第100話:はこばないで、わたしたちの三歩 【三位一体の少女】
ダークファンタジー群像劇『泥濘のレクイエム』、毎日20時更新中です。
みず が きた。
つめたすぎない。
いたくない。
なまえの においが しない。
だれかひとりだけの みずじゃない。
ひだりの たな が かたむけて、はんぽそと が とおして、みない しろ が じゃまを しなかったから、みず は ただの みずの かおで きた。
それが、からだの なかへ はいってくる。
まっすぐなひとには、のどの ことば だった。
やさしいひとには、いきの すきま だった。
くろいひとには、だれにも うばわれていない しずけさ だった。
ひとつぶで おわる。
でも、おわらない。
みず は すくないのに、からだの なかで ひろがった。
かわいた した の うらを ぬらして、いたい くびの すじを ほどいて、こわばっていた むねの いちばん うすい ところへ すべっていく。
のんだ のは すこしだけ。
けれど、その すこし が、いま ここに ある からだを ぜんぶ `まだ いる` の ほうへ ひっぱった。
まだ いる。
まだ われてない。
まだ ひとりに きまりきっていない。
それが まず わかった。
だから、こんどは ほかのことも わかってしまう。
ながく のりすぎると、ひだりの たな が `たすけ` じゃなくて `きめる て` に なってしまう。
はんぽそと の しろ が、ずっと そこで いきづいていると、こんどは それが `よびたい こえ` に なる。
みない しろ は、いまは かべ じゃないけれど、あさ が もっと ふえると、また みたくなる。
ここは まだ だいじょうぶ。
でも、ここに いたまま だいじょうぶで いられる わけじゃない。
「……ながいと、よる」
やさしいひと が いう。
ことばじゃない。
ぬくい かぞえ に ちかい もの。
でも わかる。
ここへ ながく もたれていると、やさしい ほうへ よる。
やさしい ほうへ よりすぎても、ひとり に なる。
「はこばれたままは、ちがう」
まっすぐなひと が いう。
これは もっと わかりやすい。
つよくて、みじかい。
まえへ すすむ ときの ことば。
「たな を いえ に するな」
くろいひと が わらう。
わらう けれど、きらい だから わらう。
やさしい て も、つよい て も、そこで ねどこに してしまえば かごに かわる。
このひとは それを いちばん しっている。
みっつ ちがう。
みっつ とも いやがるものが ちがう。
でも、こんかい だけは、さき が おなじだった。
あるく。
それも、はこばれずに。
だれかの て に きめてもらわずに。
じぶんたち で、じぶんたち の おきば を えらぶ。
その かんがえに さわった とたん、そとの ぬの の うごき が ちがって きこえた。
しろ が こすれる。
ひかり が ひくく なる。
はんぽそと が、つぎ の ぬの を どこへ おとすか きめている。
みない しろ も、め を あげないまま、そこ を あけている。
ひだりの たな は、まだ ある。
でも、さっき より すこし だけ `のせる` で なく `おりる` ための かたち に なっている。
みえる。
ぬの の かげ が。
あさよけ の うすい した。
まんなか じゃない。
ひとりぶん の しん に ちかすぎない。
それでいて、ひだりの たな から はなれても、まだ みっつ が ばらばらに ならない くらいの うすぐらい ところ。
そこ。
そこへ いきたい と おもった。
おもった だけでは たぶん だめだった。
だれかが さきに だいて しまうかもしれない。
だれかが `うごかす` を してしまうかもしれない。
そうなったら、この いきたい は すぐ `はこばれる` に かわる。
だから こえ が いる。
でも、こえ は こわい。
ながい ことば は、すぐ なまえ や ねがい を つれてくる。
ねがい は ひとり を えらぶ。
ひとり を えらぶ と、のこりの ふたり が いたくなる。
それでも、いまは こえ が いる。
くろいひと が `いや` を もってくる。
まっすぐなひと が `まえ` を もってくる。
やさしいひと が、ふたりの あいだを ほそく ぬって、からだ の いたくない かたち に する。
くち が ひらく。
した が まだ うまく まわらない。
でも、でる。
「……はこば、ないで」
そと が とまる。
とまった みたいに なる。
ほんとうは、とまってない。
しろ は まだ ゆれている。
ひだりの たな も、まだ ちいさく いきを している。
