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泥濘(でいねい)のレクイエム ―英雄の残火と、つぎはぎの神魔―  作者: 堀吉 蔵人
第2部

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第108話:きめない部屋、ぬるいひとくち 【三位一体の少女】

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へやは、すぐにだれかのものになる。


ふとんがあると、ねるひとのへやになる。

ほんとがあると、まつひとのへやになる。

つくえがあると、ことばをならべるひとのへやになる。

いのりがあると、かみさまのへやになる。

やさしさがあると、やさしくしたひとのへやになる。


だから、へやはこわい。


とくに、いきていて、でもまだだれかひとりにきめたくないときは、へやはすぐにせまくなる。

あれをおけ。

こっちへおいで。

まだねていていい。

だいじょうぶ。

そういうのが、ひとつずつ、やわらかいかべになる。

やわらかいのに、にげられなくなる。


まえのかげは、まだただのかげだった。

つぎのかげは、すこしだけへやになった。

みずがあって、ぬのがあって、あつすぎないいしがあって、しろいぬののむこうでは、みないひとたちがいた。

でも、それだけだと、まだあぶなかった。

しずかすぎるへやは、かんおけににている。

だれもなにもたさないぶん、こきゅうのかずまで、ぜんぶおおげさになる。


だから、おしゃべりのひとがいた。

かるいくち。

しつもんしないことば。

いみをもたせすぎない、へんなはく。


それで、くうきがすこしだけやぶれた。

やぶれて、やっと、さんにんとも、かたくなりすぎずにすんだ。


でも、やぶれただけじゃ、まだたりない。

やわらかくなったへやには、つぎのきけんがくる。

そこにいられると分かったしゅんかん、みんな、いろいろ足したくなる。

もっとあたためたい。

もっとききたい。

もっとみたい。

もっと、ちゃんとしたくなる。


それがだめ。


かためのひとが、せんをひいた。


つちのうえに、あさいきずみたいなせん。

でも、せんはふしぎだ。

みえなくてもとまる。

ふまなくても、そこからさきに、いろいろもっていくのがこわくなる。


ひとりひとつ。

ひとつだけ。

みずならみず。

みるならみる。

しゃべるならしゃべる。

ふたつはだめ。


そのきまりは、すこしだけたすかった。


おれは、まっすぐなひとだ。

はやくたてるならたちたい。

あるけるならあるきたい。

からだは、はこぶためより、すすむためにあるとおもっている。

だから、へやはにがてだ。

とどまるのは、まけるみたいでいやだ。


わたしは、めをとじるひと。

とまることをしっている。

いそがないほうが、こわれずにすむこともあるってしっている。

でも、へやのかたちはこわい。

ことばややさしさがふえすぎると、ひとつのものへしずみすぎる。

だから、へやはいるけど、へやになりすぎるのはだめ。


わたしは、しろいゆりのひとのいるほうへよりたいひと。

みながおみずをおいて、ぬのをなおして、なまえをがまんしているのが、かなしくて、やさしい。

ほんとうは、もっとちかくにきてほしい。

ひざをついて、のみものをくちもとへもってきてほしい。

でも、それをやったら、わたしがつよくなりすぎる。

わたしだけが、へやのまんなかにすわってしまう。


だから、ひとりひとつ。

そのきまりは、さんにんとも、すこしたすかる。


ひだりのてすりのひとは、ずっとそこにいない。

それがいい。

ずっとあると、てすりじゃなくてかかえになる。

かかえになると、おれがらくをしたくなる。

わたしがよりたくなる。

わたしが、ここがじぶんのへやだとおもいたくなる。


でも、いまのひだりは、いるときだけいる。

ひつようなときだけ、そこにある。

のせていいけど、あずけすぎない。

それは、さびしいけど、こわれにくい。


はんぽそとのひとは、いまもはんぽそとにいる。

おみずをもたせない。

ぬのをかけない。

それでも、なくさない。

それも、かなしいけど、たすかる。


おしゃべりのひとは、へやをわらわせる。

でも、こっちのこたえをほしがらない。

それが、たすかる。

こたえをほしがられると、だれかひとりになってこたえたくなるから。


