第10話 拍子に躍る力
ウチは煤まみれの灰かぶりだった。
大うつけの六郎のせいだ。
いや、おかげと思って感謝しても良いのかもしれない。
ウチも六郎も、ウチの大事な八郎も、そろって煤まみれの灰かぶりになった。
今日は弓部の荘園の代官がやってくる。
ウチを攫って帰るためにやって来る。
4石の塩は用意できている。
次の伯父ちゃんが揃えてくれた。
無理をして、国衙に納めないといけない分の塩を後回しにして用意してくれた。
そこへウチの大事な八郎が塩を持って来た。
山賊の塒の焼け跡で、まだ隠してあった塩を見つけて持って来たと。
誰も、問わない。
あれから誰もが、何か目ぼしい物は残っていないかと、何度も探して掘り返して、もう何も無くなっている。
あんなに沢山の塩が、そう都合よく、出て来るはずもない。
それでも誰も問わない。
国衙に納める塩を残すことが出来て助かったからというのもあるけれど、もう誰も、ウチの八郎を問い詰めたりは出来ない。
だから困る。
いつも側に付いて離れないようにしている。
ウチの大事な八郎が特別に大事にしているのはウチだけなのだということを娘衆に見せつけて、横取りされないようにしないといけない。
ウチは焦っていた。
4石の塩を用意しても代官は言い掛かりをつけてくるだろう。
大きさの違う桝で量って、4石には足りぬなどと言いだすだろう。
代官とは、そういうものだ。
だから、ずっと八郎を誘っている。
でも、八郎は頑固だ。
ウチの言うことは何でも聞く、ウチの大事な八郎だけど、ウチがいくら誘ってもウチに手を出そうとしない。
昨夜、最後の機会だと思って八郎に身体を押し付けた。
六郎が邪魔だったから、早く出て行って娘衆達に種をばら撒いて来いといったら、何だか勝手に想像を逞しくして、暴れ出した。
持ち上げた水瓶に頭突きをしてカチ割った。
溢れた水が炭火に降りかかって、熾火がはじけた。
吹きあがった湯気と灰と煤が掘っ立て小屋の中を渦巻いて、ようやく収まったら、ウチ達は灰まみれの煤まみれだった。
ウチは八郎が火傷をしていないか確かめるフリをして八郎の身体を撫でさすった。
八郎は、じっと、はじけた熾火の跡を見つめている。
いつもなら、ヤケを起こしてはいけないと言って、ウチの手を抑える八郎が、ぼんやりしているので、ここが勝負時だ、六郎が居ても構うものかと思って、確かめなくてもよい所まで撫でさすったら、八郎が物思いから覚めたようで、ウチの顔をみて頷いた。
「また一つ、出来た」
いつも無表情な八郎が、安心したような顔をして、そう言った。
逃がした魚は惜しく思うものだから、これぐらい汚れていて丁度良いと、ウチの顔を見て、ウチの腕の中で安心したような顔を見せた。
胸が締め付けられるような心持がして、顔が熱くなって、八郎の顔を見ることが出来なくなった。
「大丈夫だから、安心して」
八郎が耳元で呟いた。
ウチはもう、堪らなくなって、押し付けていた身体を、そっと離した。
ウチの身体が熱くなっているのを八郎に知られるのが恥ずかしくて、でも身体を離したのが、とても惜しくて、どうしたらいいか分からなかった。
八郎は、同じ物を見て、誰も気づかぬことを思い、誰もが気付くことを思わない。
言葉にしても信じない。
ウチの気持ちを一時の気の迷いだという。
ウチの事を、そういう目で見てくれない。
他人を理解しない、他人に理解されない、それでいて、他人の動きを変えることを言う、そういう一つ一つが積み重なって、八郎は、西の浜の特別な男になった。
西の浜に小早船が来た時のことだ。
六郎が乗っている浮いているだけがやっとのオンボロ船ではない。
まだ木の香りが鼻をくすぐる新品の小早船だ。
それも二艘。
狂犬衆と舟幽霊達で使うと八郎が言った。
船を曳いて来たジロベー達が西の浜の者に小早船の操り方を教えることになった。
八郎も乗るというので、ウチも乗せろとせがんだ。
「おさき姉ちゃんが乗りたいと言えば、誰も逆らえないよ」
八郎が、そう言うので、とても嬉しかったけど、違う。
八郎が言い、六郎が頷けば、誰も逆らえないだけだ。
ジロベーに櫓を船縁に括りつける結び方を教わり、二艘並んで漕ぎ出した。
あっという間に引き離された。
六郎が本気で漕ぐと、きつく縛った縄が解けて、櫓を漕げなくなった。
