第23話:泥濘の羅針盤(魂を縫う針) 【アレン】
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第23話:泥濘の羅針盤(魂を縫う針) 【アレン】
左肩の傷が、脈打つたびに焼けるような熱を帯びている。
だが、その痛みはひどく遠い場所で起きている出来事のように感じられた。
俺の視界にあるのは、雪の上に横たえられた氷の棺。
そして、その中で数年間、一度も表情を変えずに眠り続けるエリスの顔だけだ。
「すまない、エリス」
俺は、セトから預かった『封絶のランタン』を棺の隣に置いた。
中では、古代竜から奪い取った『原初の残り火』が、まばゆい黄金の輝きを放っている。神話の時代から続く、理不尽なまでの熱。
これがあれば、お前を縛る氷は解ける。
だが、それだけでは足りないのだ。
セトの言葉が、今も耳の奥で呪いのように響いている。
『氷を融かせば、魂が逃げる。ただの火葬になるだけだ』と。
あと一歩。
あと一歩のところで、いつも俺の手は届かない。
数年前、魔王を討った時もそうだった。
世界を救うことと引き換えに、俺は一番大切なこいつの時間を奪われた。
そして今、神話の熱を手に入れた代わりに、魂を繋ぎ止める術がないという現実を突きつけられた。
神を呪う気にもなれない。
そんなものがいるのなら、とっくに俺のこの心臓を止めて、エリスのそれを動かしているはずだ。
「アレン様」
背後から、掠れた声がした。
クレバスから引き上げた帝国軍の騎士、レオンだ。
リノが施した応急処置のおかげか、少しずつ生気を取り戻している。
俺は振り返らずに、ただ静かに言葉を返した。
「アレンでいい。俺はもう、貴方の軍の英雄ではない」
「いえ。
僕にとっては、今も、これからも。……その、エリス殿のことですが」
レオンは痛みに顔をしかめながら、這うようにして俺の隣まで近づいてきた。
その瞳には、かつて王都の広場で俺の銅像を見ていた時のような盲目的な憧れではなく、泥の中に共に立つ者としての、切実な色があった。
「軍の……情報部の極秘資料で、見たことがあります。帝国が『最優先排除対象』として、歴史の表舞台から消そうとしている連中の話を」
「排除対象……?」
セトとリノ、それにガルドも、レオンの言葉に耳をそばだてた。
レオンは震える指先で、自分の胸元を指した。
「黒土教。
……帝国が掲げる光の信仰とは正反対の、土と死を崇める土着の宗教です。
彼らは、肉体から離れようとする魂を大地に、あるいは器に繋ぎ止める術を持っていると言われています」
「魂を……繋ぎ止める」
俺の指先が、微かに震えた。
「帝国はそれを『死の安らぎを冒涜する邪教』として弾圧しました。
ですが、実際にはその術を恐れた上層部が、自分たちの支配を揺るがしかねない力として封印しようとしているだけだという噂も……。その宗教の長である『聖女』なら、あるいは」
「どこにいる、その聖女は」
俺はレオンの肩を掴んでいた。
無意識に力がこもったのか、レオンが痛みに小さく呻く。だが、俺はそれを緩めることができなかった。
「帝都のすぐ南……かつての大戦役の戦場跡。今は不毛の湿地帯となっている『肥沃な泥濘』の地下。そこに、彼らの隠れ里があるという記録がありました」
帝都の、すぐ隣。
そこは、俺が「死んだ英雄」として祀られている場所の目と鼻の先だ。
皮肉な話だ。
俺を神様として祭り上げ、エリスを見捨てた光の都のすぐ足元に、エリスを救うための最後の鍵が眠っている。
「アレン、本気か?」
セトが、呆れたような、けれど覚悟を決めたような声で問いかけてくる。
「帝都の近くだぞ。
そこは軍の監視が一番厳しい。
あんたが生きてると知られたら、今度こそ軍全体が本気で首を獲りに来る」
「そんなの、今更だ」
俺はセトの手からランタンを奪い、背嚢へねじ込んだ。
帝都だろうが地獄の底だろうが、関係ない。
エリスを救うために必要なのが「泥を這う聖女」の針だというなら、俺は迷わずそこへ向かう。
「行くぞ」
俺は再び、あの巨大な氷の棺を背負い上げた。
左肩の傷が悲鳴を上げるが、心地よい痛みだった。
ただ無目的だった第2部の旅とは違う。俺の体の中に、ようやく明確な「道標」が戻ってきた。
「リザードマンの戦士よ。貴公は、どうする」
俺は、黙って成り行きを見ていたガルドに声をかけた。
「ここから先は、帝国の懐に飛び込むことになる。魔族であるお前には、リスクが大きすぎる」
ガルドは鼻から熱い吐息を漏らし、骨槍を地面に叩きつけた。
「案ずるな、人間の英雄よ。
我は水鱗族の戦士長。
一度決めた背中は、槍が折れるまで守り抜くのが我らの掟だ。
それに……光を嫌う異端の聖女か。我ら魔族とも、気が合うかもしれん」
「あはは! トカゲのお兄さんがいれば、帝国騎士なんて怖くないよね!」
リノがタンバリンを鳴らし、俺の隣でステップを踏む。彼女の笑顔は、相変わらずこの極寒の中でも暖かい。
「チッ。俺もランタンを預かった責任があるからな。師匠に、ちゃんと『使い切った』って報告しなきゃならないし」
セトが杖を突き、雪を蹴って歩き出した。
最後に、俺は地面に座り込んでいるレオンを見下ろした。
「レオン。お前は……軍に戻るか?」
レオンは自嘲気味に笑い、首を横に振った。
「死んだはずの英雄と、トカゲの化け物と、邪教の魔女。
そんな一団に加担した男が、今更どこへ帰れるというのです。
……僕も、見届けさせてください。帝国が隠した真実の先にある、あなたの本当の結末を」
レオンが、ふらつきながらも自力で立ち上がった。
かつての自分を鏡で見ているような、真っ直ぐな、けれど折れそうな光を瞳に宿した若き騎士。
五人と、一柱。
帝国暦846年、冬。
霊峰『竜の顎』を下る俺たちの背中には、もう迷いはなかった。
聖剣の光はもういらない。
神の奇跡も、英雄の栄光も、すべて雪の中に置いてきた。
俺たちはただ、泥にまみれた手で、たった一つの命を縫い合わせるために。
帝国の喉元、泥濘の地の底へと向かう。
「待ってろ、エリス。今度こそ、お前を連れ戻す」
俺は吹き付ける寒風を切り裂き、仲間たちと共に、深々とした雪原を力強く踏みしめた。
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