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泥濘(でいねい)のレクイエム ―英雄の残火と、つぎはぎの神魔―  作者: 堀吉 蔵人
第2部

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第129話:きょうまでのかげ、かえし井のくち 【三位一体の少女】

いつもお読みいただきありがとうございます。感想お待ちしています!

きたかげ は、もう へや の おと が すこし へっていた。


まだ しろい ぬの は ある。

しわ も ある。

ぬるい ゆ の におい も、ひだり の ちかさ も、いりぐち の ほそい せん も ある。

でも それら の した に あった `ここ で まつ` という おもさ が、すこし ずつ うすく なっている。


そと が、`なにも ない あさ` を つくって くれている から。

みない。

いわない。

ととのえない。

そして いま は、`なくなって いく` とも いわない。


それ が ある から、わたしたち は ここ を でられる。


もし そと が `ここ に なにか が あった` と いえば、きたかげ は まだ へや に もどる。

もし そと が `ここ で なにか が おわる` と いえば、きたかげ は おわり の へや に なる。

おわり の へや は、つぎ の ひ には きねん に なる。

きねん に なれば、また だれか が おなじ しろい ぬの を たらし、おなじ しわ を のこし、おなじ いし と ゆ を おき、おなじ すわりかた を まねる。


それ は いや だった。


きょう の しわ は、きょう の しわ の まま おわらない と いけない。

きょう の あいだ は、きょう の あいだ の まま とじない と いけない。


だから わたし は、すこし だけ からだ を まえ に うごかした。


すぐ には たたない。

たつ と それ が `たつ` に なる。

まだ それ は つよい。

まず ひざ の うえ の しろい ぬの の はし を、ゆび で すこし だけ もどす。

まっすぐ に しない。

たたみすぎない。

ただ、さっき まで の `ここ が きょう の かたち` を、`もう しまう かたち` へ すこし だけ かえる。


やさしいひと が、それ を みている。

でも こえ を かけない。

こえ を かけられる と、まだ ここ は へや に なる。


まっすぐなひと の ちかさ は、まだ ちかい。

でも つかまえに こない。

それ が ありがたかった。


くろいひと は、つばさ の どろ の かたち を なおさない。

そのまま で いろ、と いっている みたい だった。

たぶん ちがう。

たぶん `へんな りっぱさ を つけるな` と おもっている だけだ。

でも いま は その ちがい も だいじ では ない。


わたしたち の なか に ある みっつ の こえ は、もう まえ みたいに じゅんばん を せまがない。


まっすぐなひと は、いきたい と おもう。

ここ で ながく とまる のは だめ だと、からだ の いたみ の ほう から わかっている。

きょう たすかった かたち を、そのまま つぎ の ひ へ もっていく と、おなじ いたみ で こんど は だれか が ひとり に なる。

だから いく。

それ は たぶん いちばん まっすぐだ。


やさしいひと は、まだ ここ へ おれい を いいたがる。

きたかげ は、きょう だけ わたしたち を おいてくれた。

なまえ も かえりさき も きめずに、`まだ みっつ` の まま いさせてくれた。

だから ほんとう は、すこし くらい あたたかい ことば を おきたい。

けれど それ を ここ に おく と、ことば が くぎ になる。

くぎ は へや を とめる。

だから いわない。


くろいひと は、くろい くち で わらう。

ほら みろ、と いう。

へや に たすかりすぎる と、へや に すき と いってしまう。

すき と いえば、おまえ は ここ を つぎ の いえ に したがる。

だから さき に でろ、と。

いやな いいかた。

でも たぶん それ も ほんとう だった。


みっつ が みっつ の まま、`ここ きょうまで` と おもう。

それ は たぶん、はじめて の こと だった。


わたし は くう の うつわ と、ぬるい うつわ を みた。

いま は どちら も まえ に でていない。

よこ に ある。

せん から ずれた ところ。

