第37話:泥の底への道連れ、脈打つ柩 【カイル】
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「おい、おっさん。この階段、いつまで続くんだよ」
俺は、苔むした石段を降りながら、べっとりと壁にこびりついた泥を避けて文句を垂れた。
帝都の地下深層。
かつての下水道をさらに抜け、古代の遺跡めいた巨大な縦穴を、俺たちは螺旋状に延々と下り続けていた。
背中の『細長い箱』は、最初は不思議と軽く感じたのに、深く潜れば潜るほど、まるで鉛を詰めたみたいにズッシリと重みを増してきている。
「文句を言うな、坊主。息を乱せば、暗闇に潜む『不浄狩り』の犬どもに見つかるぞ」
前を歩く眼帯のおっさん――レオンが、油引きされた松明を掲げながら低く答えた。
「つーか、なんであんたらが俺に付いてくんだよ! この荷物は俺が依頼された仕事だぞ!」
「勘違いするなよ、泥街のネズミくん。俺たちはお前の護衛をしてるんじゃない。お前が背負ってるその『厄介極まりない鉄クズ』が、変な連中の手に渡らないよう見張ってるだけだ」
最後尾から、杖をついた小柄な男が皮肉たっぷりに笑った。
セトと名乗ったその少年は、大きすぎるローブを着て、腰に怪しげな薬瓶をジャラジャラとぶら下げている。
魔法使いらしいが、帝都の綺麗な魔術師とは似ても似つかない、胡散臭い雰囲気だ。
「セト。あんた、やっぱりこれが『アレ』だと?」
レオンが松明の火を揺らしながら、振り返らずに尋ねた。
「あのイカれた特務室長が、態々スラムのガキを使ってまで『一番下』へ送り届けようとするモンなんて、一つしかねえだろ。……数年前、あの馬鹿野郎が帝都の広場に捨て置いていった、世界で一番綺麗な『ゴミ』さ」
セトの言葉の意味が、俺には全くわからなかった。
だが、彼らが口にする「あの馬鹿野郎」という言葉には、深い呆れと、隠しきれない親愛の情がこもっていることだけは分かった。
「止まれ」
不意に、レオンが立ち止まり、背中の無骨な大剣の柄に手をかけた。
「なんだよ、急に」
「静かにしろ。……上がってくるぞ。光の臭いが強すぎる」
セトが舌打ちをし、懐から硝煙の臭いがする瓶を取り出した。
螺旋階段の下方、真の暗闇の中から、カチャ、カチャ、と金属が触れ合う音が聞こえてきた。
やがて、松明の明かりが照らし出したのは、真っ白な鎧を着た三人の巨漢だった。いや、人間じゃない。
鎧の隙間から溢れ出しているのは、異常に肥大化した青白い肉体と、理性を失った狂気の瞳。
「異端審問局の『狂信兵』か。
教会の連中、泥の魔毒に対抗するために、自軍の兵士まで化け物に改造しやがったな」
レオンが、左目の残された瞳を細め、大剣を静かに引き抜いた。
「ジ、ジョウカ……ス、ル……フジョウ、ナル、モノ……!」
狂信兵の一人が、常人の倍はある大槌を振り上げ、咆哮と共に階段を駆け上がってきた。
「坊主、下がってろ!」
レオンが地を蹴り、階段を一段飛ばしで跳躍した。
かつての騎士が持つような洗練された剣術じゃない。
それは、泥を這いずり、ただ生き残るためだけに最適化された、泥臭く暴力的な一撃。
分厚い鉄板のような大剣が、狂信兵の大槌を正面から叩き割り、そのまま巨体の胴体を薙ぎ払った。
「す、すげえ」
俺は腰を抜かしそうになりながら、壁際に張り付いた。
「よそ見してんじゃねえぞ、ガキ!」
セトの怒号が飛び、俺の頭上を越えて薬瓶が飛んでいく。
パァァァンッ! という爆音と共に、残る二体の狂信兵の顔面で強烈な閃光と毒煙が炸裂した。
「ガァァァァッ!!」
怯んだ隙を突き、レオンが容赦なく二体の首を刎ね飛ばす。
あっという間の出来事だった。この二人、只者じゃない。
「ふう。片付いたか」
レオンが大剣の血を振り払い、息を吐いた。
だが、その時だった。
俺の背中の箱が、ドクンッ!! と心臓のように大きく脈打ったのだ。
「うわっ!?」
あまりの強い鼓動に、俺はバランスを崩し、階段の縁から身を乗り出してしまった。
「カイル!」
レオンが手を伸ばすが、届かない。
俺の体が宙に浮き、底なしの暗闇へと真っ逆さまに落ちていく。
(……終わった)
死を覚悟した瞬間。
背中の箱を縛っていた鎖が、内側からの『強烈な光』によって弾け飛んだ。
分厚い防水布が破れ、中から姿を現したのは――まばゆい白銀の光を放つ、一本の美しい『聖剣』。
『――拒絶するな。我を、握れ』
脳内に、直接声が響いた。
有無を言わさぬ、絶対的な威圧感。俺は無意識に、宙を舞うその剣の柄を掴んでいた。
瞬間、俺の体から光の羽根のようなマナが噴出し、落下の勢いが完全に殺された。
俺は羽毛のようにふわりと、数十メートル下の踊り場へと着地したのだ。
「なんだ、これ」
俺は、自分の手の中で太陽のように輝く聖剣を見て、唖然とした。
上の階から、レオンとセトが急いで階段を駆け下りてくる。
「おい、坊主! 無事か……って、おい」
セトが、俺の手の中にある剣を見て、顔を引きつらせた。
「冗談だろ……。神様ってのは、本当に節操がねえな」
「聖剣が、ただのスラムの少年に反応したというのか?」
レオンもまた、信じられないものを見るように俺を見下ろしていた。
「あ、あんたら、これ……ただの荷物じゃなかったのかよ!」
俺は慌てて聖剣を手放そうとしたが、剣は俺の掌に吸い付くように離れない。
「諦めな、カイル。その剣(神様)は、一度目をつけたら絶対にしつこいぜ」
セトが頭を掻きむしりながらため息をついた。
「どうやら、ただの『運び屋』じゃ済まなくなりそうだな。お前自身が、その剣の新しい『鞘』に選ばれちまったのかもしれねえ」
「鞘……? ふざけんな、俺はこんなもん頼んでねえぞ!」
「俺たちに喚いても仕方がない。……それをどうするかは、一番下にいる『元の持ち主』に直接聞きな」
レオンが、さらに奥深くへと続く暗闇の階段を指差した。
帝国暦849年。
帝都の泥の底へ向かう俺の背中には、もう得体の知れない箱はない。
代わりに、俺の右腕には、世界で最も美しく、最も残酷な『神の光』が、呪いのように固く握りしめられていた。
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