第74話:あたたかい寝床、ひとりぶんの中心 【三位一体の少女】
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あつい。
つめたい。
いたい。
ぜんぶ、いっしょにある。
くろい土にゆびさきをつけたまま、わたしはそれをひとつずつ数えようとして、すぐにやめた。
数えられないから。
わたしのなかには、あついひとと、やさしいひとと、こわいくらいまっすぐなひとがいる。
みんな、ちがう方向を見ているのに、いまはひとつのちいさい身体の中で、むりやり同じ息をしていた。
どくん、とさっき鳴った土は、まだすこしだけあたたかい。
ゆびのしたから、ねえここにおいで、と言っている。
でも、まんなかはちがう。
まんなかは、もっと深い。
あたたかいだけじゃない。
ほどく。
しずめる。
そして、えらぶ。
そのことが、わたしには分かった。
だれかに教わったわけじゃない。
土がそう言っている。
やさしい声で、こわいことを。
『まだだ』
胸の奥で、かたい声が言う。
背中を押す声。
走れ、と言う声。
『まっすぐ行ってはだめ』
そのすぐそばで、やわらかい声が重なる。
だいじょうぶ、と言う時の声。
でも今は、だいじょうぶじゃないことを知っている声。
『ミナ』
いちばん低いところで、黒い蜜みたいな声が揺れた。
甘くて、重くて、少しだけ泣いている声。
その名前がわたしの中で鳴った瞬間、西からつめたい白が入ってきた。
花びらみたいに白いのに、さわると切れそうな白。
黒土の上をすべってくる足音。
ああ、と思う。
あの白は知ってる。
わたしの中の、いちばん黒いひとが知ってる。
侍女。
刃。
捨てられなかった忠誠。
捨てたふりをしても、まだ胸の奥に刺さったままの名前。
ミナ。
わたしはそちらを見ようとして、背中の熱に引き戻される。
あつい。
わたしを背負っているひとは、まだ燃えている。
さっきより少しまし。
でも、ほんの少しだけだ。
右腕の灰色は、黒土に熱を渡して、それでも足りなくて、まだじりじり呻いている。
『急げ』
かたい声が言う。
『でも、中心はまだだめ』
やわらかい声が返す。
『ミナを見て』
黒い声が囁く。
『あの子は、わたしの』
そこで、わたしは目を閉じた。
ちいさい手に、黒土のぬるさがまとわりつく。
まんなかへ行けば、たぶんもっとあたたかい。
もっと、よく眠れる。
このばらばらの息も、すこしは静かになる。
でも、それだけじゃない。
まんなかは、ひとりぶんの場所だ。
そこへ今のわたしたちがそのまま入ったら、きっと寄る。
いちばん強く呼んだものへ。
いちばん強く欲しがったものへ。
アレンなら、守る方へ。
エリスなら、つなぐ方へ。
シオンなら、愛したものへ。
今、西からミナが来ている。
その白を、わたしの中の黒いひとが見てしまっている。
このまままっすぐ中央へ行ったら、わたしはわたしのままで眠れない。
どれかひとつに、傾く。
それは、まだだめ。
『まだ裂けるな』
やわらかい声が、今度ははっきり言った。
あの人の声だ。
目を閉じたまま、それでもちゃんと見えていた人の声。
わたしは熱い背中へしがみつく。
その向こうで、おおきな鱗のひとが白いひととぶつかっている。
重い音。
押し返す音。
遠くで、明るいひとが息を切らして笑っている。
その全部が、土の上だと少し丸く聞こえる。
寝床の上の喧嘩みたいに。
でも、西の白だけは丸くならない。
まっすぐだ。
切っ先みたいにこっちへ伸びてくる。
『ミナ』
黒い声がまた呼ぶ。
今度はうれしそうじゃない。
こわがっている。
会いたいのに、会ったらだめだと知っている声。
わたしは口をひらいた。
なにを言えばいいのか、よく分からないまま。
「……まだ」
声はちいさかった。
でも、鱗のひとの肩がぴくりと揺れた。