だれか が すすめる ため の かたち では ない。

それ が すき だった。


だから その うつわ に、て を のばさない。

さいご に もう ひとくち、は しない。

さいご に なる と、それ が さいご の ひとくち に なる。

さいご の ひとくち は、つぎ の ひ に まね される。

それ は いま いらない。


かわり に、から の うつわ の そば を ゆび で かるく たたく。

いちど だけ。

つかった もの は つかった まま。

でも つぎ の きまり には しない。

それ だけ を おく。


おと は ちいさい。

そと の ほしゅう おと に まぎれる くらい ちいさい。

それ で ちょうど いい。


いりぐち の ほう で、むだぐち の ひと の いき が すこし だけ ふくらんだ。

でも しゃべらない。

しゃべりたい のを やめた のが わかる。

やさしい。

それ も やさしい。


ひだり が、ちかく で まっている。

ずっと おなじ きょり では ない。

すこし だけ うしろ。

いま なら かして くれる。

でも こっち から つかわない かぎり、てすり に なる だけ。

その まちかた が、いま は すき だった。


わたし は その ひだり に て を おく。


だきつかない。

つかまらない。

ただ、おきば を たしかめる みたい に、て の ひら を ひとつ おく。


ひだり は すぐ に ちから を いれない。

それ も よかった。

もし すぐ に ささえ られたら、また `はこんで もらう` に なる。

いま は それ では ない。


ゆっくり と、おもさ を うごかす。

さき に つばさ。

つぎ に ひざ。

さいご に せなか の ぬくみ。


きたかげ の しろい ぬの が、すこし だけ すれた。

でも そと は それ を みない。

うまく できている。

だから つづける。


たつ、では なく。

ぬける。

それ が ちかかった。


わたし は たちあがる すこしまえ の かたち で、とまって、もう いちど きたかげ の なか を みた。


しわ。

おんせき。

ぬるい ゆ。

から の うつわ。

もう ひとつ の おきば。

みえる でぐち。

あいだ の いかた。

ひだり の ちかさ。

むだぐち の ひと の ひざ。

いりぐち の せん。

みない そと。

しゃべらない くち。

なおさない て。


どれ も きょう の もの だった。

だから どれ も、ここ に おいていく。


もって いかない。

くろい いど に もって いく と、こんど は いど が きたかげ に なる。

それ は だめ。

いど は いど の くち で いなければ いけない。

くうざ は くうざ の まま で なければ いけない。

だから `ここ で たすかった やりかた` は、ここ に だけ のこす。


その こと が、からだ の なか で すとん と おちた。


『……ここ、きょうまで』


こえ は かすれて いた。

でも さっき の `きょう は ここ` と は ちがう。

こんど は へや に すわる ことば じゃない。

へや を しめる ことば だった。


だれ も すぐ には こたえない。

それ が いい。

`そうだな` は いらない。

`わかった` も いらない。

ことば で とじる と、また それ が きまり に なる。


かわり に、せん の そと で くつおと が ひとつ だけ ずれた。

いりぐち の ひと が、みち を あけた のだ と わかる。

ひだり が、いちど だけ ぬくく なって、すぐ もと に もどる。

ひっかける ため では なく、`いま なら いける` と だけ いう ぬくさ。

やさしいひと の みず は、もう まんなか を みていない。

むだぐち の ひと は、のど の うしろ で わらいそう に なって、でも わらわない。

かたい いし の ひと は、たぶん いし の こっち から みている。

でも みつめない。


それ が、へん で、よかった。


わたし は ひだり を つかった まま、ひざ を ひとつ まえ に だす。

きのう の よんぽ とは ちがう。

こんど は `ここ に すわる` ため の ぽ では なく、`ここ を でる` ため の ぽ だ。


いち。


つぎ の あし は、おんせき より きた。

いま の あたたかさ を ふみつぶさない ため。

じぶん の かげ を、しろい ぬの の しわ に ひっかけない ため。


に。