でも、みんな の なかの `つぎは だっこだ` が いっかい しんだ のが わかる。
それだけで、ことば は たりた。
でも、もう ひとつ いる。
いや だけでは みちに ならない。
どこへ か が ないと、また だれかの かんがえ が はいってくる。
だから、もういちど。
いまど は すこし だけ いたい。
でも、でる。
「そこ……いく」
みじかい。
ぶざま。
でも、じゅうぶん。
ひだりの たな が、ぐっと かたく なって、それから すぐに やわらかく なる。
もつ ためじゃない。
おりる ための かたさ。
はんぽそと の しろ が、うごく。
ちかづかない。
かわりに、ぬの が ひとつ ひくく すべる。
あさよけ の うすい かげ が、すこし だけ ふかく なる。
みない しろ も うごく。
へんな ことだった。
みていたら かごに なる ひとたちが、みない まま ひらくと、みちに なる。
しろい かべ が、め を そらしたまま みち に かわる。
それが いまの いちばん へんな きせき だった。
「……いけるか」
ひだり の たな が いう。
なまえ が ない。
いみ も のせすぎない。
でも ちかい。
「いく」
こんどは まっすぐに でた。
わたし の こえ というより、みっつ で おした こえ。
それで はじまる。
ひとつめ。
ひだり の たな から、からだ を はがす。
はがす のは いたい。
たすけ から はなれる いたさ じゃない。
たすけ が たすけ の ままで いられる うちに、おりる いたさ。
まっすぐなひと が ひざ を みつける。
どこに ちから を いれれば たつ まえの かたち に なるか、このひとは しっている。
でも、ひとりぶん の たちかた を してしまうと だめ。
やさしいひと が、いきを いれる。
ひとつ。
まだ はやい。
ふたつ。
それなら こけない。
くろいひと が、つばさ を よせる。
ひらいたまま では だれかの かげ に ひっかかる。
このひとは、じゃま な ものを たたむ とき だけ は、とても うまい。
あしうら が くろつち に つく。
つめたい。
でも いやじゃない。
だれかの て の なか じゃない つめたさ。
ひとつめ の いっぽ が きまる。
その とたん、そと で かすかな いき の かわりめ が する。
ひだり の たな が、まだ すぐ そば に いる。
でも もっていない。
はんぽそと も、こちら を よばない。
みない しろ は、ほんとう に みない まま でいる。
それが、からだ を もうひとつ まえへ おす。
ふたつめ。
こんど は ぬの の ふち。
はんぽそと が おとした うすい しろ の うえ。
ふつうなら なんでもない いっぽ。
でも いまは、`ねかせられる` と `じぶんで すわる` の あいだに ある いっぽ だった。
からだ が かるく ぐらつく。
まっすぐなひと だけ では むり。
このまま まえへ きりすぎると、ひとり の あるきかた になる。
「……みっつ に して」
やさしいひと が いう。
それは たぶん、あるきかた の はなし だった。
いっぽ を ひとり で しないで。
みっつ で わけて。
くろいひと が ふん と わらう。
でも こんどは いやな わらい じゃない。
「なら、まんなか を ぬかす」
そう。
まんなか を ぬかす。
ひとりぶん の しん を ふまない。
ひとり の たちかた を えらばない。
ただ、ぬの の はじ と かげ の うすい ところだけ を つたって いく。
ふたつめ の あし は、まっすぐ でなく、ななめ に おりる。
それで ちょうど いい。
ひとり なら ぶざま でも、みっつ なら くずれない。
どこか そと で、しろ が もういちまい おちる。
あさ が すこし だけ よわく なる。
はんぽそと が、ちかづかずに へや を つくっている。
その へや が、こころ に まで しみる。
よばない へや。
きめない へや。
ふたつめ の いっぽ が きまる。
さんつめ。
これは いちばん ちいさくて、いちばん だいじ。
もう ひだり の たな から は だいぶ はなれた。
はんぽそと から も、まだ そのまま。
みない しろ は、みち の かたち で とまっている。
ここで だれか の ほう を むいたら、そこ が `えらんだ さき` に なる。
ここで だれか の こえ を ほしがったら、そこ が `かえりみち` に なる。
それは まだ だめ。
だから、さんつめ は ひと の ほう じゃなくて、ばしょ の ほう へ。
ぬの の かげ。
あさよけ の うすい した。
