第51話:忘却の荒野、狂犬と灰色の極光 【カイル】
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「おい、喉渇いた。死ぬ。マジで死ぬって」
俺はひび割れた大地に足を取られながら、乾ききった喉から掠れた声を絞り出した。
帝都の西に広がる『忘却の荒野』。
見渡す限り、灰色の砂と枯れ果てた岩山しか存在しない、生命を完全に拒絶した死の土地だ。
大気中のマナすら枯渇しており、魔法使いのセトでさえ、水を生み出す魔法を制限せざるを得ない状況だった。
「泣き言を言うな、カイル。ゼクスの猟犬どもを撒くには、この魔力空白地帯に逃げ込むしかなかったんだ」
先頭を歩くレオンが、油断なく周囲の岩陰に視線を配りながら言った。
「そうは言うけどよぉ……俺の右手、ただでさえクソ重いのに、この荒野に入ってから変に熱を持ってるんだぜ? まるで、見えない敵を探してイライラしてるみたいに」
俺は、分厚い布でぐるぐる巻きにした右手の『灰色の聖剣』を見下ろした。
布越しでも、脈打つような不気味な鼓動が伝わってくる。
神様の光と、魔王の泥。
相反する二つの力が俺の右腕の中でケンカを続けているせいで、俺の体力は常にギリギリまで削り取られていた。
「我慢しろ。……ん? おい、レオン」
最後尾を歩いていたセトが、不意に足を止め、杖を構えた。
「ああ。分かっている」
レオンもまた、背中の巨大な鉄剣に手を伸ばす。
「え……? なんだよ、追手か!? こんな荒野のど真ん中で?」
俺が慌てて周囲を見回した、その時だった。
ヒュウゥゥゥゥゥッ……!
上空から、空気を切り裂く異様な音が降ってきた。
俺が見上げた瞬間、太陽の光を遮るほどの巨大な『黒い鉄の塊』が、俺たちの目の前のひび割れた大地に向かって、隕石のように墜落してきたのだ。
ズドォォォォォォォォンッ!!!
凄まじい砂埃と衝撃波。俺はたまらず尻餅をつき、咳き込んだ。
「ゲホッ、ゴホッ……! な、なんだあれ……棺桶!?」
砂埃が晴れた跡。
そこに突き刺さっていたのは、鎖で何重にも巻かれた、身の丈を優に超える巨大な『鉄の棺桶』だった。
「アァァ、見つけましたよォ。泥ネズミさんたちィ」
棺桶の真上に、いつの間にか一人の男がしゃがみ込んでいた。
顔の半分を薄汚れた包帯で隠し、喪服のような黒い服を着た、異様に細長い男。
その男から放たれる『気配』に、俺は全身の産毛が逆立つほどの悪寒を覚えた。
これまでに帝都の地下で出会った教会の狂信兵や、下水道の暗殺者どもとは次元が違う。
純粋で、底なしの、人殺しの快楽。
「情報部特務室、特別執行官……『葬儀屋のファウスト』か」
レオンが左目を細め、鉄剣を引き抜いた。
「ゼクスの奴、飼い犬じゃ俺たちを止められないと悟って、地下牢から狂犬を解き放ちやがったな」
「アハハッ!
狂犬だなんてェ、酷い言われようだ。私はただ、神の御許へ迷える肉体を『解体』して差し上げるだけの、敬虔な元・司祭ですよォ?」
ファウストが、三日月のように目を歪めて笑う。
そして、その狂った視線を、俺の右腕へとピタリと固定した。
「アァァ……素晴らしい。
本当に、神の光が薄汚い泥に犯されているゥ……。なんて冒涜的で、なんて美しいんでしょう……!」
ファウストは悦楽に身をよじらせると、足元の棺桶を蹴り開けた。
中から飛び出してきたのは、遺体ではない。刃の長さが1メートル以上ある、巨大で歪な『医療用メス』の双剣だった。
「その右腕だけは綺麗に残して解体してあげますからァ! 仲良く棺桶に入りましょうねェッ!!」
ファウストが、重力を無視したような動きで棺桶から跳躍し、双剣のメスを交差させて俺の首元へと迫る。
「カイル、下がれッ!」
レオンが俺の前に割り込み、鉄の大剣でファウストの双剣を正面から受け止めた。
ガキィィィィンッ!!!