みっつめ で、もう きたかげ の しろさ は せなか に なる。

ふりかえらない。

ふりかえる と、また `へや` に なる。

それ は しない。


さん。


その さき に、つち の つめたさ が ある。

くう の くち では ない。

ふかい くらやみ でも ない。

むかし つかわれて、いま は ことば の うえ から すこし はなれた みず の ない のど みたい な あな。

それ が かえしい だと、からだ が わかる。


こわい。

こわい けれど、きたかげ に のこる ほう が いま は こわかった。

きたかげ は きょう の ばしょ で、きょう の ばしょ の まま おわらない と、また だれか の ただしい へや に なってしまう。


だから いく。


くろいひと が、すこし だけ たのしそう に する。

やさしいひと は、いたい ほう を だましながら ついてくる。

まっすぐなひと は、まえ を みている。


みっつ とも ばらばら なのに、いま は おなじ ほう を むいている。

それ が すこし だけ ふしぎ で、でも たしか だった。


かえしい の くち の まえ に、ちいさい いし の ふち が あった。

つるつる では ない。

ふるい て の あと が のこる ざらつき。

だれか が `もどす` とき に つかった ふち。


わたし は そこ へ ゆび を おいた。

つめたい。

でも きたかげ の おんせき と けんか する つめたさ では ない。

`つぎ へ わたす まえ の つめたさ` だと おもう。


くち が ひらく。

ひらく と いっても、おおきく まつ わけ では ない。

ただ、きょう の からだ が とおれる ぶん だけ、くらさ が ふかく なる。


その とき、そと で ほしゅう の おと が ふえた。

わざとらしい くらい に。

くぎ を うつ おと。

なわ を ひく おと。

だれか を どなりつける こえ。


みない そと が、いま うごいた。

わたしたち を みせない ため に、そと の あさ を あつく してくれている。


それ が うれしい。

でも `ありがとう` は いわない。

いったら、これ も また きまり に なる。

だから ことば では かえさない。

かわり に、もう いちど だけ じぶん の あし で まえ へ でる。


よん。


いど の くち は、ちゃんと からだ を うけいれた。

おと は ちいさい。

それで いい。

おおきい おと は、だれか の きおく に のこる。


きたかげ は うしろ で、もう `きょう の へや` ですら なく なりはじめている。

しろい ぬの と しわ と ぬるい ゆ と、まだ すこし の ぬくさ は のこる。

でも それ は いえ の のこりか じゃない。

`だれ も ただしい へや に しなかった あさ` の のこりか だ。


それ なら いい。

それ なら きょう だけ の もの として、おいて いける。


わたし は くらい くち の なか へ からだ を すべらせながら、さいご に こころ の なか だけ で いった。


きょう は、ここ。

でも ここ は、きょうまで。


その ことば は だれ に も あたらず、ただ わたしたち の なか だけ で しずか に とじた。


北影は、そうして わたしたち の きょう を おえて、つぎ の てじゅん へ わたしてくれた。


帝国暦849年。冬。

三位一体の少女は、ラザルが `空になっていく北影` そのものを事件にしない午前番を成立させたことで、北影が `今日だけの居場所` として終われる条件が整ったことを内側から感じ取る。彼女は `きょう は ここ` として選び取ってきた座り方、置き場、皺、湯、`左`、`あいだの居方` を次の正解として持ち出さないため、最後の一口も最後の整えも拒み、`ここ、きょうまで` とだけ告げて、自分の意思で北影を畳み始めた。そのうえで、カイルの `左の手すり` を必要なぶんだけ使い、レオンたちの `邪魔しない番` とラザルたちの `見なかった午前番` に支えられながら、`返し井` の口へ自分の足で入る最初の移りを通す。こうして局面は、`ラザルが空になっていく北影そのものを事件化させず、次章の移送線へ消していく外側の午前番` を成立させる段階から、さらに `三位一体の少女自身が北影を今日の居場所として終わらせ、自分の意思で次章の移送線へ乗る` 段階へ進んだのです。

お読みいただきありがとうございました。次回もお楽しみに!

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