第20話:黒土の祈り、異端の聖女 【シオン】
「土へ還り、泥に抱かれ、また新たな芽吹きとならんことを」
薄暗い地下の洞窟に、私の静かな祈りの声が響く。
冷たい土の床に横たわっているのは、光を失った一人の同胞の亡骸だ。私はその青ざめた額に、私たちが信仰する『黒土』を優しく擦り込み、彼の魂が安らかに大地へと溶け込んでいくのを見送った。
私の名前は、シオン。
帝国からは『邪教』として忌み嫌われ、異端審問官たちに命を狙われている土着信仰、黒土教の聖女と呼ばれている。
数年前の大戦役以降、この世界は狂ってしまった。
帝国が掲げる『光の神』と、魔王を討ち果たしたという『白銀の英雄』への信仰。それは一見すれば美しく、正しいもののように思える。
だが、あの強すぎる光は、世界から「影」や「泥」を容赦なく焼き払おうとしているのだ。
老い、病、腐敗、そして死。そういった人間が本来抱えるべき不浄なものを「悪」と断じ、ただ輝かしい奇跡だけを信仰する歪んだ一神教。
それが、今の帝国軍の正体だ。
だからこそ、私たちのように「泥から生まれ、泥へと還る命の循環」を尊ぶ古い土着の民は、光の威光を汚す虫ケラとして、地の底へと追いやられてしまった。
「シオン様……。すまねえ、俺たちが不甲斐ないばかりに」
亡骸の傍らで、傷ついた信徒の男が涙を流して懺悔する。
彼らは、地上へ食料を調達に出たところを、帝国の騎士団に見つかり狩られたのだ。
「謝らないで。あなたは立派に、命の泥を繋いだわ」
私は微笑み、男の深く斬り裂かれた腕に両手をかざした。
「大地の根よ、散りゆく魂をこの肉の器に縫い留めたまえ――『魂縫の儀』」
私の両手から、淡い緑色をした大地のマナが流れ出す。
それは、帝国の魔術師たちが使うような、傷口を強制的に塞ぐ乱暴な「治癒魔法」ではない。
肉体を離れようとしている魂の輪郭を優しく掬い上げ、再び肉体という器に「縫い付ける」という、古の秘術だ。
数分後、男の腕の傷は塞がり、彼の顔に血の気が戻った。
「おお……!
ありがとうございます、シオン様! やはり貴女様は、我ら泥の民の希望だ……!」
信徒たちが一斉に平伏し、祈りを捧げる。
私は静かに首を振った。
「私はただ、大地に繋がれた魂の糸を紡いでいるだけ。希望なんかじゃないわ」
魂を縫い留める。
それが、私に与えられた唯一の力であり、帝国が私たちを「死の理を歪める邪教の魔女」として執拗に狙う理由でもあった。
だが、私のこの力をもってしても、死んでしまった魂を完全に蘇らせることはできない。あくまで、魂が肉体から離れきっていない『仮死状態』の者を、この世に引き留めることしかできないのだ。
(……この隠れ里も、長くは保たないかもしれないわね)
治療を終え、私は一人、洞窟のさらに奥深く――ご神体である『巨大な大地の根』が張り巡らされた祭壇へと歩みを進めた。
帝国の異端審問官たちの手は、すぐそこまで迫っている。
いつか私たちが狩り尽くされ、この世界が完全に「影を許さない光の世界」になってしまった時、弱き人間たちは本当の安らぎをどこに求めればいいのだろう。
祭壇の前に膝をつき、目を閉じて大地の脈動に耳を澄ませる。
ここから遥か遠く、何百里も離れた場所の土の震えすら、私には感じ取ることができた。
「え?」
その時だった。
大地の根を通して、私の脳裏に「信じられない光景」が流れ込んできた。
北の果て。生命が住めないはずの絶対的な死地、霊峰『竜の顎』。
その極寒の山頂から、途方もない『熱量』が、ゆっくりと、しかし確実に山を下り始めているのを感じたのだ。
「『原初の残り火』……? 神話の時代の太陽が、動いている……?」
私は息を呑み、祭壇に手を突いた。
誰かが、あの霊峰に登り、不可能とされた神話の炎を「器」に収めて持ち出したのだ。
大地の脈動が、その炎を運ぶ者たちの姿を微かに伝えてくる。
それは、白銀の光を纏った帝国の騎士などではない。
這いつくばり、血を流し、極限まで泥に塗れながら、それでもなお絶望的な一歩を踏み出し続ける、数人の愚かで愛おしい「ただの人間」たちの足跡だった。
そして、その一行の中心には、とてつもなく重く、冷たい『氷の棺』を背負った男の姿があった。
「あの棺」
私は、大地の根を通して伝わってくるその棺の冷気に、全身を粟立たせた。
「魂が……完全に凍結している。
魔王の呪い……?
違う、ただ凍っているだけじゃない。あの娘の魂は、強力な呪いによって肉体の外へ完全に『弾き出される』寸前で、無理やり時間を止められているんだわ」
その瞬間、私は理解した。
あの男が『原初の残り火』を使ってあの氷を融かしたとしても、決してその娘は目を覚まさない。
氷が解けた瞬間、行き場を失っていた魂は、器である肉体へ戻る術を持たず、霧散して完全に死を迎えてしまう。
彼女を救うには、極大の熱量で呪いの氷を融かすと「同時」に、誰かがその魂を肉体へと縫い付ける『魂縫の儀』を行わなければならないのだ。
それができるのは、世界でただ一人。黒土の聖女である私だけ。
「大地の神様。あなたは、私に何をさせようというのですか」
私は祭壇を見上げ、呆然と呟いた。
泥に塗れて死地を歩く、狂気的な執着を背負ったあの男。彼が誰なのか、私はまだ知らない。
だが、彼がその棺の蓋を本当に開けようとした時、必ず私のもとへ辿り着くことになるだろう。
それが、世界から見捨てられた者同士の、運命の交差点になるのだと、土の匂いが私に告げていた。
帝国暦846年。
帝国の地下深くで、異端の聖女は、遥か北から下山してくる泥だらけの一行の気配を、静かに待ち受けていた。
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ついに第二章完結です!
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