第48話:白百合の狂乱、トカゲと干し肉 【ガルド】
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帝都の外縁を抜け、灰色の雪が泥に変わる荒野を、俺は南に向かって黙々と歩き続けていた。
「ん、うぅ」
肩に担いでいた荷物――白陽騎士団の生き残りである少女、セリアが微かに唸り声を上げた。
どうやら、俺の魔力で応急処置をした傷がふさがり、意識を取り戻したらしい。
「目が覚めたか、人間の小娘」
俺が声をかけた瞬間。
「――ッ!? 離せ、この不浄なる悪魔ァァァッ!!」
セリアは凄まじい悲鳴を上げ、俺の肩の上で暴れ狂い始めた。
折れていない方の左手で俺の緑色の鱗をガンガンと殴りつけ、挙げ句の果てには俺の首元にガブリと噛み付いてきたのだ。
「いてててっ! 痛いのは俺じゃなくてお前の歯だぞ、馬鹿娘!」
ガキンッ、という嫌な音がして、セリアが「あぐぅッ!?」と涙目で口を押さえた。
水鱗族の鱗は鋼より硬い。人間の、しかも栄養状態の悪い小娘の歯が立つわけがない。
俺はため息をつき、暴れるセリアの襟首を掴んで、比較的灰の積もっていない枯れ草の上にドサリと下ろした。
「痛っ……! き、貴様、私を穢れた泥の中に下ろす気か!」
「文句を言うな。そのまま担いでいたら、お前の顎が砕けていたぞ」
セリアは顔を真っ赤にして怒り狂い、腰に下げていた刃こぼれだらけの短剣を抜いて俺に切っ先を向けた。
しかし、大量に出血した体はボロボロで、立ち上がることもできずに生まれたての子鹿のように足が震えている。
「私を殺せ……!
教会の騎士たる私が、魔族の情けなど受けるものか! ここで殉教し、神の御許へ……!」
「だから、お前たちの神様はお留守だと言っているだろうが」
俺は腕を組み、冷たく言い放った。
「嘘だ! 光の神は絶対だ! 異端の魔族が、神の威光を貶めるなッ!」
セリアが血走った目で叫ぶ。
俺は無言で、彼女の背後――遥か北の空を指差した。
「見ろ」
セリアがフラフラと振り返る。
そこには、かつて白銀に輝いていた帝都の姿はない。
あるのは、巨大なすり鉢状のクレーターと、天を覆い尽くす灰色の雲だけ。
彼女が信じていた大聖堂も、教皇も、すべてがあの大穴の底で原初の炎に焼かれ、灰に還ってしまったのだ。
「あ……あ」
短剣が、カランと音を立てて乾いた地面に落ちた。
「嘘、嘘だ……。大聖堂が……私たちの、光が」
セリアはその場にへたり込み、両手で顔を覆った。
「帝都は終わったんだ。
英雄も、魔王も、神様も、みんなあの灰の底に消えちまった。
……お前が殉教しようにも、もうお前を褒めてくれる司祭様は一人も生き残っちゃいないんだよ」
俺の言葉は残酷だったかもしれない。だが、これが現実だ。
狂信という名の呪いから解き放たれるには、一度その心が完全に折れるのを見届けるしかない。
アレンという男が、かつてエリスという小娘にそうしたように。
「殺せ」
セリアが、うわ言のように呟いた。
「光がないなら、私には生きる意味がない……。お願いだ、悪魔。私を殺してくれ」
誇り高き騎士の顔は見る影もなく、ただ絶望に染まった子供がそこで泣いていた。
俺は頭を掻きむしった。
本当に、どいつもこいつも面倒くさい。なんで俺が、人間の小娘の人生相談に乗らなきゃならないんだ。
その時だった。
『――きゅるるるるるるるぅぅぅぅぅ』
絶望の静寂を切り裂いて、とてつもなく間の抜けた、巨大な腹の鳴る音が響き渡った。
……。
俺とセリアの間に、気まずすぎる沈黙が流れた。
「ち、違う!
今のは悪魔の呪いだ! 私の胃袋が、不浄な空気に当てられて悲鳴を……!」
セリアは涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔を、今度は羞恥で真っ赤に染め上げ、必死にお腹を押さえて弁明した。
「殉教するにも、腹が減ってちゃ死にきれねえだろ」
俺は呆れ返りながら、腰の袋から布に包んだ『干し肉』を取り出し、彼女の膝元に放り投げた。
「な、なんだこれは! 毒か! 私を毒殺して泥に還す気だな!」
「ただの沼トカゲの干し肉だ。食わなきゃ餓死するぞ」
「ふん! 誰が魔族の施しなど……!」
セリアはプイッとそっぽを向いたが、干し肉から漂う香ばしい匂いに、彼女の鼻がピクピクと動いているのを俺は見逃さなかった。
数秒の葛藤の末、彼女は震える手で干し肉を掴み、犬のようにガブッと食いついた。
「ッ!? な、なんだこれは、悔しいが美味しい……!」
「よく噛んで食え。骨が喉に刺さるぞ」
あっという間に干し肉を平らげたセリアは、口の周りを汚したまま、俺をキッと睨みつけた。
「勘違いするなよ、悪魔。
私は光の意志を継ぐ者として、生き延びて貴様ら不浄を根絶やしにする義務がある。
……だから、一時的に貴様の食料を利用してやっているだけだ!」
「はいはい。立派な心がけだな」
「私が完全に回復するまで、貴様を監視する! 背中を見せたら、いつでもその首を掻き切ってやるからな!」
セリアは拾い上げた短剣を俺に突きつけながら、キャンキャンと吠えた。
「勝手にしろ。
ただし、俺は南の湿地帯に帰る。ついてくるなら、お前のその短い足で必死に歩くんだな」
俺は肩をすくめ、再び南へ向かって歩き出した。
「ま、待て! 私を置いていくな、このトカゲ野郎!」
背後から、足を引きずりながら必死についてくる小娘の足音が聞こえる。
殺意と信仰心と空腹を抱えた、最高に面倒くさい荷物。
俺は思わず、トカゲの口を歪めて笑ってしまった。
「アレン。お前が残した『厄介な後始末』、俺も一つ引き受けちまったみたいだぜ」
帝国暦849年。
光を失いながらも生きることを選んだ狂信の少女と、お節介なトカゲの戦士。
決して交わるはずのなかった二人の、騒がしくも奇妙な旅が、荒野の風の中に響いていた。
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