表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
泥濘のレクイエム ―英雄の残火と、継ぎ接ぎの神魔―  作者: 堀吉 蔵人
第3章 黒土の祈りと、泥濘の帝都

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

28/57

第28話:白陽の墜落、泥濘の処刑 【カシウス】

ブックマーク・評価いただけると、とても嬉しいです。毎日20時更新!

「アレン、行け。……この男は、私が『泥』にしてやる」


魔王シオンが、去りゆくアレンの背中に向かって、慈愛に満ちた、狂気的な声を投げかけた。

アレンは一瞬だけ足を止め、振り返ることなく、ただ重苦しく呻くようにして闇の向こうへと消えていった。

英雄が、自分を救うために犠牲にした少女と、その結果産まれた怪物を置き去りにして逃げる。その無様な背中こそが、帝国の嘘が崩壊した瞬間だった。


私――異端審問官カシウスは、この湿った洞窟の奥で、自身の信仰が試されていることを悟った。

幼い頃、飢饉で両親を失い、教会の孤児院に拾われた私は、光の教えだけを糧に生きてきた。泥は不浄。闇は邪悪。光だけが正義。その単純で美しい教義が、私の背骨であり、私の剣であり、私のすべてだった。


だが今、目の前に立っているのは、その教義では説明がつかない存在だった。

かつての聖女が纏う闇は、単なる邪悪ではない。歪んではいるが――あれは紛れもなく「愛」だ。泥にまみれた、おぞましい愛。


認めるわけにはいかない。認めたら、私の半生が嘘になる。


「貴様ぁぁッ!! 騎士団、突撃せよ!!」


私の号令に合わせ、精鋭たちが一斉に魔王へと斬りかかる。

二十名の騎士たち。一人ひとりが私と同じように教会で育ち、光を信じ、この瞬間のために命を捧げてきた者たちだ。

しかし、それは戦闘ですらなかった。


ドロリ、と。

床から噴き出した黒い茨のような泥が、騎士たちの足を、腕を、胴体を一瞬で絡めとった。


「ギ、ギャァァァァッ!!」

「熱い、身体が……溶ける……ッ!!」


光の鎧など紙細工に等しかった。

泥に触れた箇所から、騎士たちの肉体は急速に腐敗し、文字通り『土』へと還っていく。悲鳴はすぐに、湿った土が崩れるような音へと変わった。


「ヒィッ……あ、ああ」


さっきまで隣にいた副官が、一瞬で泥の塊と化したのを見て、私の誇りは音を立てて砕け散った。

杖を持つ手がガタガタと震える。


逃げようと足を踏み出したが、私の足もまた、すでに膝まで黒い泥に飲み込まれていた。


「神を語る者よ。お前たちが否定し続けたこの『泥』が、どれほど温かいか、教えてやろう」


魔王シオンが、優雅な足取りで私に近づく。

その顔には、かつての聖女の慈悲深い微笑みが張り付いたままだった。それが、何よりも恐ろしかった。


「や、やめろ……来るな! 私は、私は神に選ばれた……!!」


「神?

ああ、あの空っぽの光のことか。あんなものは、腹の足しにもならぬ」


彼女の冷たい指先が、私の頬に触れた。

触れられた場所から、魂が内側から腐り落ちていく感覚が走る。

私は絶叫しようとしたが、喉の奥まで黒い泥がせり上がってきて、声が出ない。


「アレンは、私を選んだのだ。

……お前たちのような綺麗な嘘ではなく、この汚くて、愛おしい泥を選んだのだよ」


魔王の瞳が、悦びに細められる。

彼女の指が、私の眼窩がんかへと深く、ゆっくりと沈み込んでいった。


「グ、ギ……ギィィィィッ……!!」


眼球が潰れ、視界が真っ黒な泥に染まる。

激痛なんて言葉では足りない。


自分の存在が、一滴の雫となって、巨大な泥の海に溶けていくような、耐え難い自己の喪失。


「さあ、還るがいい。お前が蔑んだ、この大地の底へ」


魔王シオンが手をかざすと、私の足元の泥が巨大な口を開けた。

私は生きたまま、自分の細胞一つ一つが腐り、土へと分解されていく感覚を数分間にわたって味わい続け――。

最後は、泥濘の中に這い出そうとした指先一本だけを残して、完全に飲み込まれた。


帝国暦846年、肥沃な泥濘。

帝国の誇り、異端審問局の精鋭二十名は、一人の生存者も残さず消滅した。

後に残されたのは、かつて聖堂だった場所に広がる、どす黒い静寂の泥沼だけ。


そして、その泥の中央で、魔王となった少女は、アレンたちが去った闇をじっと見つめ、幸福そうに、残酷に、独りごちた。


「待っているよ、アレン。私の愛しい、泥棒さん」

ここまでお付き合いいただきありがとうございます。ブックマーク・評価もぜひお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