第70話:白陽の癖、閉じきらない囲い 【セリア】
ダークファンタジー群像劇『泥濘のレクイエム』、毎日20時更新中です。
嫌な並べ方だった。
伏土の窪みを見下ろす痩せた尾根の陰で、私はひとりだけ足を止めていた。
前を行くレオンたちは、裂け目沿いの道を慎重に下っている。
カイルは熱を抱えたまま三位一体の少女を背負い、リノはそのすぐ脇、セトは足元ばかり見て何かを測っていた。
誰も間違っていない。
誰もおかしな動きはしていない。
それなのに、目の前の地形と風の流れの中に、昔、死ぬほど見せられた「正しさ」が混じっていた。
「止まれ」
私が低く言うと、先頭のレオンがすぐに身を沈めた。
ガルドも槍を傾け、後続へ止まる合図を送る。
この連中は、そこだけは助かる。
私が足を止める意味を、もうわざわざ訊かない。
「どうした、白百合」
ガルドが囁く。
私は答える代わりに、窪みの外縁を指した。
黒い土を囲うように立つ監視杭、そのさらに外へ細く引かれた白い筋。
遠目には、ただ風で露出した塩の筋にしか見えない。
けれど、置き方が綺麗すぎた。
「封鎖線」
セトが目を細める。
「やっぱり教会か」
「ううん。違う」
私は首を振った。
「封鎖じゃない。あれは、半囲い」
自分で口にした瞬間、喉の奥が冷えた。
半囲い。
白陽騎士団の野外捕縛で、嫌というほど叩き込まれた手順だ。
山道、崩れ谷、湿地の渡し場。
逃げ場が狭い場所で異端を取る時、輪を最初から閉じきってはいけない。
獣も、人も、完全に塞がれると暴れる。
だから一つだけ「助かる口」を残す。
逃げ道に見える細い口。
そこへ追い込み、入ったところで閉じる。
祈祷布の位置。
監視杭の欠け方。
東の裂け目だけが、不自然に白筋の薄いまま残されている。
あれは綻びじゃない。
口だ。
「窪みに入れてから噛む気だ」
私は唇を噛んだ。
「白陽のやり方。たぶん今の教会も、骨組みは同じ」
レオンの隻眼が細くなる。
「中で囲う?」
「そう。入る時は静かに見える。
でも、いちばん荷が重いのが中へ落ちた瞬間、東を閉じて、西から押す」
ガルドが低く唸った。
「性根が腐っている」
「教会だから」
私は即答した。
言ったあと、自分でも少し笑いそうになった。
こんな言い方をしたら、昔の私を知る連中は卒倒するだろう。
でも、本当にそうなのだ。
あの光は、正しい顔で人を囲う。
真正面から斬りに来る狂信者の方が、まだ分かりやすい。
リノがカイルの背中を支えながら顔を上げた。
「ねえ、その半囲いってやつ、もう見られてるってこと?」
「見られてる可能性が高い」
「最悪じゃん」
「最悪だよ」
私はしゃがみ込み、岩と砂の間に残った小さな白粒を拾った。
死塩。
新しい。
しかも、ただ撒いたんじゃない。
踏み込みの浅い場所に寄せてある。
誰かを足止めするためじゃなく、進路を細く見せるための置き方だ。
「ほら、これ」
私は指先を見せた。
「完全に止めたいなら、もっと広く切る。
でもこれは違う。『ここはまだ通れる』って思わせる並べ方」
セトが舌打ちした。
「悪趣味だな」
「白陽式はだいたい悪趣味」
私は吐き捨てる。
「正しい顔で嫌がらせするのが得意だから」
その時、前でカイルが小さく膝をついた。
リノが慌てて肩を支える。
背中の少女は眠っているように見えたが、片翼だけが不安そうにぴくぴく震えていた。
『……やだ』
掠れた声が、風に溶ける。
私は目を閉じそうになった。
嫌だろうな、と一瞬だけ思ってしまったからだ。
白い布、死塩、浄光釘。
あの手のものは、私にとっては訓練の匂いで、あの子にとっては身体を裂く匂いなのかもしれない。
「セリア」
レオンが低く呼ぶ。
「抜け道は」
ある。
あってしまう。
私は窪みの北縁を見た。
そこには、監視杭の円が不自然に途切れた場所がある。
崩れた岩棚に半ば呑まれて、外からだと通れそうに見えない細い筋。
白陽騎士団は昔、ああいう場所をわざと薄くした。
完全に切れない古い監視環の「死角」であり、同時に、隊の内側だけが知る補修路でもあった。
けれど、今の教会がそこまで把握しているとは限らない。
何百年も前の監視環だ。
書類に残っていても、現場の足が覚えているとは思えなかった。