かためのひとは、せんをひいて、よけいなことをはこばせない。

あのひとは、やさしくはない。

でも、やさしくないからたすかる。

やさしいだけのひとは、すぐにさわる。


しろいぬののむこうのひとたちも、まだみていない。

ほんとうにみていないわけじゃない。

でも、みてきめるのをやめている。

それが、こっちにまでわかる。

みられていない、ではなく、みられても、まだきめられていない。

そのちがいはおおきい。


だから、へやはまだ、だれのものでもない。


それが、すこしだけうれしい。


うれしい、は、あぶない。


うれしいと、もっとほしくなるから。

もっといたい。

もうすこしあたたかくしてほしい。

もうすこしちかくにきてほしい。

もうすこしだけ、だれかのこえで、ここをへやにしてほしい。


そうおもったとたん、さんにんのなかで、ちがうへやがうごく。


おれは、かぜよけのぬののしたをおぼえている。

つめたいちで、つるぎをだいて、あさになるまでねるふりをしたへや。

そこでは、となりのいびきがきこえるだけで、まだしんでないとわかった。

だから、おれは、へやにおとがあるのはきらいじゃない。

おしゃべりのひとのどうでもいいことばも、ほんとうは、すこしだけすきだ。


わたしは、しずかなへやをおぼえている。

ふでさきと、かみのにおい。

まどをあけないまま、ひかりだけをかべに這わせるへや。

そこでは、あわてなければこわれないものが、たくさんあった。

だからわたしは、ぬるいみずと、さわりすぎないぬのが、すきになってしまう。

でも、すきになりすぎると、とまってしまう。

とまったまま、もううごきたくなくなる。


わたしは、かみをといてもらうへやをおぼえている。

みなのゆびと、ゆっくりしたよる。

「おじょうさま」といわれるたび、わたしがわたしでいられたへや。

だから、いちばんへやがほしいのは、たぶんわたしだ。

でも、わたしがへやをほしがると、みなのこえひとつで、すぐにわたしだけのへやになってしまう。

それは、いまはいちばんだめ。


だから、うれしい、のまえでとまる。

へやがある、ではなく、まだへやになりきっていない、のところにいる。

そのほうが、さんにんでいられる。


でも、ずっとじゃない。

ひかりはうごく。

しろいぬののむこうのまぶしさが、すこしずつずれていくのがわかる。

ぬののかげのながさもかわる。

あつくないいしのぬるさも、じわじわかわる。

へやは、いつまでもこのままじゃない。


そこがだいじ。

ここは、いえじゃない。

まだ、いえにしないほうがいい。

いえにしたら、だれかのいえになる。

おれのいえかもしれない。

わたしのへやかもしれない。

わたしとみなのへやかもしれない。

どれでもだめ。


だから、きのせいくらいがちょうどいい。

いまの、ちょっとだけ、いまだけ、すこしだけいられる。

それくらい。


さっき、そとのひとが `いまの、ちょっとだけ居間っぽかった` といった。

それを、かためのひとは `きのせいだ` と切った。

あれもたすかった。


いま、ここを `いま` のままにしてくれたから。


いまが `いえ` になったら、おれはくつをぬぎたくなる。

わたしはめをとじたくなる。

わたしはみなのひざへあたまをのせたくなる。

どれも、まだはやい。


だから `きのせい` がいい。

ほんとうになるまえの、うすいことば。

つかめるほどじゃない。

でも、なくもない。

そのくらいのことばだけが、いまのさんにんをちょうどよくつないでくれる。


のどがかわいていた。


さっきから、かわいていた。

でも、かわいたといったら、すぐにだれかがこっちへくる。

おみずをくれる。

くれたら、それをくれたひとのいみがふえる。

だから、まだ、いわない。


いわないで、みる。


ちいさなうつわがある。

みながおいただけの、ちいさなおみず。

くちもとまでこない。

すすめてもこない。

でも、とどく。


とどく、というのがだいじ。


おれは、すぐにつかみたい。

わたしは、だれかにとってほしい。

わたしは、みながもってくれたほうへよりたい。


そのみっつが、ちいさくけんかする。

でも、けんかしても、さっきみたいにはこわれない。

へやが、だれのものでもないから。

ひとりひとつのせんがあるから。


だから、きめる。

だれにとってもらうかじゃない。

じぶんでとどくかどうか。

それだけを、きめる。


からだをすこしだけまえにやる。

