第42話:神を嗤う泥棒、聖剣屈服 【アレン】
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「シオンッ!!」
俺の絶叫は、崩落する地下宮殿の轟音と、彼女が放つ耳を劈くような魔力爆発にかき消された。
視界を覆い尽くすのは、暴走した漆黒の泥と、原初の残り火がもたらす黄金の炎。
その中心で、六対の悍ましい泥の腕を振り回し、天井を叩き割っている巨大な化け物。
それが、数分前まで俺の膝で微睡んでいた、俺の罪の象徴――シオンだった。
(……俺のせいだ)
俺は、暴風に煽られて壁に叩きつけられながら、血を吐き捨てた。
俺が彼女をこんな姿にした。
俺が彼女から人間としての生を奪い、こんな冷たくて暗い地下に縛り付けた。
ミナが俺を刺そうとしたのは当然だ。俺は死んで詫びるべきだった。
だが、シオンは狂った魔王の本能をねじ伏せてまで、俺の背中を庇ってその刃を受けたのだ。
「アァァァ……アレン……! アレン!!」
泥の化け物が、俺の名前を泣き叫びながら、無差別に破壊を撒き散らしている。
もう、かつての魔族を統率していたような理知的な魔王ですらない。ただ、俺を失う恐怖だけで暴走する、哀れで巨大な破壊衝動。
俺は、刃こぼれした鉄剣を杖代わりに立ち上がった。
このまま俺が死ねば、彼女の暴走は止まらない。
あの莫大な質量を持った泥の海は地上へと溢れ出し、エリスのいる南の地まで世界を飲み込むだろう。
「待ってろ。今、止めてやる」
俺は足を引きずり、絶望的な質量の前へ歩み出た。
だが、手にある鉄剣は、彼女の放つ熱波に触れただけで飴細工のように溶け落ちていく。
力がない。
数年前、世界を救ったあの白銀の光は、とうの昔に俺の手から離れてしまった。
今の俺は、ただの無力な大泥棒に過ぎない。
その時だった。
「うおおおぉぉぉぉぉぉッ!! 誰か止めてくれェェェェッ!!」
崩壊した天井の巨大な風穴から、情けないガキの絶叫と共に、太陽を凝縮したような『まばゆい光』が真っ逆さまに降ってきたのだ。
「なっ」
俺は目を疑った。
落ちてきたスラムの少年の右手に握りしめられているのは、俺が帝都の広場に突き刺して捨てたはずの、あの『聖剣』だった。
剣は、真下に渦巻く魔王の泥を「浄化すべき絶対悪」と認識し、持ち主の少年を引きずりながら、猛烈な勢いでシオンの脳天へ突き刺さろうとしている。
「やめろォォォッ!!」
俺は、無意識のうちに地を蹴っていた。
あの光がシオンに触れれば、彼女は今度こそ、魂ごと完全に消滅させられてしまう。
俺は瓦礫を足場にして跳躍し、空中で少年の腕から、無理やりその剣の柄を奪い取った。
少年は悲鳴を上げて俺の手から離れ、後から降ってきたレオンとセトの魔法によって空中で受け止められるのが見えた。
「レオン! セト! そのガキを連れて下がれ!!」
俺が叫んだ直後。
『――不浄なる者よ。我が光に触れるな』
数年ぶりに握った聖剣から、俺の脳内に直接、神の傲慢な声が響いた。
瞬間、俺の右手がバチバチと音を立てて焼け焦げる。
聖剣は、泥と大罪に塗れた俺を「所有者」として拒絶し、俺の腕から逃れようと凄まじい反発力を生み出していた。
(……痛いか? 熱いか?)
俺は空中で、焼け焦げる自分の右手を、さらに強い力で柄に押し付けた。
骨が軋み、肉が焦げる臭いが鼻を突く。
だが、あの時……シオンが俺のために心臓を貫かれた痛みに比べれば、こんな神様の癇癪など、小鳥の囀り以下だ。
『――罪深き泥棒よ。
悔い改めよ。
光にひれ伏し、あの醜き闇を浄化せよ。さすれば、再び勇者として……』
「黙れ」
俺は空中でシオンの放つ巨大な泥の波を躱しながら、聖剣に向かって低く、地の底から這い出るような声で吐き捨てた。
「誰が浄化してくれと頼んだ。……誰が、勇者に戻してくれと頼んだ!」
俺の全身から、この数年間、シオンと共に地下で溜め込み続けた『黒いマナ』が爆発的に噴き出した。
それは、エリスを救うために世界を裏切った俺の「執念」であり、シオンを化け物に変えてしまった俺の「絶望」。
人間の最も醜い、泥のような感情の奔流。
「お前は、エリスを救えなかった。
……お前は、シオンも救えなかった!
綺麗事で誰も救えないなら、神様の光なんてただのゴミだ!!」
『――な、に……!? 不浄が、我を……侵食す、る……!?』
聖剣の白銀の光が、ビキビキと悲鳴を上げて明滅し始めた。
俺は、焼け焦げた右腕から、自分の血と泥の魔力を、強引に聖剣の刃へと流し込んだ。
神の理など知るものか。
俺は世界を救うためにこの剣を振るうのではない。
俺が愛した、俺を愛してくれた、一人の狂った女を「ぶん殴って止める」ためだけに、この暴力を使うのだ。
「神様。俺の『泥』に、屈服しろッ!!」
パァァァンッ!!!
聖剣の刀身を覆っていた純白のオーラが、ガラスのように砕け散った。
代わりに刃から噴き出したのは、俺の黒いマナと、聖剣の光が混ざり合った、禍々しくも美しい『灰色の極光』。
神の武具が、一人の泥棒の凄まじいエゴによって、完全に犯され、ねじ伏せられた瞬間だった。
「シオンッ!!」
俺は、灰色の光を纏った大剣を上段に構え、暴走する巨大な泥の化け物の正面へと着地した。
彼女の六対の腕が、俺を粉砕しようと四方八方から襲いかかってくる。
「アアァァァッ!! キエロォォォッ!!」
「ああ。
もうどこにも行かない。俺はお前と、ここで泥をすするって決めたんだ!」
俺は、シオンの泥の腕を『灰色の聖剣』で次々と斬り飛ばしながら、彼女の本体――核がある左胸へと真っ直ぐに突進した。
浄化はしない。殺しもしない。
ただ、この剣で彼女の暴走するマナだけを削り落とし、もう一度その冷たい体を抱きしめるために。
帝国暦849年。
かつての白銀の英雄は、完全に「灰色の魔王の伴侶」として覚醒した。
神を嗤い、理を砕いた男の、泥だらけの反逆が今、幕を開ける。
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