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泥濘のレクイエム ―英雄の残火と、継ぎ接ぎの神魔―  作者: 堀吉 蔵人
第2部

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35/58

第35話:盲目の聖女と、泥の巡礼 【エリス】

いつもお読みいただきありがとうございます。感想お待ちしています!

「土へ還り、泥に抱かれ、また新たな芽吹きとならんことを」


私は、熱に浮かされ苦しむ村人の額に、湿った黒土を優しく塗り込みました。

帝都から遥か南、光の教会の目も届かない辺境の貧村。


ここでは、高価なポーションや司祭の奇跡など望むべくもありません。あるのは、大地に根ざした泥臭い命の循環だけ。


私の手から流れ出る微かなマナが、土を通じて村人の乱れた呼吸を落ち着かせていきます。

かつて、私が生きるために命を奪ってしまった少女――シオン様が使っていた『魂を縫う』秘術。


私がそれを使えるようになった理由は、はっきりとは分かりません。


ただ、魂縫の儀のあの瞬間――私の魂を現世に繋ぎ止めるためにシオン様が命を注いだあの時、彼女の生命力だけでなく、魂の一部も私の中に宿ったのだと思います。

私の指先が土を撫でるたび、彼女の声が聞こえるような気がするのです。「こう縫えばいい」「ここを繋げばいい」と、土を通じて囁いてくる。

それは技術というよりも、彼女の祈りの残響。私を生かすために使い果たされた、シオン様の最後の愛情の欠片が、今も私の中で脈打っている。


もしかすると、私の心臓が動くたびに、私の中に残る彼女の魂の欠片が、土の記憶を教えてくれているのかもしれません。


「おお、熱が下がった……! ありがとうございます、聖女様……!」


村人の家族が、泥だらけの地面に頭を擦りつけて泣き崩れます。


「顔を上げてください。私は、聖女などではありません。ただの、罪深い巡礼者です」


私は目を閉じたまま、静かに首を振りました。

数年前のあの日から、私は意図的に目を閉じて過ごすようになりました。本当に視力を失ったわけではありません。ただ、この世界を「光」で見ることを、やめたのです。

アレンが光を捨て、泥の底へ落ちていったのなら。

私だけが、綺麗な景色を見て、太陽の下を歩くことなんて絶対にできないから。


「エリスさん。

そろそろ出発の時間だよ。帝国の巡回兵が来る前に、次の谷を越えないと」


背後から、タンバリンの微かな音が鳴り、リノさんの声が聞こえました。

数年経ち、少し大人びた彼女の声には、かつての底抜けの明るさの中に、静かで強い覚悟が宿っています。


彼女もまた、アレンという男に人生を狂わされ、それでもなお、私と共に泥の道を歩くことを選んでくれた大切な「相犯者」です。


「ええ、行きましょうか。リノさん」


私は立ち上がり、質素な黒い布を深く被りました。

私たちの周りには、数十人の集団が付き従っています。彼らは、帝国から異端として追われる『黒土教』の生き残りたち。

彼らは、シオン様の力と記憶を宿す私を「新たな聖女」として崇め、私たちが目指す果てしない旅路を護衛してくれています。


「ねえ、エリスさん」


谷へ向かうぬかるんだ山道を歩きながら、リノさんがぽつりと呟きました。


「時々、思うんだ。

アレンの馬鹿野郎は、今頃あの暗い地下で、魔王になったシオン様と何を話してるんだろうって。

……後悔してるのかな。

それとも、まだ意地張って、笑いもしないで地獄の番人をやってるのかなって」


リノさんの声が、微かに震えていました。

彼女はずっと、アレンを殴り飛ばしてでも連れ戻したかったはずです。でも、彼は私を選び、そして私を置いていきました。


「アレンは、泣いているわ」


私は、目を閉じたまま、北の遥か彼方――帝都の地下を想いました。


「彼は、自分の罪をひとときも忘れない人だから。

シオン様を化け物に変えてしまった自分を、ずっと罰し続けているはずよ」


だからこそ、私は行くのです。

彼がこれ以上、自分をすり減らして完全に壊れてしまう前に。


「私は、アレンを赦さない。彼が犯した罪も、私を置いていった身勝手さも」


私の足元で、泥がぐちゃりと音を立てました。


「でも、誰も彼を赦さないなら、せめて私だけは、彼のその『泥』を肯定してあげたい。


……あなたが泥棒に成り下がってまで盗み出した命は、今、ここで確かに土を踏みしめて生きていると。それを伝えるために」


私の目的地は決まっています。

帝都の真下。かつて彼が魔王と共に消えた、誰も生きては帰れない『底なしの大穴』。


数年越しの、私たちの愛の精算。

待っていてね、アレン。


あなたが落とした泥を、私が全部拾い集めて、あなたのもとへ届けるから。


帝国暦849年。南の辺境。

黒衣の聖女と踊り子を先頭にした異端の巡礼の列は、静かに、しかし確かな熱を帯びて、北を目指して進み続けていました。

お読みいただきありがとうございました。次回もお楽しみに!

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