第18話 大馬鹿野郎
遠くから
サイレンの音が響いた。
ひとつ
またひとつ
さらに重なり、近付いてくる。
ふと
その音が、目の前の摩天楼とは別方向から来ている事に違和感を持った。
嫌な予感に駆られ
サイレンの向こうへ意識を向け――
コロス
コロス
コロス
邪魔だてする奴は”誰”であろうが
――ブッコロス
背筋が、凍った。
昨夜のモヒカン達とは次元の違う
ドス黒さ
このままじゃ……
みんな、逃げて!
そう
喉元までせり上がり――
「はやく行って!」
鋭い声が、空気を裂いた。
そこには、薄いピンクコートの若い女性
(警察が、あんたを捕まえに来たんだよ!)
ハッとした。
馬鹿か、私は
――私が離れれば済む話
「おばあさん」
素早く茶虎を抱き上げ、差し出した。
骨ばった小さな身体から、ほんの小さな鳴き声が漏れる。
「この子を、頼めますか?」
老婆は一瞬目を細めると、皺だらけの手を伸ばした。
「行きな」
茶虎を託し、頷く間も惜しみ、月影を抱え地を蹴った。
静かな重みが
心細かった。
階段を駆け上がった、その時。
「おねえちゃん、これ!」
幼い少女が、紙袋を掲げていた。
「おとし、ちゃったけど……」
あの子は…昨日の――
胸が、ぎゅっと縮む。
「ありがとう!」
けれど、その紙袋は別の手に奪われた。
「だめよ」
3人の中年女性が立ち塞がった。
「えっ?」
女の子は一瞬ポカンとしたけれど、すぐにぴょんぴょんと飛び跳ねた。
「返して、それ、おねえちゃんのっ!」
「言ったでしょ、共犯者にされるって」
女性達は、私を憐れむような目で見た。
「貴方も、大人しくしてなさい」
「罪が軽くなるよう、言ってあげるから」
「違うんです、あれは警察なんかじゃないんです!」
私の言葉に3人は、揃って目を瞬かせる。
「……は?」
「何言ってるの、貴方」
「サイレン鳴ってるじゃないの」
「違うんです、あれは偽装で――」
「いい加減にしなさい!」
一人に、ぴしゃりと遮ぎられ
身体がびくりと跳ねた。
「そんなはずないでしょ」
「仕方ないわよね、脳無しじゃ」
「ほら、ちゃんと教えてあげましょ?」
真ん中の女が空中にモニターを展開させた。
「サイレン音 照合」
無機質な男性の声が響く。
【照合:一致率94.2%。警察車両サイレンと認定】
三人は、勝ち誇ったように言った。
「ほら」
ダメだ、1ミリも自分が間違いだと思っていない。
どうすれば…
月影なら、こんな時……
脳裏に過ぎったのは
北風と太陽
私は、努めて冷静に言った。
「聞いてください。私がここにいると、みんな巻き込まれるんです、だから――」
「どうしてそんなすぐバレる嘘付くの!」
「捕まった方が貴方のためなのよ?」
「そうよ、保護施設ならもっとまともな生活を送れるわ」
まるで聞く気がない…
相手が男なら問答無用で張り倒せるけれど……
「どして!」
さっきと同じ鋭い声
隣には、若い女性
この人――
「PTAのくせに、子供を信じてあげようと思わんの!?」
「またおかしなこと――」
「オカシイのはあんたらっしょ!」
この子はどうして、こんなにも私の為に……?
