!」
それは、悲鳴のような怒号。
「やれやれ」
老婆は両手を翳し、頭を振る。
「考えることすら人任せかい。どっちが脳無しだか解りゃしないねぇ」
「なっ……!」
顔を真っ赤にし、もう一人が慌てて袖を引く。
「もうやめましょうよ、相手は脳無し――」
「いいえ! 聞かせてもらおうじゃないの、その理由を!」
老婆は、ゆっくりと空を仰ぐ。
「それじゃ聞くが、警察は誰の命令で動く?」
「治安維持局でしょ」
「じゃあ、その命令は誰が握ってる?」
「世界政府に決まってるでしょ」
「ならどうして、政府はこいつらを放置している?」
「……は?何言ってるの?」
間を置いて、1人が吐き捨てる。
「陰謀論者じゃない?」
老婆は深く、呆れたように息を吐き出す。
「知らないものは全部“陰謀論”かい。便利な言葉だねぇ。
そうやって蓋をしてりゃ、考えなくて済むんだから」
赤いストールが、風に揺れた。
「いいかい小娘共。警察も政府も、あんたらが思うよりも自由じゃないって事さ。そしてそれはこいつらも――」
「喋り過ぎだ、ばばあ」
包帯男のドスの利いた声が、それを遮った。
けれど老婆は、まるで気にした様子もなく
「図星だろ」
しわがれた声が、妙にはっきり響く。
「あんたら……後で消されるよ?」
ざらり、と奴等に嫌な冷たさが走る。
こいつらは、警察を恐れていない。
けれど
もっと別の“何か”を恐れている。
その証拠だった。
昨夜のレッドの言葉を思い出す。
――市民に手ぇ出すな”上”にどやされるぞ
――狩るのは“犬”だけにしとけ
包帯男の殺気を本物だと思い込み
簡単な仮説を、私は見落としていた。
そして、今この状況がそれを証明している。
「……行きな」
老婆が、誰に言うでもなく、言った。
けれど、誰も動かない。
私は、ナナと女の子を抱く母親の肩を抱き寄せた。
「大丈夫……信じて」
ナナの首が横に振られる。
「無理。信じないとかじゃないよ。ルナは、どうなるのさ?」
胸の奥が、チクリと痛む。
母親のその心は揺れている。
その腕の中で、女の子が私に視線を向けた。
「……おねえちゃん」
小さな指が、私の手をぎゅっと掴んだ。
凍えた手が、その部分だけ
暖かい。
「いっしょに、こないの?」
胸の奥が、また痛くなる。
私は、その手を握り返し
「ごめん、ね……でも、絶対また、逢えるから。だから、先に行って、待ってて、ね?」
そっと、温もりを離す。
女の子の顔が、くしゃりと歪む。
「やだぁ……」
母親が、女の子を抱き直すと
「……ごめんなさい」
俯き、かすれた声を出した。
ナナは泣きそうな目で、私を睨むみたいに見ている。
「ナナ」
呼ぶと、肩が震えた。
「お願い」
「……っ」
ナナは唇を噛み締め、俯いてしまう。
それから、無理やり作ったような歪な笑みを私に向け
「わかった。でも……一つだけ、約束して」
「…うん」
「うち、さっき振られたんよ。だから……後でちゃんと慰めてよね!」
思わず、小さな笑いが漏れた。
「……うん。約束、だよ」
差し出された小指を、小指で絡めた。
ナナは頷くと、たった一人、民衆の輪を離れて行く。
その膝は、震えている。
握った拳も、雪のように白い。
ネットで、無数のコメントが降り注ぐ。
『いや無茶だろ』
『昨夜市民普通に襲われてなかったか?』
『絶対ヤバいって、誰か止めろ!』
モヒカンAとBが、下卑た笑いで彼女の行く手に立ち塞がる。
「通さないぜ、こねこちゃん♪」
「ギャハw」
「――っ!」
ナナは口を開きかけたけれど、足が一歩、下がる。
「あれぇ?ここまで来てビビっちゃった~?w」
「通すわきゃねえだろww」
爆ぜる下卑た笑い声
それを真正面から浴びせられ
俯き、固まってしまうナナ。
ふいに
紙袋が押し付けられ
小さな身体が、跳ねるように駆け上がっていく。
「どいてよ!」
響き渡る、幼い声に
私の目がしらは熱くなった。
「なんだぁ、このガキ?」
「おらぁ、食っちまうぞ!!」
「ま、待ってよ!」
ナナが割って入る。
それでも
女の子は、一歩も引かず
光の粒を零す。
「おねえちゃんが……おねえ、ちゃんが……」
受取った紙袋を抱く腕に、力が籠っていく。
「す、すみません……!」
後を追った母親は、女の子を抱き上げると、何度も頭を下げる。
モヒカンAとBの口角が、吊り上がっていく。
「ごめんじゃすまねぇんだよなぁw」
「おら、謝るなら地面に頭こすりつけろや」
Bの手が、母親の頭へと伸びていき――
「邪魔!!」
空気を引き裂くような叫び声が上がった。
ナナだった。
AとBの顔から、笑みが消え
怒りの形相へと変貌していく。
「はぁ……?」
「このアマぁ、俺等を誰だと思ってんだ!!」
Bはナナに拳を振り上げ――
「やめとけ」
恐ろしく低い声に、その腕が止まる。
レッドが、AとBに赤い眼光を放っていた。
「っ、……チッ」
二人は拳を降ろし、左右に分かれる。
「……行こ」
ナナは女の子と母親の手を取り、モヒカン達の間を抜けていく。
3人が、その集団から出たのだろう。
『うおおぉぉ!すげぇぇぇ!!』
『ばあさんの言った通り、だと!?』
『いや、でも度胸あるわ』
『ギャッハー団やっぱ雑魚じゃんww』
ネットの反応が、一気に爆ぜ
私は胸を撫で下ろした。
「お、俺達も……」
「ああ、行こうぜ」
一人、また一人とそれに続き
やがて
大きな流れとなっていく。
その中に
さっきまで私を縛ろうとしていた3人の背中があった。
振り返りもせず
そそくさと
老婆だけが、まだ隣にいる。
「おばあさんも、早く――」
「お黙り」
青み掛かった瞳が、私を見据える。
「小娘に心配される程、あたしゃ落ちちゃいないよ」
言い返そうとしたけれど、言葉が出ない。
その声には、不思議と逆らえる気がしないのだ。
笑いたいわけじゃないのに、口元が緩んでいく。
そうしているうちに、最後のざわめきも遠ざかり
私と老婆だけになっていた。
ふと、摩天楼の方から
――お願い、無事、逃げて
微かに届いたその想いが
冷たい風に、落ち葉が舞う中
お日様みたいに、暖かかった。




