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泥濘のレクイエム ―英雄の残火と、継ぎ接ぎの神魔―  作者: 堀吉 蔵人
第3章 黒土の祈りと、泥濘の帝都

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第27話:魂の代償、泥に咲く魔の華 【シオン】

お読みいただきありがとうございます。毎日20時に更新しています。

地下の静寂を切り裂き、泥に塗れた「執念」が私の前に現れました。


土の扉が開き、なだれ込んできたのは、血と硝煙、そして凍てつく冷気を纏った一行。

その中心に立つ男――アレンと呼ばれたその人を見た瞬間、私は自分の魂が震えるのを感じました。

彼は、歩く死体でした。

左肩は肉が削げ、全身の皮膚は雪焼けと泥でただれ、瞳には光の一片も宿っていない。ただ、背負った巨大な氷の棺だけを「自分の命」そのものであるかのように抱え込み、私の前に崩れ落ちるようにして膝を突いたのです。


「あなたが……魂を縫う……聖女か」


その声は、地獄の底から響くような掠れた音でした。

彼の仲間たちが入り口で必死に追っ手を食い止めている咆哮が聞こえます。


けれど、彼は背後の戦いになど一瞥もくれず、ただ私だけを凝視していました。


「いかにも、泥の中に生きる異端の娘、シオンです」


私は彼の傍らに寄り添いました。

彼が背嚢から取り出したランタンの中では、まばゆい『原初の残り火』が脈打っています。


そして、開かれた棺の中には、死を固定された美しい娘――エリス。


「解いてくれ……。

この残り火で氷を融かす。

その瞬間に、お前の力で、こいつの魂を肉体に……縫い付けてくれ」


「その儀式、不可能ではありません。ですが、アレン様」


私は、彼の泥だらけの手を優しく包み込もうとしました。

けれど、私の言葉を遮るように、後ろで控えていたミナが叫んだのです。


「シオン様、いけません! おっしゃってください、本当のことを! その儀式は、解呪の『熱』を制御し、逃げようとする魂を自分の命の緒で繋ぎ止めるもの……。


儀式を完遂すれば、シオン様、貴女の魂は空っぽになり、代わりにあちらの娘が目覚める。……それは、貴女の『死』を意味するのですわ!」


ミナの言葉が地下の聖堂に反響し、アレンの動きが止まりました。


「死ぬ……? 聖女が、身代わりになるというのか」


アレンの瞳に、激しい動揺が走りました。

彼はかつて、世界を救うために己を犠牲にした英雄です。


他人の命を奪って誰かを救うなど、彼の本質が最も拒絶する行為のはずでした。


「アレン様。

ミナの言う通りです。

私の命は、大地に繋がれた借り物に過ぎません。

それを今、この娘さんに譲る……。それが黒土の聖女としての、最後のお役目だと思っております」


私は微笑みました。


嘘ではありません。私は、この泥臭いまでに純粋な男に、救いを与えたかった。

しかし、アレンの葛藤は凄まじいものでした。

彼は自分の頭を抱え、泥の床に額を擦りつけ、獣のような呻き声を上げました。


(……助けたい。けれど、別の誰かを殺してまで……?)

(俺は、英雄として死ぬべきだったのか。それとも、泥棒として生きるのか)


彼の内側で、かつての『白銀の英雄』の残滓と、今目の前にいる『ただの男』が激突していました。

数分、あるいは数十分。

入り口の防壁が教会の光の槍で砕かれる音が聞こえてきたその時、アレンは顔を上げました。


その瞳に宿っていたのは、英雄の慈悲ではなく、悍ましいまでのエゴイズムでした。


「やってくれ」


アレンは、震える声でそう告げました。

ミナが「人殺し!」と叫び、彼に殴りかかろうとするのを、彼は避けることさえしませんでした。


「俺は、こいつが笑う世界が見たい。

……そのためなら、俺は地獄に落ちる。聖女……あんたの命を、俺にくれ」


それは、世界で最も身勝手で、最も誠実な、愛の告白でした。


私は静かに頷き、ランタンを手に取りました。

原初の残り火を解放し、その極大の熱量でエリスさんの氷を融かしていきます。

魂が霧散しようと空へ舞い上がる瞬間、私は自分の命を「針」に変え、彼女の肉体へと深く、深く縫い付けました。


熱い。

魂が削り取られていく。

けれど、目の前でアレンが、涙を流しながら、目覚めようとするエリスの名前を呼んでいる。

それで、いいのです。泥の中に咲く花は、いつか枯れる運命なのですから。


私の意識が、白く、遠くなっていくのを感じました。


「素晴らしい。実に、泥臭い自己犠牲だ」


その声は、絶望の絶頂にあった聖堂に、冷や水を浴びせるように響きました。


「誰だ……ッ!」


目覚めかけたエリスを抱きしめたまま、アレンが入り口を振り返ります。


霧の中から現れたのは、魔王軍の参謀、ヴェル。

彼は手に持った、禍々しく拍動する漆黒の結晶――『魔王の核』を掲げ、意識を失い、魂が空っぽになったばかりの私の体へと近づいてきました。


「アレン。貴様は女一人を救うために、この世で最も清らかな『器』を用意してくれた。


……聖なる火で浄化され、魂が抜け落ち、まだ温かい聖女の肉体。これ以上の依り代があるか?」


「やめろ……! 彼女に、何をする!!」


アレンが立ち上がろうとしましたが、儀式の直後の虚脱感と負傷で、足がもつれて倒れ込みます。

ヴェルは嘲笑うように、私の胸元へと漆黒の結晶を叩き込みました。


「蘇れ、我が主!

泥に塗れた聖女の肉体を食らい、今こそ新たな闇として君臨せよ!!」


ドクンッ!!


私の体の中で、黒い鼓動が始まりました。

縫い付けたはずのエリスさんの魂とは別の、圧倒的な、冷酷な、そして絶対的な「闇」が、私の血管を、神経を、細胞の一つ一つを塗り替えていく。


「あ、ああああああああああああああッ!!」


私の口から漏れたのは、シオンの声ではありませんでした。

それは、数年前に滅びたはずの、あの魔王の咆哮。


私の肌に黒い紋様が浮かび上がり、背中からは漆黒の翼が突き抜けます。

泥を愛した聖女の肉体は、今、世界を再び混沌に突き落とす最悪の化け物へと作り変えられたのです。


漆黒の瞳を見開き、私は――私であった「それ」は、目の前で絶望に目を見開くアレンを見つめました。


「見事だ、光の器よ。貴様の執念が、私を呼び戻したのだ」


帝国暦846年。肥沃な泥濘の地下。

エリスは目覚めました。

しかし、その代償として誕生したのは、聖女の肉体を持った新たな魔王――『魔王シオン』。


アレンの身勝手な決断は、一人の女性を救い、そして世界を再び終わらせるためのトリガーを引いてしまったのです。

最後までお読みいただきありがとうございます。一言でも感想いただけると励みになります。

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