第8話 海賊ではなく海人に
「兄ちゃん、今日は振り回さないでね」
「兄ちゃん、ノリと勢いは任せるけど、細かい事は僕が言うからね」
「兄ちゃん、潮時を見定めてよ。やりすぎると、お札を売る役を任せてもらえなくなるからね」
浦の長入江に向かう道すがら、何度も兄に釘をさした。
あまり、しつこく言うと臍を曲げてしまうから、加減が難しいのだけれど、大事な事だから繰り返し言っておかねばならない。
「おうよ」
兄からは都度、力強い返事が返ってくるが、安心してはいけない。
その場の勢いとノリで思いつくままに、信じられないことを、やってしまうのが兄だ。
今は、その気でも、話の流れ次第で何をしでかすか分かったものではない。
もう一枚、札が必要だと思う。
ジロベーが居てくれたらと思う。
次郎兵衛。
犬之島の悪童集団、狂犬衆の頭。
数えで六郎が十六、八郎が十の頃のことだった。
「気に入らねえ。スカしてやがる」
兄はジロベーに対抗心を燃やしていた。
漁師仲間の付き合いというものがある。
良い漁場を巡って競うこともある。
波と潮に流された他所の村の漁師を見れば助けることもある。
生活習慣が似ているので、血を薄めるために交わる話もまとまりやすい。
長入江の浦の対岸に歌島があり、その向こうに犬之島がある。
潮の止まる時を選べば、泳いで渡ることも出来なくはない。
海に生きる漁師が丸木舟に乗れば、行き来するのは容易い。
噂話も流れて来る。
兵衛というのは役人達が名乗る役の名らしいが、近頃は、タロベー、ジロベーと名乗る者が増えてきた。
箔を付けるというものだろう。
しかし、お高くとまっている役人風の名を漁師が名乗るということが、兄には不快なことらしい。
ブン殴りたいと思ったのだろう。
「ジロベーは数えで二十六の大人だよ。兄ちゃんが喧嘩をふっかけても取り合わないと思うけど」
「よし、決まった。行くぞ」
兄は僕を抱え上げて丸木舟に乗り、漕ぎだした。
何故だ。
一人で行けば良いだろうと思った。
乗せられてしまったものは、どうしようもなかった。
巧みな兄の手櫂さばきで、あっという間にジロベーの住む浜に着いた。
兄が奇声をあげた。
「ドドドドドッドーン。ジロベー、出て来い。六郎と八郎の挑戦を受けやがれぃっ」
どうして自分まで混ぜるのか、そう問い詰めたかった。
兄の奇声が浜に響き渡って、ジロベーが出て来た。
「どうしたんだ、坊主ども。何か変な物でも食ったのか?」
噂どおり、ジロベーは大人だった。
いいぞ、もっと言ってくれと思った。
「童じゃねえ、俺は十六、八郎は十。二人合わせて二十六。ジロベーと五分と五分の勝負だぜ」
一刻も早く、兄を殴り倒して欲しいとジロベーに期待した。
「まあ、落ち着け。長入江の浦の六郎と八郎だな。腹減ってるか。わざわざ俺を訪ねて来たんだ。なんか食って帰れよ」
ジロベーは気風の良い大人であった。
「ギャオーォオォオォーン。六郎と八郎の合体技でぇ、ブっ飛ばすぅっ」
奇声をあげた兄が僕の両足首を掴んで振り回し始めた。
「オイオイオイ、待て待て待て。弟を道具扱いするなよ」
頭に血が上って、気が遠くなった。
ジロベー、喋ってないで、早く兄を殴り倒して、と思った。
「馬鹿野郎、道具じゃねえっ。俺達兄弟は二人で一つぅ。俺が八郎を振り回して一発殴ったらぁ、次は八郎が俺を振り回してぇ、ジロベーをブン殴るぅ。右の拳と左の拳だぁっ」
僕は気を失った。
その後の事は、噂で知った。
自分の事なのに、噂で知った。
ジロベーは、もう自分の負けで良いから、弟が死んでしまう前に振り回すのをやめなさいと諭してくれたらしい。
惚れ惚れするほどの立派な大人である。
面倒見の良いジロベーは、うつけの兄弟のことを、主には、可哀そうな八郎の事を、なにくれとなく気にかけ、交流は今でも続いている。
物思いに耽っていたら、長入江に上がった帆船が見える所まで来ていた。
傷ついた船腹を船大工達が修繕している。
引き潮の時に浅瀬に乗り上げて、満ち潮の時に船出するのだろう。
人だかりが出来ている。
水主の頭らしき人が船主らしき身なりの人に棒で打たれている。
打ち方自体は手加減されたものだが、衆目の前で棒で打たれる恥を与えられているのだろう。
「アイヤイヤイヤァアァアーッ」
兄が奇声をあげる。
注目が集まる。
兄が作る勢いとノリ。
「イェイイェイイェイエェーッ」
兄の奇声が続く。
長入江の者は、またかという顔をしているが、船主と水主の頭は動きをとめて、こちらを見ている。
呑んだ。
兄の勢いとノリが船主と水主を呑んだ。
兄の立てる波に揺さぶられて、船主と水主の心が揺れている。
普段なら届かぬ言葉も、今なら耳を傾ける。
「祟りじゃあぁーっ。祟りじゃあぁーっ」
越えてはならない線を兄が越えようとしている。
兄の懐に手を入れる。
きっと入れているだろうと思ったが、やはり海鼠を沢山、忍ばせていた。
取り出した海鼠を兄の口に突っ込む。
「さて、災難に遭われた御様子ですが、お役に立てるのではないかと思いまして」
慣れぬ喋り方をして船主と水主の頭に話しかける。
常であれば、自分など手玉にとられてしまう海千山千の相手だと思うが、背後で海鼠を丸齧りする兄に呑まれているようなので、今なら押せる。
「我らは住吉社の氏子にございます。船旅の安全に御利益のある住吉様ですので、お困りごとについて、力添えが出来ると思うのです」
背後からギャッとかヒッとか叫び声が聞こえる。
兄が海鼠を丸齧りしながら、長入江の者に海鼠を投げつけているのだろう。
揺れていた船主と水主の頭の顔色が戻りつつある。
さすがに肚の座り方が違う。
丁度、良い塩梅か。
「波に隠れた岩礁に難儀しておられるのでありましょう。地元の漁師である我らは、この辺りの潮の流れも、岩礁の位置も、良く存じております」
船主の身体から漏れる熱を感じる。
「住吉様の御利益を頼りとする船主があれば、我ら氏子は舟を浮かべ、寄ってはならぬ潮目に立ち、水先案内人となりましょう」
船主も水主の頭も、兄を忘れて僕だけを見ている。
「なに、お気持ちだけで結構でございます。住吉様は寄進の多い少ないなど、気になさらぬでしょう。ただ、我ら氏子には恥ずかしながら情というものがございます。寄進の多い少ないで、案内に注ぐ力の入れようが変わるやも知れませぬが」