「これ見て、まだ同じことが言えるん!?」
空中にモニターを展開させた。
そこには
女性達の悲鳴
笑うモヒカン軍団
一方的に薙ぎ倒される警官隊
襲われる市民
そして、唄う私
三人の顔が強張った。
だが、女性達はすぐ様
「……だから?これが一体何だというの?」
「は?」
「これが仮に本当だとして、この子が警官隊の邪魔をしていたのは事実じゃない」
「でも、ニュースと全然違うっしょ!」
若い女性の想い。
――罪悪感、同情?…違う。これは……
「捏造じゃないかしら」
「きっとそうよ」
「全く、働きもしないでこんなことばかり」
責め立てる声の中で
その子は涙を堪えたまま
唇を震わせていた。
「何で…何であんたらは――」
そっと、その手を包み込んだ。
「ありがとう。私の為に、苦しんでくれて」
びくりと
彼女の肩が跳ね
濡れたピンクの瞳に、私が映った。
「え……?」
その想いは
胸の奥をきゅっと締めつけるくせに
泣きたくなるほど、あたたかかった。
「私ね、ルナって言うんだよ」
汚れた手で、彼女の手を取った。
彼女はその手から、おずおずと私へ視線を移し
「……うち、ナナ」
その囁くような声を聞いた瞬間、サイレンが止り――
背中を、冷たいものが走った。
――来る
「出来るだけ、私から離れて」
その暖かな手を放した。
「え?」
間髪入れず
「キャーーー!!」
慌てて駆け降りて来る人々に、周囲の空気が、中年女達の顔色が変わる。
その後から
続々と現れる
派手な改造バイクの群れ
ギラついた目、下品な笑い声
毒々しいモヒカン軍団
ざっと100
「なんなん、あいつら……」
ナナが声を震わせ、私の手を握った。
見物人達がステージ下から不安げに見上げていると
取り巻く爆音が
ピタリと止んだ。
「ままぁ……」
女の子が母親に抱き付き
紙袋が、地面に落ちた。
不気味な静寂とモヒカン達に
誰もが声を押し殺す中
パチパチパチ
拍手がこだました。
モヒカンの群れが割れ
そこから顔面を包帯でぐるぐる巻きにした男が
手を大袈裟に叩きながら
赤モヒカン、レッドを従え降りて来る。
中年女達が漏らした。
「なんなのよ」
「ぃゃぁ…」
「どうして……」
包帯男は立ち止まると、真っ直ぐに私を見た。
「まさかこんなところでライブたぁ、イイ度胸だな」
包帯男は視線を移した。
「そこの女3人」
中年女3人が、ビクッと震える。
「礼を言うぜ。唄女を足止めしてくれたんだからよ」
中年女達の目や眉が跳ね上がる。
「……っ」
1人が、青ざめた顔で私を見た。
「うそよ、だって……」
もう1人が、包帯に指を突きつけて怒鳴った。
「こんな真似して、ただで済むと思ってるの!?」
「どうなるってんだ?」
包帯男が鼻で笑うと
バイクにまたがったモヒカン達が、無言で降り始める。
中年女達は身を寄せ合い、脳内通信を始めた。
(緊急、最優先!子供も居るの、早く来なさいよ!)
【受理済。待機してください】
「いつまで掛かってんの!警察署はすぐそこじゃない!!」
出した声は、裏返っていた。
モヒカン達が、腹を抱えて笑い出した。
「まだ解ってねぇぜw」
「頭お花畑かよ、ギャハハw」
3人の顔から、みるみる血の気が引いていく。
(何かの間違いよ……)
(AIが、間違った…?)
(一体どういう事なの!?)
包帯男が口を開いた。
「安心しろ。別にお前等をどうこうしよってんじゃねえ。
その唄女を縛って寄こせ。そうすりゃ見逃がしてやる。全員な」
隣のレッドが、縄を投げた。
3人は足元のそれと、私を見ると
鬼のような形相へと変貌していく。
「元は全部、あんたが悪いんだから」
「そ、そうよ。 解って、くれるわよね?」
「あんたがグズグズしてるから」
その目には、もはや私という人間は映っていない。
そこには
自分たちの平穏を乱されたという自己正当化しかなかった。
「……っ、ふざけんな!」
ナナが、私を守るように前に出た。
「ルナは最初から離れようとしてた! あんたたちが勝手に止めて、勝手に行かせなかったんしょ! 自分が悪いなんて、これっぽっちも思わんの!?」
それは、もっともな意見だった。
けれど……
「無駄だよ、ナナ」
ナナの肩にそっと手を置いた。
そこ伝わってくる彼女の想いが、痛いほどあたたかい。
「でも――」
彼女を、そっと抱き締めた。
ナナの漏れる声と
脳裏には、遠い日の記憶が蘇っていた――
幼い頃
手のひらに乗りそうなこねこ達が
草の中から怯えるような目で、どこかを見ていた。
その視線の先には
騒ぐ子供達
足早に、覗いてみると――
泥水の中、棒で抑えつけられたねこが必死に藻掻いていた。
「痛っ!」
気がつけば
その手に噛み付いていた。
「離せよ!」
「脳無しが!」
ガンガンと頭や背中に衝撃が走ったが、私は頑なに放さなかった。
けれど
口の中が鉄の味でいっぱいになった頃
ついに地面に叩きつけられた。
「ざまぁww」
「いってぇよぉ」
「うわっ、ひっでぇ~~」
その隙に、こねこ達がねこの方に集まっていた。
「お、戻って来たぜ」
「やりぃ、捕まえろっ」
嬉々とした歪んだ表情
か細い鳴き声
跳ねる泥水
小さな身体が、次々と――
感情が
すっと
消えていった。
「うわああん!」
「痛いよぉぉ!」
「ママァ!!」
泥だらけで転がり、泣き叫びながら逃げていく背中
私は肩を大きく上下させ
拳は熱く
足元には折れた棒が転がっていた。
ねこ達だけが、じっとこちらを見ていた。
その後――
「一体どういうことなの!?」
家の前に、大勢の女達が集まっていた。
その中心で
おねえさんが何度も頭を下げていた。
「す、すみません、すみません……」
「すみませんじゃ済まないわよ!」
空中に展開させた画像を指差し捲し立てる。
「うちの子の顔、こんなに腫れてるのよ!?」
「見てこの歯形!どう責任取るつもり!?」
おねえさんが顔を上げた。
「あの…一度ログを、確認させてもらえませんか……?」
女達は、ちらりと顔を見合わせたあと
「良いわよ?」
空中に、映像が流れる。
そこには
噛みつく私
棒を握りしめ、振り回す私
泣きながら逃げる子供達
そこだけだった。
(ルナが…理由もなくこんなことするはず…でも……)
「ほらね?」
「ねこと遊んでただけなのに」
「うちの子達がどれだけ怖い思いしたか……!」
おねえさんは、少しだけ唇を噛み
もう一度、頭を下げた。
「……申し訳、ありません」
「慰謝料は当然請求させてもらうから」
「ちゃんと責任取ってもらうわよ」
「まったく、脳無しなんだから、しっかり教育しなさいよね!」
「すみません……本当に、すみません……」
胸の奥が、ぐらぐらした。
――ずるい!!