くろつち が あたためすぎず、つめたすぎず、みっつ を `まだ まとめて おいていい` と いう ところ。
くろいひと が つばさ を はんぶん しくだいみたいに たたみ、
やさしいひと が みぞおち の あたり を やわらかく ほどき、
まっすぐなひと が さいごの いっぽ を まえに だす。
とん、でもない。
どす、でもない。
すと。
そんな かるい おと で、さんつめ は きまった。
その しゅんかん、からだ が いっかい だけ ふるえる。
こわい のか。
うれしい のか。
いたい のか。
たぶん ぜんぶ。
でも、たおれない。
もう ひだり に ぜんぶ あずけていない。
まだ ひとり に も なっていない。
みっつ の まま、じぶんたち の えらんだ かげ に すわりなおしている。
その ことが、からだ の いちばん おく へ つよく ひびいた。
わたし じゃない。
ぼく でもない。
あたし でもない。
わたしたち。
その ことば が、はじめて ちゃんと からだ の なかで すわる。
だれか ひとり が なのった ことば じゃない。
さんぽ を さんぽ の まま おわらせる ために、みっつ で もった ことば。
わたしたち の さんぽ。
わたしたち の さんほ。
わたしたち の、はこばれない いっぽ。
ぬの の かげ に すわる と、せかい の おと が すこし だけ かわった。
ひだり の たな は、もう した じゃなくて そば に ある。
なくなっていない。
でも `もっている もの` では なくなった。
それが ありがたい。
はんぽそと は、やっぱり ちかづかない。
でも ぬの の はし が もういちど だけ なおされる。
かお に ひかり が あたりすぎない。
みずぶくろ は、とりたければ とどく ところ。
それで じゅうぶん。
みない しろ は、あいかわらず みない。
でも みち を とじない。
しろい ひとたち が `なにも みなかった` まま、いちばん だいじな うごき だけ を とおした。
その ふしぎ も、いまは ちゃんと からだ の なかへ はいる。
「……ここ」
くち が かって に いう。
こんど は いたくない。
みじかくて、へんな ことば。
でも、これも じゅうぶん。
ここ。
ここなら まだ。
ここなら、まだ ひとり に しないで いられる。
ここなら、だれか の うで でも なまえ でも なく、ばしょ の ちから を かりて いられる。
ひだり の たな が すこし だけ いきを はく。
はんぽそと の しろ も、ちいさく ほどける。
みない しろ の さらに そと で、あさ は まだ ふえている。
でも、この かげ は もう さっき の かげ じゃない。
だれか に まもられて できた かげ では なく、わたしたち が えらんだ かげ だ。
みず が きて、
こえ が でて、
いっぽ が みっつ あって、
ようやく そう なった。
まっすぐなひと は、まだ きん の め の そば に いる。
やさしいひと は、いき の おく で まだ かぞえている。
くろいひと は、つばさ の うら で まだ だれにも とられない かお を している。
だれも きえていない。
だれも かえってききっても いない。
それでも、さっき より ちゃんと まえだ。
はじめて の みず。
はじめて の さんぽ。
はじめて の、はこばれない ばしょえらび。
その ぜんぶ が からだ の なかに しずんで、ようやく わかる。
ねかされる だけ でも、
おこされる だけ でも、
まもられる だけ でも、だめだった。
じぶんたち で、ちいさく でも えらぶ。
それが ないと、みっつ は みっつ の まま いられない。
だから わたしたち は、あさ の まえに、たった さんぽ だけ あるいた。
それで じゅうぶん、せかい の かたち が かわった。
帝国暦849年。冬。
三位一体の少女は、ミナが `欲しければ取れる水差し` と `通しすぎない部屋` を整え、カイルが `左` を `名前のない棚` として保ち、ラザルたちが `見なかったまま朝を越す持ち場` を作ったことで、初めて `はこばないで` と自ら告げ、誰にも運ばれないまま `伏せ床` の布影へ三歩を踏みました。この三歩は `まっすぐなひと`、`やさしいひと`、`くろいひと` の三者がそれぞれ役割を分けて支えた、不完全ながら最初の `わたしたち` の動きでした。こうして局面は、`未確定のまま最初の給仕を通す` 段階から、さらに `未確定のまま自分たちで置き場を選び、誰の腕にも決まりきらず朝へ座り直す` 段階へ進んだのです。
感想・ブクマ・評価、どれも本当に励みになっています。ありがとうございます!




