第11話 語らなくてよい
「構わん。(語らなくてよい)」
今治の六郎は呟く。
伊予は愛の国である。
愛とは何であるか。
愛とは与えるものである。
愛とは何であるか。
愛とは奪うものである。
東予の海は死地である。
いや、海であれ、陸であれ、どこでも、そうであろうが。
東予の海は愛である。
激しく流れる潮流は渦を巻き、険しい岩礁は潮流に抗い、泡を立てる。
そのうねりの中で、多くの魚が育ち、海の幸となり、我らに恵みを与え、また、渦巻く潮流と険しい岩礁は我らの命を奪う。
人はどうであろうか。
愛を与え続ければ、甘えと驕りが生まれ、恵まれることの幸いを忘れる。
愛を与えられず、荒んだ道を進めば、逞しくなるが、それは獣の強さであり、人ではなくなる。
愛を与え、愛を奪い、その上で愛を知らねばならぬ。
それが愛であり、愛の全てではない。
愛とは言葉にできぬものであり、語れば嘘になる。
「随分と寂しい漁村だねえ」
伊予掾殿が語り掛けて来た。
黙って頭を下げ、答えとする。
犬之島の次郎兵衛がやってきて、貧しい漁村の兄弟と従姉妹の様子を告げて帰った。
犇島と潮湧島にも寄って帰ると言っていた。
奪わず、帆船が沈まぬように水先案内を務めるという。
愛であろう。
欲深い代官から従姉妹を守るため、たった二人の兄弟が知恵を絞って創り出した新しい生き方であるという。
愛であろう。
話を伝え聞いた伊予掾殿が自ら出向くと言い出した。
愛であろう。
伊予掾殿は愛を語る。
海賊追捕使である伊予掾殿が我ら海賊を許すと語った時の事を思う。
「だって、ほら、君達は生きて行くために必死だっただけだろう。そうしないと飢えて死んでしまうから、仕方なく奪っただけだよね」
「どうして、そこまで君達が追い詰められたのかと言えば、それは政が間違っているからだよ」
この国の高位貴族に連なる伊予掾殿が国の有り様を間違っていると断言した。
他に知られれば、官位を奪われ、首を落とされるやもしれぬことを我らに語った。
「政は徳をもって行うものだよ。民を我が子の様に思う心が仁であり、それが行いに表れるのが礼だよ」
「仁と礼をもって徳を修め、徳をもって政を行えば、皆、穏やかに暮らすことが出来るのに、徳が欠けている。だから君達は飢えた。君達を責めることは僕には出来ないよ」
愛とは語るものではないが、伊予掾どのは己の首を賭けて我らに徳を語った。
我らも首を賭けて伊予掾殿に付き従う。
我らの他にも、貧しい漁村に乗りつける船の群れが見える。
あちらに見えるのは、犇島の衆か。
そちらに見えるのは、潮湧島の衆か。
愛である。
関船を停め、錨を降ろし、伊予掾殿と共に小早船に乗り移って浜に上がる。
悪い噂の絶えぬ弓部島の荘園の代官は既に来ていたようだ。
血の気の多い若衆が取り囲んでいる。
構わん(脅すだけで十分だ)と言っておいたのだが、どうにも勢い余っているようだ。
浜に立つ、みすぼらしい姿の三人を見つけた。
灰を被り、煤にまみれている。
泥に塗れた娘子が、痩せて虚ろな目をした男子を、人目から隠し、守るように抱きしめている。
その横に、兄と思われる男が立っている。
随分と大きな身体であるが、顔には幼さが残っている。
その兄らしき男子が、哀れな身なりを恥じることもなく、娘子と痩せた男子の前に胸を張って立っている。
あれが、次郎兵衛の言っていた兄弟と従姉妹なのであろう。
貧しい家族が、代官の横暴と非道に、身を寄せ合って抗おうとしている。
赤貧の中で、十分に食べさせることも、薬を与えることも出来ず、息を引き取った我が子の事を思う。
生きていれば、丁度、あの痩せた弟ぐらいの年頃だろうか。
なるほど、若衆の頭に血が上る訳である。
強きを挫き、弱きを助く。