私は飛び出し、食って掛かった。
「あいつらが、さきにねこを――」
「ルナ!」
おねえさんの声に
口が止まった。
その顔は、私の知っている優しいおねえさんではなかった。
「……謝って」
私は
その場を飛び出した。
その夜
泣きじゃくる私に、月影は静かに言った。
(…ルナ。お前は間違っていない)
(…お前が、あのねこ達を救ったんだ)
(…ねこだけは、それを憶えている)
涙でぐしゃぐしゃのまま返した。
うん…ありとう、月影
けれど、幼い私は収まりが付かなかった。
でも、どうして?
うそつきはあっちなのに
どうして、こっちが悪くなるの!?
月影は、少しだけ目を伏せた。
(…そうしないとあいつらは、自分を守れないからな)
幼い私は、意味も解らなければ、納得も出来なかった。
そんなのおかしいよ!
そのためなら、何をしてもいいの!?
(…お前のその疑問は正しい)
月影は赤い瞳を閉ざし、どこか苦しそうに言った。
(…昔、とんでもない大馬鹿野郎がいてな)
おおばかやろう?
(…ああ。誰がどう考えてもおかしいのに、そいつはそれをやった)
なにをしたの?
(…それは、言えない。今はまだ、な。ただ――)
えー、おしえてよ~
(…)
ね~!
(…)
その後何度聞いても
月影は申し訳なさそうに黙るだけだった。
それでも食らいつく私に
月影は、ぽつりと零した。
(…全部は、話せないぞ)
私は頷いた。
(…聞いて、気分のいい話でもないぞ)
うん、いいよ
月影は、消え入りそうな声で話始めた。
(…そいつは、壊したんだ。何もかもをな)
なにもかも?
(…ああ。それでも、そいつは自分が悪いと認めなかった)
(…何故だと思う?)
幼い私は、懸命に考えた。
けれど解らず
ふと
先程の月影の答えが浮かんだ。
もしかして、じぶんを守るため?
月影は、どこか遠くを見るように言った。
(…そうだ。それを認めてしまえば、自分が壊れてしまうんだ)
そんな……だれか、とめてくれる人はいなかったの?
(…ルナ。これだけは覚えておけ)
月影は、赤い瞳を真っ直ぐに私に向けて言った。
(…そいつも、さっきの女達も、本質は何も変わらない)
(…己の欲に溺れた者は、見たいものしか映らなくなる)
(…聞きたいことしか、聞かなくなる)
(……正しさは、逆効果となる)
じゃあ…どうするの……?
(…そうだな、それは――)
―――
北風と太陽
けれど、一体どうすれば……
「る、るな…?」
耳元で、ナナの戸惑うような吐息が漏れた。
すぐに離れることは出来なくて。
胸が触れ合うほどの距離だけ残し
顔を上げた。
そこには
揺れるピンクの瞳
「もう、何を言っても無駄だよ」
私の声は、自分でも驚くほど冷めていた。
今度は、ナナが私に抱き付いた。
「でも、それじゃルナが――」
中年女達が、それを遮った。
「少しでも自分が悪いと思ってるのなら、解るわよね?」
「こうしないと、みんなが迷惑するの」
「ほら、あんたは離れて」
自分を正当化し続ける「善良な」大人達が、縄を持って近付いてくる。
言葉は最早、意味を成さない。
こうなったら
突き飛ばし、無理矢理――
「おい唄女。もし妙な動きをすれば……そのピンクを”ヤル”ぞ」
包帯男からのそれは
本物の殺気だった。
気付けば、中年女の手が私を掴んでいた。
「やめ!」
ナナが叫んだ、その時
「哀れだねぇ」
低く、地を這うような声が響いた。
「それが自分達の首を絞めてるとすら、気付かないんだからね」
そこに居たのは、茶虎を抱いた老婆だった。




