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泥濘(でいねい)のレクイエム ―英雄の残火と、つぎはぎの神魔―  作者: 堀吉 蔵人
第2部

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第58話:主君の帰還、引きちぎられる運び屋 【カイル】

いつもお読みいただきありがとうございます。感想お待ちしています!

「あ、あのさ」


俺は、泥沼の底で完全に腰を抜かしたまま、震える声で目の前の『それ』を指差した。


「あれ、なんだよ。

……あの銀髪の、目が左右で違うちっこい女の子。

なんで一人で三人分の声出してんだよ。怖いよ、マジで怖いよ!!」


リノという踊り子が投げた石ころが額に命中し、空中で「痛ってぇな!」とアレンという英雄の口調で叫んだかと思えば、数秒後には「あぁ、アレンの剣」と気味の悪い声で笑う。

完全にイカれている。

さっきまで俺たちを解体しようとしていた包帯男ファウストの爆発なんてどうでもよくなるくらい、ヤバい代物が卵から生まれやがった。


「落ち着け、カイル。……俺たちにも、さっぱり状況が分からねえ」


レオンのおっさんが、大剣を握ったまま冷や汗を流している。


「特異点……。

魂の融合による受肉、ですか。なるほど、理屈では分かりますが」


黒い法衣の悪魔ヴェルが、いつもの余裕を完全に崩し、これ以上ないほど露骨に胃の辺りを押さえていた。


その時だった。


『――アァ……。マ、スター。……マスター……!!』


俺の脳内に、あの気味の悪い合成音声が響き渡った。

ドクンッ!! ドグンッ!!

布でぐるぐる巻きにしていた右腕の『灰色の聖剣』が、今までで一番ヤバい脈打ち方をし始めた。


「う、おい、嘘だろ!? お前、こんな時にまで空気読まずに……ッ!!」


ビリビリッ!!


と、俺が巻いていた分厚い防水布が内側からの光で弾け飛んだ。

そして、神の光と泥の闇が混ざり合った灰色の極光が、間欠泉のようにブチ上がり、空中に浮かぶ『銀髪の少女』に向かって、凄まじい勢いで俺の右腕を引っ張り始めたのだ。


「ぎゃああああああッ!? 引っ張るな! 腕が! 腕がちぎれるゥゥゥッ!!」


俺の体は、聖剣の信じられない引力によって、宙に浮き上がりかけた。

剣自身が、「パパとママが帰ってきたァァァ!」とばかりに、本来の持ち主のもとへ全速力で飛んでいこうとしているのだ。俺の右腕ごと!


「馬鹿ッ、カイル!!」


レオンのおっさんが咄嗟に飛びつき、俺の左足にしがみついた。


「セト!

ガルド!

こいつを止めろ!

この異常なマナを持った剣が、生まれたばかりのあの特異点に衝突したら、今度こそ大爆発が起きるぞ!」


「チッ! 『泥縛マッド・バインド』ッ!」

「しゃあねえな! ほらよ、ドブネズミ!」


セト君の魔法で俺の胴体に泥の縄が巻き付き、ガルドのおっさんが俺の右足にガシッと抱きついた。

大人三人がかりで、空へ飛んでいこうとする俺(と聖剣)を必死に泥沼の底に押さえつける。


「い、痛い痛い痛い! おっさんたち、引っ張るなら優しく引っ張って! 俺の体が真っ二つになるゥ!」


俺は空中でバンザイの姿勢になりながら、涙と鼻水を撒き散らして絶叫した。


「四の五の言うな! テメェが気合でその剣を抑え込まねえか!」

「無茶言うなよ! 完全に主導権奪われてんだよ!!」


そんな俺たちの泥沼の綱引きを、空中に浮かぶ銀髪の少女が、不思議そうに見下ろしていた。


『――あー、もう。

俺の剣のくせに、随分とドブネズミのガキに懐いてんじゃねえか。さっさと手放せよ』


少女が、不機嫌そうな英雄アレンの声で鼻を鳴らす。


「手放せるならとっくに手放してるわ、この多重人格の幽霊ッ!!」


俺が半泣きで叫び返した、その瞬間。


『――ふふっ。

大丈夫よ、アレン。腕が邪魔なら、根元から綺麗に切り落としてあげるから……』


少女の左目――底なしの漆黒の瞳が怪しく歪み、その背中から生えた『泥の片翼』が、巨大な刃のように鋭く変形した。

魔王シオンの人格だ。


「ヒッ!?」


『――駄目です、シオン様! カイル君を傷つけてはいけません!』


今度は、少女の右目――黄金の瞳が見開かれ、自らの右手で、振り下ろそうとした泥の左翼をガシッと掴んで止めた。

聖女エリスの人格が、魔王の凶行をギリギリで抑え込んでいる。


右半身と左半身で、信じられない一人相撲が始まった。


「もう何がなんだか分かんねえよ!! 誰か助けてくれェ!!」


俺の右腕の関節が、メキメキと悲鳴を上げる。

レオンたちも泥に足を取られ、限界が近づいていた。


「ええい、鬱陶しいですね!」


その時、ずっと胃を押さえていた黒い法衣の悪魔ヴェルが、ついにキレたように前に進み出た。


ヴェルは宙に浮かぶ少女の目の前まで瞬動すると、無造作に彼女の首根っこを掴み、そのまま俺の目の前までズンッと引き下ろしたのだ。


「いい加減にしなさい、貴様ら!

その器がまだ不完全なことくらい、自身のマナの循環で分かるでしょう!」


ヴェルが、少女に向かって(正確にはその中にいる三人の魂に向かって)冷徹に説教を始める。


「今、その灰色の極光を取り込めば、未成熟な器が耐えきれずに崩壊します! 三人の魂のエネルギーに対して、その幼体の器はあまりにも小さすぎる。成長して器が広がるまで、外部からの大きなマナの流入は自殺行為です! 剣に命令を下して、鎮めなさい!」


ヴェルの凄まじい剣幕に、少女の中の三つの人格が、一瞬だけピタリと沈黙した。


『チッ。相変わらずうるせえ腰巾着だな』


アレンの声で悪態をつきながらも、少女はゆっくりと、俺の右腕で暴れ狂う灰色の聖剣に、その小さな手を伸ばした。


パチャッ。

少女の小さな白い指先が、剣の柄に触れる。


『――!!』


その瞬間、俺の脳内を駆け巡っていた合成音声が、ピタリと鳴り止んだ。

暴風のように吹き荒れていた灰色の極光が、嘘のようにスゥッと収縮し、ただの薄汚れた鉄の剣の姿に戻っていく。


『――俺の手には、まだ大きすぎるみたいだな。

……悪いがドブネズミ。

俺たちが元の身体を取り戻すまで、その不良債権、お前が責任持って預かっとけ』


少女が、カイルの顔を覗き込み、ニシシッとアレンのように笑った。


「は?」


俺は、感覚のなくなった右腕を抱えたまま、間抜けな声を出した。


『――ふふっ。傷つけたら、呪い殺すからね』

『――よろしくお願いしますね、カイル君』


魔王の脅しと、聖女の微笑み。

俺はついに限界を迎え、白目を剥いて泥の上にぶっ倒れた。


帝国暦849年。忘却の荒野。

ただの運び屋だったスラムの少年は、呪われた剣だけでなく、世界で一番厄介で神聖な『神と魔王のキメラ幼女』のベビーシッターという、最悪の役目を押し付けられたのだった。

お読みいただきありがとうございました。次回もお楽しみに!

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