「結び目に海水をかけると良いよ。縄が水を吸って膨らんで解けなくなる」
舵を取る八郎が言った。
まあ、これぐらいまでは、まだ良い。
ウチは初めて聞いたけど、漁師であれば、それぐらいの知恵は持っていて当たり前だろうと思う。
初めて乗る船に浮足立てば、皆が忘れてしまうのも不思議ではない。
六郎が本気で漕ぎ続けることが出来るようになった。
六郎の漕ぐ力が強すぎて、船の進む先が偏る。
ジロベー達の船が遠くなる。
「兄ちゃん、どんな風に漕いでいるか、皆に教えてあげて」
八郎が水を向け、六郎が答える。
「ああ、ガバっと持ち上げて、ドーンと倒れて、最後にクイっと引っ張って戻して、その繰り返しだな」
他の者ならば、聞くだけ無駄だったと終わるとこだが、ウチの八郎は無駄にしない。
櫓を漕ぐ役と舵取りを交代して、八郎がゆっくりと動きながら皆に教えた。
「腕の力で漕ぐんじゃないよ。身体の重さを使うんだ。こうして櫓を後ろに向けてね、腰を浮かせるぐらいに立ち上がるんだ。櫓の柄を持ったまま立ち上がると櫓の先は深く沈むでしょ。それで櫓の柄にぶら下がる気持ちで後ろに身体を倒すんだ。そうすると深く沈んだ櫓の先は身体が倒れる勢いで水を掻くんだ」
「それでね、櫓を漕ぎきる前にね、身体が倒れきる前にだよ、櫓の柄を腕で引きよせるようにしたら、櫓の柄に掴まって身体を起こせるでしょ。その勢いで身体を前に傾けるんだよ。そしたら自然と沈んでいた櫓の先が波の上に出て、後ろに向くでしょ」
「そこで、また腰を浮かせるぐらい立ち上がってって、その繰り返しだよ。最初はそれで良いと思う。身体の重さで漕いで、慣れたら、どこで力を込めたらいいか分かってくると思うよ」
六郎が、六郎にだけ分かる勘で語る漕ぎ方を、八郎は、言って、聞かせて、やって見せた。
ジロベー達との差は開かなくなった。
「まだ、力が無駄になっている。皆が拍子を揃えて漕がないと、それぞれの水を掻く力が打ち消し合って進む力を弱めているよ」
舵取り役に戻ったウチの八郎が言う。
「おさき姉ちゃん、こんな感じで叩いて」
六郎が癖で船に積み込んでいた柄杓と桶をウチに渡して来た。
浮いているだけがやっとのオンボロ小早船は水漏れだらけで、沁み込んで来る海水を掻き出すために六郎は柄杓と桶をいつも手放せなかった。
この新品の船には必要のない物だけど、誰も要らないとは言わなかった。
もしかして、他の使い途があったのかな。
まあ、いいやと思った。
八郎に言われたとおりの拍子で、柄杓で桶を叩く。
コンコン……、コンコン……、コンコン……。
ウチの拍子に合わせて皆の動きが揃った。
ジロベー達の船が近くなる。
「まだ、舵を切らないと真っすぐに進まない。力が偏って無駄になってる」
八郎が左右二列に並んだ櫓を漕ぐ者の配置を入れ変える。
六郎の側の人数を減らして、六郎の居ない方の漕ぎ手を増やす。
ジロベー達の船が目の前にくる。
ジロベー達の船も本気を出し始めたのが分かった。
「まだ、力が偏ってる」
もう一人、六郎の側の漕ぎ手を減らして、反対側の漕ぎ手を増やした。
「うん、そろった。さすが兄ちゃん」
「ガハハ、皆、気にすんな。俺様が強すぎるだけだ」
櫓を漕ぐ者達が六郎を見る目に灯る憧れの火が強くなった。
皆、分かってない。
確かに六郎の腕力は並外れているが、ここまでの人数差をつけるほどではない。
見せかけのものだ。
八郎が作った。
漕ぎ手を入れ替えた時、力の強い者を六郎の側に残した。
六郎一人の力の差であるように思いこませた。
ジロベー達の船と並んだ。
「おさき姉ちゃん、追い込んで」
「あいよ」
柄杓で桶を叩く拍子を早めた。
ジロベー達の船を追い越し、引き離した。
楽しかった。
あれは、ウチと八郎の共同作業だった。
もっと、いろいろと共同作業をしたかったなと後悔しながら浜に出た。
驚いた。
こんな浜、見たことも、考えたこともなかった。
八郎だ。
八郎が、ウチのために、ここまでしてくれた。
身体を駆け巡る血が熱い。
胸が早鐘のよう鳴って、この音が誰かに聞こえてしまうのではないかと思った。
鼻の奥がツンとして視界がぼやける。
ウチは攫われない。
でも今夜、絶対に八郎と共同作業をする。
ウチは堅く心に誓った。




