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狭門の熾火  作者: 隣之 芝生


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第9話 稚気

 まだまだ自分も青いのだなと次郎兵衛は独りごちた。

 もうじき、数えで三十になる。


 もう十年、二十年は生きても珍しいことではない。

 来年あたり、死んでしまっても珍しいことではない。

 そういう年頃になった。


 この年になって思い至った欠かせぬ事とは、どっしりと構えていることだ。

 自分が泰然としていれば、浮足立った者も顔色を取り戻す。


 ただ喧嘩が強ければ良いというものではない。

 あれこれ面倒を見てやって、そうして、ようやく纏まるものだ。


 浮かぬ顔をしているものがあれば、寄って愚痴を聞いてやる。

 聞いてやるだけで済む事もあれば、済まぬこともある。


 済まぬ話であれば、出来ることをしてやる。

 腹を空かせているのであれば、食わせてやる。

 誰かと揉め事を起こしているのであれば、間に立って、落としどころを見つけ、双方に飲み込ませる。


 そうしている内に、皆が自分に身を寄せる。

 飲み込ませることの出来なかった落としどころも飲ませる事が出来るようになる。


 元は、ただの次郎だった。

 いつの間にか、次郎兵衛と呼ばれるようになった。


 どっしりと構えている内に、人が付いて来るようになった。

 呼び名も後から付いて来た。


 そうして、この年まで生きた自分の胸がざわつく。

 どっしりと構えておらねばならぬのに、妙に浮き立つのだ。


 時折、様子を見に行く、うつけの兄弟のせいだ。


 最初は、うつけの兄が居て、可哀そうな弟が居ると思った。

 これまで、そうして来たように、面倒を見てやろうと思った。


 しばらく眺めるうちに考えを改めた。

 弟の方も中々のうつけだった。


 貶しているのではない。

 褒めている。


 兄の六郎には、人の情を揺り動かす才がある。

 先頭を切って危ない橋を渡る。

 他人の意表をついて勢いを削ぐ行いを好んでする。

 自分を強く見せ、相手が力を出し切れぬ場をつくる術を生まれながらに身に付けている。


 弟の八郎は、ただ、兄に引き摺り回されているだけなのだと思っていた。

 しかし、弟の方が、良く見てやらねばならぬ、うつけだった。

 あれは、人の欲を見て、人の心を操る術を考える。

 自分では気づいていないようだが、アレを恐れている者は多い。


 クサフグを喰い、痺れた六郎を、躊躇なく埋めたと聞いた。

 笑った。


 六郎が烏帽子を被り、住吉社の札を売り始めたと聞いた。

 八郎がやらせているのだと感じて笑った。


 札を買わぬ船には、夜陰に紛れて忍び寄り、柄杓で海水をかけて回っていると聞いた。

 海藻や貝殻を身体に巻き付け、舟幽霊だと奇声をあげる六郎の姿を思い浮かべた。

 やり過ぎぬように必死になって手綱を引く六郎の慌てぶりが目に浮かんで笑った。


 あの兄弟の噂は、いつも面白い。

 うつけ兄弟の住む浜に、溺れた猪の死骸が打ち上げられた時のことだ。


 腐っていて喰うこともできない死骸が臭うので、埋めようとしたら、八郎が止めたという。

 重石を死骸に括り付け、岩の多い海に沈めるように言ったという。


 なぜ、そのような事をと誰かが聞いて、獣の肉を好んで喰う魚が居るからと答えたという。

 次の年、猪の死骸を沈めた岩場では、穴子がよく釣れたそうだ。


 八郎は、自分を役に立たぬ者だと思い込んでいる節がある。

 何事も、兄の腕っぷしで解決していると信じて疑わないようだ。


 笑ってしまう。

 あの弟は物事を良く見て、誰も思わぬことに気づくかと思えば、誰もが思うことに至らぬ。


 あの浜の悪童共の目の行く先を見れば、すぐに分かることだ。

 誰もが、まず六郎を見るが、その後、八郎を見る時間の方が長い。


 悪童共が恐れている。

 八郎に、魚の餌にされてしまうのではないかと恐れている。


