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泥濘のレクイエム ―英雄の残火と、継ぎ接ぎの神魔―  作者: 堀吉 蔵人
第2部

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36/59

第36話:泥濘の鳥籠、研がれる反逆の刃 【ミナ】

ダークファンタジー群像劇『泥濘のレクイエム』、毎日20時更新中です。

光の届かない、大陸の最深部。

かつて魔族たちが築き、今は打ち捨てられた広大な地下宮殿。


そこには、一年中ひんやりとした泥の匂いと、静寂だけが満ちています。


私は、お盆に冷たいお茶を乗せ、足音を殺して玉座の間へと入りました。


「ふふっ。

ねえ、アレン。

貴方の髪、また少し伸びたわね。泥に汚れて、真っ黒。……私の翼と同じ色」


甘く、そしておぞましい声が、薄暗い空間に反響します。

玉座に浅く腰掛けているのは、漆黒の翼をだらりと垂らした魔王――シオン様。

そして、その足元にある冷たい石の床に座り込み、彼女の膝に頭を預けているのは、かつて英雄と呼ばれた男、アレンです。


「ああ。そうだな」


アレンは、虚ろな声で短く答えます。

シオン様が、黒く染まった長い爪でアレンの髪を梳き、彼の首筋を撫で回しています。


時折、その爪が彼の肌を傷つけ、微かに血が滲んでも、アレンは痛がる素振りすら見せません。

彼はただ、薄汚れ、生気を失った瞳で、虚空を見つめているだけ。

まるで、己の魂をとうの昔にどこかへ捨ててきてしまった、空っぽの抜け殻のように。


私は、奥歯を強く噛み締めました。


(……反吐が出る)


私の主であった、あの優しく慈悲深いシオン様は、数年前のあの日、この男の身勝手な愛のために命を奪われました。

今、目の前でこの男を愛撫しているのは、シオン様の肉体と記憶を継ぎ接ぎにしただけの、醜悪な化け物です。


「ミナ。お茶かしら。ご苦労様」


魔王が、私に気づいて微笑みました。

その笑顔は、かつてのシオン様と瓜二つ。だからこそ、余計に私の心を残酷に抉るのです。


「はい、シオン様。喉を潤してくださいませ」


私は感情を完全に殺し、恭しくお盆を差し出しました。


「ありがとう。……アレン、貴方も飲む?」

「いや。俺はいい」


アレンがゆっくりと身を起こし、シオン様から少しだけ距離を取りました。

その瞬間、シオン様の瞳に、ドロリとした濃密な『闇』が渦巻くのを私は見逃しませんでした。


「どうして離れるの?」

「少し、冷えるだけだ」


「嘘。貴方はまだ、あのエリスのことを考えているのね?」


シオン様がアレンの胸ぐらを掴み、その細い首を締め上げました。


「私を選んだくせに。

私の泥の中に堕ちたくせに!

まだ光を忘れていないの!

? 貴方の罪は私よ! 貴方の世界は、私だけでいいはずよ!!」


ギリギリと、アレンの首の骨が鳴ります。

息ができず、彼の顔が苦痛に歪みますが、彼は決して抵抗しません。

彼女が暴走するたび、アレンはこうして自らの肉体を差し出し、彼女の憎悪と愛の捌け口になることで、魔王の力が地上へ向かうのを食い止めているのです。


それが、この数年間、彼が自分に課した『罰』。

愛するエリスを救った代償として、自らを化け物の餌にし続けるという、身勝手で自己満足な贖罪。


「申し訳ありません、シオン様。アレン様は少しお疲れのようです」


私は静かに声をかけ、二人の間に割って入りました。

シオン様はハッと我に返ったように手を離し、「ごめんなさい、アレン……私、また」と涙を流して彼にすがりつきました。


狂っています。

この鳥籠の中は、完全に狂気に支配されている。


アレンは、咳き込みながらも、泣きじゃくる魔王の背中を、不器用な手でゆっくりと撫で始めました。

そこに愛はありません。


ただ、取り返しのつかない罪悪感と、終わりのない絶望だけが横たわっていました。


私は玉座の間を辞し、自分の冷たい自室へと戻りました。

分厚い扉を閉めた瞬間、それまで抑え込んでいた怒りがマグマのように溢れ出します。


「アレン。この、薄汚い泥棒が」


私は自室の隠し床を外し、厳重に布に包まれた一本の短剣を取り出しました。

それは、かつて黒土教の祭祀で使われていた、魔力を完全に断ち切る『絶魔の刃』。


アレンは、自分を罰しているつもりなのでしょう。

化け物となったシオン様に寄り添い、一生を日陰で終えることが、自分の責任の取り方だと酔っているのです。

でも、そんなものは偽善です。

彼が生きている限り、シオン様の肉体はあの魔王という呪縛に囚われ、永遠に泥の中で辱めを受け続ける。


「シオン様。

……本当の貴女は、あんな男にすがりついて泣くような、惨めな方ではなかった」


私は、短剣の冷たい刃を指でなぞりました。

殺さなければ。

あの男を。あるいは、あの化け物を。

私がこの手でどちらかの命を絶ち、この狂ったまま凍りついた鳥籠を破壊しなければ、シオン様の魂は永遠に救われない。


「待っていてください、シオン様。……私が必ず、貴女を『土』へと還して差し上げます」


私は短剣を懐に深く忍ばせ、再び冷たい無表情の仮面を被りました。

誰にも気づかれてはいけない。

魔王軍の参謀ヴェルにも、あのアレンにも。

ただ一撃、確実に心臓を貫くその瞬間まで、私は従順な侍女を演じ続ける。


帝国暦849年。大陸深層、地下宮殿。

静まり返った泥の底で、たった一人、愛する主を殺す(すくう)ための反逆の刃が、ひっそりと研ぎ澄まされていました。

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