愛を知るものであれば、あの寄る辺の無い幼き子らが、なけなしの力を振り絞って強大な権力に立ち向かおうとする姿を目にして、血潮を熱く滾らせるのは当然のことである。
「構わん。(つい、うっかり、殴り殺してしまっても大丈夫だ。後の事は引き受けた)」
若衆の怒りは正しいものであると同意を示す。
罪に問われれば我の首を差し出そう。
「まあまあ、皆さん、落ち着いて」
伊予掾殿が進み出た。
残念なことであるが、これも愛であろう。
「ねえ、君、僕の事は知っているだろう?」
伊予掾殿が弓部の荘園の代官に語りかけている。
「確かに、僕は荘園の中の事には口出しできないけど、ちょっと君は欲張りすぎだよ」
代官を取り囲んでいた若衆は道を開け、平伏している。
「荘園の外の、あちこちで随分とやらかしているねえ。まるで海賊のようだ。海賊追捕使の僕は伊予の国の海賊を取り締まらないといけないんだよ」
若衆相手には居丈高に振る舞っていた代官と共廻りの者達は青ざめて平伏している。
「どうしたものかなあ。君は、もう詰んでいるんだよねえ」
平伏した代官が震えている。
「僕の方はね、まだ融通が効くんだよ。ああ、勘違いしないでね。賄賂を頂戴って言ってるんじゃないよ。君が欲張って貯めこんだ財を皆に返して謝って回るのなら、僕も一緒に皆に謝って回ろうと思うんだ。まあ、それでも、謝って済むことと、済まない事があるから、君も僕も、どうなるか分からないけどね」
平伏していた代官が顔を上げて縋るように伊予掾殿を見つめている。
「だけどねえ、君の上役達は、どうかなあ。僕が許しても、君の上役達が許すかなあ。面子がねえ、面子が丸つぶれだからねえ。君が貯め込んだ財を全部、上役達に差し出してもねえ、君は何処かの寺社に蟄居することになって、運悪く病にかかって死んでしまうかもしれないよねえ」
代官と共廻りの者達が、そろって泣き始めている。
これは、若衆に殴られていた方が、代官達も生き延びる手を打てたのではなかろうか。
「ああ、困ったねえ。誰も取りこぼさずに助けたいのだけれど、難しいものだねえ。ごめんねぇ。僕の徳が足りないから、ごめんねぇ」
伊予掾殿は、うーんと唸ってから付け足した。
「これはねえ、独り言だよ。恥ずかしながら僕もね、都の流儀には些かの心得があるからね、君達が貯め込んだ財をね、隠さずに置いて、どこかへ行ってしまったら、僕は、その財の中から皆に返す分と君達の上役に贈る分を切り分けて、文を遣り取りして、時を稼ぐことは出来ると思うんだ。君達が何処か遠い所に行ってしまうまでの時間をね。いいかい、今のは独り言だよ」
伊予掾殿は約束どおり時を稼ぐだろう。
しかし、残された財は余さず民に返して、代官の上役には何も贈らぬであろうな。
伊予掾殿は、そういう性分であるし、都の流儀からしても悪手であろう。
贈れば、弱味となり、仕組まれた窮地に立たされ、追い落とされるものだ。
伊予掾殿に付き従い、文を運ぶ日々の中で、揚げ足を取り合い、手の平を返し合う様を何度も見て来た。
もっとも、揚げ足などとられても、何も変わり様のないところまで我らは進んでしまっているのだがな。
代官達は、何も持たずに逃げ帰って行った。
さて、我は、どうすべきであろうか。
身を寄せ合って代官達の逃げ帰る様を見つめる三人を眺める。
あの兄弟を連れて行こう。
我らに残された時は少ないが、あの兄弟に見せてやりたいと思う。
見て、何を学び取るかは、あの兄弟の器量次第であろうが、我らが居なくなっても生き残る術を身に付ける機会を与えてやりたいと思う。
娘子は次郎兵衛に任せよう。
次郎兵衛は悪ぶってはいるが、愛を知る者である。
何かしら文句を垂れながらも、きっと、いつものように面倒を見るであろう。