あつい背中も、少しだけこっちへ耳を寄せる。
「まんなか、まだ……だめ」
言ってから、自分でびっくりした。
言葉になった。
わたしの中の三つの声が、いまはじめて同じ方向を向いたからだ。
前へ行く。
でも、中央へは行かない。
眠る。
でも、選ばせない。
鱗のひとが振り返る。
よく分かっていない顔だ。
でも、分からなくても止まらない顔じゃなくて、分からないなら聞こうとする顔だった。
「何だと?」
低い声が落ちる。
わたしは黒土へもう片方の手も触れる。
ぬるい輪が、中心の少し手前をまわっていた。
そこだけ、やさしく揺れている。
まんなかじゃない。
でも、落ち着けるところ。
端でも、外でもない。
三つがまだ三つのまま、ひとつでいられる細い帯。
ここ。
ここなら、まだだいじょうぶ。
わたしは西の白から目をそらさないまま、反対の手で土をなぞる。
黒土の表に、うすい波が走る。
道しるべみたいに。
「……こっち」
ちいさい声。
でも今度は、鱗のひとがすぐに動いた。
槍の向きを変えて、まっすぐ中央へ通す角度を、ほんの少しだけ外へずらす。
白いひとたちも、それに気づいた。
白布を止めたひとは目を見開き、外から囲っている気配が一瞬だけためらう。
だって、まっすぐ中央へ行くなら止めやすい。
でも、まんなかの少し手前を回るだけなら、どこで切ればいいのか、まだ決まっていない。
西の白が、そこで初めてはっきり止まった。
冷たい目がわたしを見ている。
わたしも見る。
知ってる。
知らない。
どっちも本当だった。
ミナの顔は、わたしの中の黒いひとが知ってる。
でも、いま見ているのは、そのひとだけじゃない。
やさしいひとも、かたいひとも、いっしょに見ている。
だから、ひとつの名前だけで飛びつけない。
西の白の奥で、黒い声が震える。
会いたい。
謝りたい。
抱きしめたい。
その全部を混ぜたまま、わたしの小さい胸の内側を引っかく。
『行くな』
かたい声が言う。
『でも、拒まないで』
やわらかい声が重なる。
むずかしい。
ほんとうに、むずかしい。
だからわたしは、もっと簡単なことだけ決めた。
いまは、ひとりにしない。
いまは、ひとりに選ばせない。
中央はまだだめ。
ミナも、白いひとたちも、あつい背中も、みんな近すぎる。
ここで寝たら、やわらかい寝床は、きっと誰かひとりの願いだけを大きくしてしまう。
「……まだ、こないで」
それが誰に向いた言葉だったのか、自分でも分からない。
ミナか。
白いひとたちか。
それとも、中央そのものか。
でも、言った瞬間、西の白がほんの少しだけ揺れた。
白布を止めたひとも、息を呑んだ。
あつい背中は苦しそうなまま、それでも一歩だけ、わたしがなぞった輪の上へ進む。
どくん。
今度の脈は、さっきよりずっと小さい。
でも確かに返ってくる。
中央ではない、細い帯をなぞるように。
よかった、と思う。
まだ、だめじゃない。
まだ、こわれてない。
そのかわり、西の白がもう一歩だけ近づいた。
名前を呼ばれる前の気配で。
泣く前みたいに、静かな殺気で。
わたしの中の黒いひとが、そこでやっと泣いた。
帝国暦849年。冬。
三位一体の少女は `伏土の窪み` の黒土に触れたまま、中央がただの安定点ではなく、「今の三重の器」をどれか一つへ偏らせかねない `ひとりぶんの中心` だと感覚で掴みました。
そのため少女は `まんなかはまだだめ` と判断し、黒土の中央ではなく、その少し手前の安定帯へ一行を誘導し始めます。しかし西から踏み込んだミナはすでに目前におり、特にシオン側の反応が強く揺れたことで、交差点は単なる位置取りではなく、「誰の願いに器が引かれるか」まで含んだ局面へ変わり始めたのです。
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