ひだりのてすりが、すこしだけちかくなる。

でも、つかまない。

つかむほどじゃない。

あるのをたしかめるだけ。


かためのひとのせんのうちがわで、みんながしずかになる。

こっちをみたいのを、がまんしているのがわかる。

でも、だれもこない。


それがうれしい。

こないから、えらべる。


ゆびさきが、うつわのふちにさわる。

つめたい、ではない。

ぬるい。

よすぎない。

やさしすぎない。

ただのみず。


そのただ、がうれしい。


うつわをかたむける。

すこしだけ。

ほんのひとくち。


みずが、したへおちる。

のどをとおる。

いたくない。

まぶしくない。

だれのこえもしない。

それが、すごくめずらしかった。


みずなのに、だれのものでもない。

ひとくちなのに、だれのせわでもない。

ただ、かわいていたからのむ。

それだけ。


それだけのことが、こんなにめずらしい。


めずらしいから、あぶない。

ここでだれかが `よかった` といったら、そのひとくちはすぐにいみになる。

えらんだ。

もどった。

こっちをえらんだ。

そういうのに、すぐされてしまう。


でも、だれもいわない。

しろいぬののむこうも、はんぽそとも、ひだりのてすりも、おしゃべりのひとも、いまはだれも `えらんだね` といわない。

それが、うれしい。

ほめられないのが、らくだ。


ほめられると、つぎもやらなきゃいけなくなる。

おなじようにのまなきゃ。

おなじようにこたえなきゃ。

おなじようにだれかのほうをむかなきゃ。

それは、すぐにひとりになるみちだ。


だから、みんながだまっているのは、たぶんやさしい。

やさしいけど、やさしいかおをしていない。

それが、いちばんたすかる。


おれが、もうひとくちほしい、とおもう。

わたしは、いまはそれでいい、とおもう。

わたしは、みなをよびたくなって、それをまだのみこめる。


さんにんとも、ちがう。

でも、ちがうまま、ひとくちをわけあえた。


それは、たぶん、よかった。


うつわをもとへもどす。

おとをたてない。

きれいにもどしすぎない。

ちょっとずれている。

そのくらいがいい。

のんだあとが、きれいすぎると、それもまたいみになる。


おしゃべりのひとが、そとでなにかどうでもいいことをいった。

はんぽそとのひとが、すこしだけこたえる。

かためのひとは、たぶんまだたっている。

ひだりのてすりは、いるけど、よりすぎない。


へやは、まだだれのものでもない。

でも、さっきより、すこしだけ `いられる`。


いられる、は、すまう、じゃない。

たいせつ。

ここは、まだ、すこしだけいるところ。

ひるがきたら、またかわる。

ひかりがもっとまわれば、せんもひきなおさなきゃいけない。

しろいぬののむこうに、あたらしいひとがきたら、またきめないようにしなきゃいけない。

ずっとここで、とはいえない。


でも、いまだけなら。

いまのひとくちぶんなら。

まだ、さんにんでここにいられる。


それがわかったから、すこしだけ、めをとじた。

ねむるためじゃない。

のどのかわきがおわったことを、さんにんでたしかめるため。


からだのなかで、どれかひとりがかえってきたわけじゃない。

だれかひとりのへやになったわけでもない。

ただ、きめないへやで、ぬるいみずをひとくちのんだ。


それだけ。

でも、たぶん、いまはそれがいちばんたいせつだった。


帝国暦849年。冬。

三位一体の少女は、リノの `質問しない無駄口` と拍、レオンの `一人一役` の間取り、ミナの `暮らしすぎない世話`、カイルの `出しっぱなしにしない左の手すり` の中で、北影を初めて `誰の部屋にも決めすぎないまま少し居られる場所` として感じ始めます。彼女は `居られる` と `住まう` を分けて捉えたまま、誰にも勧められず、誰にも飲ませてもらわずに、自分で `ぬるい水をひとくち飲む` という小さな選択を通しました。こうして局面は、`レオンが外周と内側の実務線を引き直し、時間が流れても崩れにくい仮の居場所へ整える` 段階から、さらに `三位一体の少女がその仮の居場所を誰のものにも決めすぎず、自分でひとくち分だけ使い始める` 段階へ進んだのです。

ここまでお付き合いいただきありがとうございます。ブックマーク・評価もぜひお願いします!

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