 さて、どうだろう。

 六郎と八郎の兄弟。


 一人だけならば、そんな奴も、たまには現れるだろうと思う。

 しかし、あの兄弟が、お互いの足りぬ所を補いあい、それぞれが得意な所で勢いをつければ、どうなるか。


 嬉しいのだ。

 あの兄弟が思いついた遊びに、自分も誘われたことが。


 童のように嬉しいのだ。

 もうじき孫を抱くようになる我が身であるのに。


 始めて会った時、六郎が二人で一つと叫んだのは、的を射た物言いだったのだなと思う。

 その兄弟が二人で新しい波を起こそうとしている。


 稚気では無いと見栄をはる自分が居る。

 うつけの兄弟が俺に助けを求めてきた。

 頼られれば、どっしりと受け止めて面倒を見てやるのが俺の流儀というものだ。


 笑ってしまう。

 八郎は、俺の欲を見て、俺の心を操ろうとしているのか。


 うつけの兄弟の起こす波を、自分は乗りこなせるだろうか。

 見事、乗りこなして見せようと思う。

 やはり、稚気であると思い、笑った。


 久しぶりに感じた稚気も良いが、年季を重ねた知恵も混ぜてやろう。

 大人の余裕というものを混ぜて、もっと楽しい遊びにしてやろう。


 胸が躍る。


 多くの者を見て来た。

 どこを押せば、誰が圧されて海に落ちるのか知っている。

 どこを擽れば、誰が我慢出来ずに走り出すのか知っている。


 八郎が思いついた、新しい遊びを思う。

 海賊ではなく、海人だと。

 住吉社を後ろ盾にして、穏当に帆船(ベザイブネ)から警固料を受け取る水先案内だと。


 搾り取るのではなく、搾り取られるのでもなく、長く続く新しい生き方を作るのだと。

 大きすぎず、小さすぎず、侮られず、妬まれず、そのような群れを作るために俺の知恵が必要なのだと。


「使われてやろうではないか」


 思わず、独り言が口から出た。

 年甲斐もない事であると笑ってしまう。


 誰を、どのように巻き込むか思案する。

 うつけの兄弟が立てた波を渦に変え、誰を引きずりこんでやろうかと考える。


 犇島(はしりじま)の百太郎(ももたろう)。

 桃太郎に退治された鬼の一族を名乗る百の島の鬼札衆(ジョーカーズ)の頭(かしら)。


 鬼の頭目であった温羅(うら)は我(ウリ)であり、我国(ウリナラ)であり、加羅(から)であるという。

 芸予に犇(ひしめ)く百の島々を、百済の百と思い定め、温羅を退治した桃太郎は百太郎であり、吉備の穴海(アナのうみ)は穴(ちがう)の海であり、海とは呼べぬ遠浅の内海を走って、温羅を討つ手助けをしたという。


 身内同士で争った者が持つ暗い目の色をしている。

 国を失い、血族を残すために血族を裏切り、その上で薄まって行く血を惜しんで、名を残す事に飢えた男。


 潮湧島(しわくしま)の匠。

 潮湧(しわく)の塩飽大工衆(カーペンターズ)の棟梁。


 次々と課せられる塩田の労役に耐えかねて、塩には飽きたと歌いながら船を作った海賊衆。

 奪った財で、また船を作り、作った船で、また財を奪い、大小様々な船を巧みに造り出す匠衆。


 奪い過ぎて、造り過ぎて、追われて、疲れて、飽き始めている大工衆。

 新しい遊びに誘えば、新しい船を作ってみせてくれるだろう。


 今治(いまはる)の六郎。

 うつけの兄弟の六郎とは真逆の寡黙な男。


 伊予の国は愛比売(えひめ)の神の国であり、愛を広めることこそが本分であるという男。

 愛しか語らぬ寡黙な男が、同じく愛を語る伊予掾(いよのじょう)と意気投合して流れ始めた潮のうねり。

 脅して従えるのではなく、愛で治めるという夢幻(ゆめまぼろし)を唱える愛夢幻衆(ラブ・ファントムズ)の頭。


 まずは、その辺りであろう。

 混ぜ合わせて、どのような波が立ち、潮目が変わるのか。

 先が読み切れぬから胸が躍る。


 胸が躍る渦を見せれば、讃岐の滝夜叉や、焦根(こがね)の十郎のような遠方の者も寄ってくるだろう。

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