火花が散り、強烈な衝撃が荒野を駆け抜ける。
「ホォ……片目の英雄殿。流石の腕力ですがァ、いつまで庇いきれますかネェ!?」
「セトッ!」
レオンが叫んだ瞬間、セトが杖を振り下ろす。
「『爆炎』ッ!」
ファウストの足元から巨大な炎が吹き上がるが、奴は空中で体をあり得ない角度に捻り、無傷で炎を躱して着地した。
「ハハハッ!
魔力空白地帯じゃあ、その程度の火力しか出ませんよねェ、お爺ちゃん!」
ファウストは不気味な高笑いを上げながら、再びレオンへと襲いかかる。
信じられないスピードだ。レオンのおっさんが防戦に回っているのを、俺は初めて見た。
「くそっ、俺も何か……!」
俺が後ずさった、その瞬間。
『――不浄ナル、異端。解体者。排除……排除……!!』
右手の布の下から、再びあの気味が悪い合成音声が俺の脳内に直接響いた。
ドグンッ!! と、右腕が脈打つ。
元・司祭でありながら殺戮を愉しむファウストの「歪んだ魂」に、灰色の聖剣が『極上の獲物』として激しく反応したのだ。
「う、おい、嘘だろ!? またかよ!! 待て、引っ張るなァァァッ!!」
俺の意思とは裏腹に、右腕が勝手に布を食い破り、灰色の極光を吹き上がらせた。
そして、俺の体はまたしても剣に引きずられるようにして、レオンとファウストが切り結んでいる死地のど真ん中へと猛スピードで突っ込んでいく。
「なっ!? カイル、馬鹿野郎!!」
レオンが驚愕して叫ぶ。
「アァ!? 自ら解体されに来るとはァ、感心ですねェ!!」
ファウストが歓喜の声を上げ、俺に向かって巨大なメスを振り下ろそうとした。
だが、灰色の聖剣は、奴のメスを迎え撃つような真似はしなかった。
俺の右腕は、剣の軌道を強引に捻じ曲げ、奴の武器ではなく、奴の足元にある『ひび割れた大地』に向かって、その灰色の光を叩きつけたのだ。
「神様と泥棒の……クソッタレの一撃だァァァッ!!」
俺は半ばヤケクソになって叫んだ。
ズガァァァァァァァンッ!!!
聖剣の浄化の光と、魔王の泥の腐敗が同時に大地に流し込まれる。
荒野の硬い岩盤が『浄化』されて脆い砂に還り、その砂が『腐敗』して底なしの泥沼へと一瞬で変貌した。
「ナッ!?」
体勢を崩したファウストの足元が、突如として生まれた巨大な蟻地獄のような泥沼に飲み込まれる。
「今だレオン! そいつから離れろ!」
セトの怒号が響き、俺とレオンは泥沼の崩落から間一髪で後方へ跳び退いた。
「アァァァッ!? 泥が、私の靴をォォォ……!」
ファウストは自慢のスピードを完全に封じられ、背負っていた重い鉄の棺桶ごと、深さ数十メートルの泥の底へとズブズブと沈んでいく。
「はぁ、はぁ……。やった、か……?」
俺は、右腕の激痛に耐えながら、泥沼の底を見下ろした。
あの狂犬は、棺桶と共に泥の中へ完全に姿を消していた。
だが、俺たちの安堵は数秒で打ち砕かれた。
泥の底から、ボコ、ボコと不気味な泡が立ち上り、地の底から地鳴りのようなファウストの笑い声が響いてきたのだ。
『アハハハハッ!
最高ォ……最高ォに汚らしくて、痛いですねェ……!! 殺し甲斐があるゥ……!!』
泥沼が、内側から爆発するように膨れ上がっていく。
「マズいぞ。あいつ、自分の棺桶を爆破して泥から抜け出す気だ!」
セトが顔を青ざめさせた。
忘却の荒野での死闘は、まだ始まったばかりだった。
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