「北縁」
私は指差す。
「あそこの崩れの裏。古い補修路が潰れかけで残ってるはず」
セトが目を凝らし、すぐに頷いた。
「あるな。土の色が違う」
「でも細すぎない?」
リノが顔をしかめる。
「カイルくん、今ふらふらなんだけど」
「だから順番を変える」
全員がこちらを見る。
その視線の重さに、胸の奥が少しだけざわついた。
昔はこの視線が欲しかった。
白陽の旗の下で、正しい指示を出す側に立ちたかった。
今は逆だ。
白陽の癖を、壊すために使っている。
「先に重いのを入れたら、向こうの思うつぼ」
私は言った。
「まず私とガルドで北縁を開ける。セトは後ろで崩れを見ろ。落ちるならそこで止める」
「俺は?」
レオンが問う。
「レオンとリノで、東の裂け目へ一瞬だけ気配を見せる」
リノが目を丸くした。
「囮ってこと?」
「囮というより、予定どおりに見せる」
私は東の白筋を睨む。
「向こうはたぶん、こっちが東から入る前提で待ってる。だからその前提を切らない。
見張りに『来る』と思わせたまま、重心だけ北へずらす」
レオンは短く息を吐いた。
「カイルは」
一番嫌なところだ。
私は振り返る。
熱で荒い息をしながらも、カイルはこっちを見ていた。
顔色は死人みたいなのに、目だけは妙に生きている。
背の少女は、教会の匂いを避けるみたいに彼の首へ頬を押しつけていた。
「最後」
私は言った。
「東に気配を見せて、向こうがそっちへ意識を寄せた瞬間に、北から落とす。
一番最後に、いちばん大事なのを入れる」
「気に入った」
ガルドが牙を見せた。
「腐った囲いは、横から割るに限る」
「割るのはまだ」
私は釘を刺す。
「見つかっても、最初は割らない。押し返すだけ。
中で暴れたら終わる」
セトが眉をひそめた。
「その言い方、ほんとに白陽仕込みだな」
「うるさい」
でも否定はできなかった。
人を壊さず捕るための知識が、こんな形で役立つなんて思っていなかった。
いや、違う。
役立ってなんかいない。
昔の嫌な記憶が、ようやく使い道を見つけただけだ。
その時、窪みの西縁で、ごく短く光が返った。
月光じゃない。
磨いた金具に布越しの灯りが触れた時の、鈍い白。
「いた」
私は反射で呟いた。
東じゃない。
西。
死んだ谷筋の出口寄り。
単独の追跡者を捌くために回した手だ。
思ったより早い。
同時に、東の裂け目の向こうから、風がひとつ上がった。
死塩と石灰の匂いに混じって、じり、と焼けた鉄みたいな熱が届く。
カイルだ。
いや、灰色の剣ごとかもしれない。
「時間がない」
レオンが言う。
「分かってる」
私は立ち上がった。
膝は震えていない。
少し前なら、それが嬉しかっただろう。
今はただ、遅れたくなかった。
「ガルド、来て。北を開ける」
「応」
「リノ、笑ってて」
リノが変な顔をした。
「は?」
「東に見られるなら、怯えてるより、いつものあんたの方がいい。
相手は『予定どおりの護衛』だと思う」
一拍あって、リノは口の端を吊り上げた。
「そういうの、もっと早く言いなさいよ」
「今言った」
「かわいくない!」
その軽口に、少しだけ肩の力が抜ける。
カイルは苦しそうな顔のまま、それでも小さく笑った気がした。
いい。
まだ笑えるなら、まだ壊れてない。
私は剣の柄へ手を置き、北縁の崩れへ走り出した。
背後で、リノの明るすぎる声が東へ流れる。
わざとらしいくらいでちょうどいい。
教会の囲いは、予定どおりを好む。
なら、その予定そのものを餌にしてやる。
白陽の光は、いつだって正しい順番で人を殺そうとした。
だから私は、その順番だけは絶対に守らない。
帝国暦849年。冬。
セリアは `伏土の窪み` の外縁に敷かれた教会式の `半囲い` を見抜き、保護線が東の裂け目から入ると見せかけて、北縁の古い補修路から三位一体の少女とカイルを最後に滑り込ませる手順へ切り替えました。
交差点はついに「向かっている場所」ではなく、「誰がどの順番で入るか」を争う実際の接触寸前へ変わり、伏土の窪みは静かな罠と即席の反転策がぶつかる場へと変わり始めたのです。
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