第12話 間の悪い従妹
俺様は笑いを嚙み殺すのに必死だった。
さきが叫んでいる。
「ウチの八郎を返せーっ。ウチも連れて行けーっ」
さき、可哀そうな子。
ぐっと堪えて手を振ってやる。
大笑いをして、馬鹿にしてやっても良いのだが、後で面倒だ。
さきは八郎の事になると見境が無くなる。
俺様を取り合って、いがみ合う娘衆の目は、どうにも居心地の悪いものだと思うことがあるが、八郎を見る、さきの目は、その娘衆の目のどれよりも暗く、どろりとして底が無い。
八郎に関わる事で、さきを下手に揶揄えば、誰かの腹を刀子で刺すぐらいの事はしてしまうだろう。
俺様は、一度や二度、刺されても、どうという事は無いが、娘衆が刺されるのは面倒だ。
話は、あっという間だった。
今治の六郎が、俺と八郎を連れて行くと言っているらしい。
今治の若衆が、色々なものを見て聞いて考えろと言っているのだと教えてくれた。
不思議なオッサンだ。
同じ六郎でも俺とは正反対だ。
俺は皆の前で語るのが大好きだが、あっちの六郎は滅多に喋らないし、たまに口を開いたかと思えば「かまわん」の一言だけだ。
そして「かまわん」としか言わないのだが、今治の若衆は、その一言でオッサンの手足の様に動く。
あのオッサンのノリと勢いというものだろう。
俺のノリと勢いとは違うが、オッサンのノリと勢いというのも、中々、渋くて良い。
あのノリと勢いを揺らすのは、随分と手間が掛かるだろう。
いや、そんな事を思うのは俺様らしくない。
今治の六郎と若衆のノリと勢いは好ましい。
気が合う。
挨拶がわりに海鼠を丸齧りして見せたのだが、皆、ゲラゲラと大笑いして、それから、妙な木の実を渡して来た。
橘だという。
初めて見る木の実だった。
食ってみると、舌の根が締め付けられるような強い酸味が来て、その後、ほのかな甘味が口の中を満たす。
腐りかけの食い物の、酸い匂いや味とは段違いの酸味が良い。
頭の天辺まで突き抜けるような酸味の勢いが心地良い。
こんな美味い実は初めて食ったといえば、皆、誇らしげに喜んで、もっと食えと俺の口に橘を詰め込んで来る。
日が暮れるまで橘を食って、乗せられた関船というデカい船の片隅で寝ていたら、夜中に叩き起こされて酒盛りが始まった。
濁り酒というものを、たらふく飲まされた。
橘ほどではないが、甘く、酸味があり、飲んでいる内に気分が上がる。
飲んで、飲んで、また飲んで、気付くと皆、眠りこけていたが、独りで朝まで飲んだ。
何故か皆、翌朝は青い顔をして吐いていたが、橘を食って、顔色を取り戻していた。
お前は、大した奴だと皆が俺を褒める。
旨くて楽しくなる飲み物を飲んでいただけで褒めらえるのはピンと来なかったが、気の合う若衆と一緒に潮にのって櫓を漕ぐのは楽しかった。
皆、腹が据わっている。
デカい山を踏む時の意地と度胸が滲み出る若衆だ。
加羅島に着いて、八郎は六郎のオッサンに連れられて何処かへ行ってしまった。
待つ間、若衆に骨牌遊びに誘われた。
もう飲み比べには懲りたから、次は、唐の国から伝わったマージャンという骨牌遊びをするという。
骨牌に刻まれた数を3つずつ、揃え、並べて、一番に手を作った者が勝ちだという。
あれこれ、細かい決め事があるようだが、遊びながら教えるというので、やってみた。
数字の並びを競うなどというのは、どうにも性に合わぬことだが、勝ち方は、すぐに分かった。
ノリと勢いを感じ取れば良いだけだ。
身体の力の入れ様、骨牌を追う目の動きを見れば、誰の手が、どこまで出来上がっていて、何を欲しがっているのかは、手に取るように分かる。
勝った手が幾らの値を持つのか、数え方を教えられても、さっぱり分からなかったが、カッコイイ見た目の手で揃えていたら、どれも値のあるものだったらしい。
ずっと俺ばかりが勝ってしまったようで、若衆が俺に教えることは余り無いようだなどと寂しいことを言う。
丁度、八郎が帰って来たので、では弟にも教えてやってくれと頼んで、様子を見た。
八郎は、この遊びに、上手くノルことが出来ぬようだ。
若衆が八郎にあれこれと教えている。
気持ちの良い奴らだ。
一、四、七。
二、五、八。
三、六、九。
呪文のような言葉を若衆が八郎に教えて、八郎は、その時は頷いているのだが、自分のモノには出来ていないようだ。
八郎の負けが続く。
ああ、来たなと思う。
皆が要らぬと捨てた骨牌を見て、八郎が「波」と呟いた。
弟は一つのことを思い続ける事が出来ぬ。
アレコレと幾つもの事を並べて思うので、この骨牌遊びには向かぬかもしれぬと思っていたが、あれは人とは違う波に乗る。
弟だけが見る波に乗った時、アレは強い。
誰も八郎に勝てなくなった。
若衆が喜んでいる。
童に負けたというのに、気持ちの良い奴らだ。
気持ちの良い男達と一緒に櫓を漕いで、潮湧島についた。
また、旨いものを食った。
細饂飩というものらしい。
確かに旨い。
細く、柔らかで、するりと喉を通る。
幾らでも食えそうなのだが、何か少し足りない。
そう、娘子のようだ。
口に出して言ったことは無いが、俺は娘子では物足りぬと思う。
娘衆は俺を取り囲んで騒ぎ立てるが、俺は嬉しいとは思わない。
俺は年増が良いのだ。
娘子のように細く柔らかくては、つまらぬのだ。
もっと太い、噛みごたえのある強かな年増が良いのだ。
さきは、娘衆に種を蒔けなどと気安く言うが、気が向かぬ。
西の浜にも年増は要るが、皆、連れ合いが居て、子が居る。
その辺り、おおらかで、咎めだてされることは無いだろう。
しかし、連れ合いが居て、子も有る年増の心を揺らすような振る舞いは俺様らしくない。
だから持て余す。
さきに種を蒔いてこいと嗾けられても、行き場が無くて持て余すのだ。
細饂飩も良いが、本当に欲しい物を諦めて、折り合いをつけるというのは俺様らしくない。
そう思っていた時、俺の勘がざわついた。
太い波がやって来る。
噛みごたえのある波がやって来て、早速、潮湧島の大工衆と言い争いを始めた。
饂飩というものは太くなければならぬ。
コシの強い、噛みごたえのある饂飩の喉越しが良いのだと怒っている。
まったく、その通りだ。
良い事を言う年増だ。
背骨の下から上まで芯の通った年増だ。
堪らず、問う。
「姐さん、連れ合いは居るのかい」
ずっと独り身だという。
こんな良い女を放っておくなんて、他の男は何を見ているのだ。
もしや、讃岐には、このような年増が溢れかえっているのか。
行けば、年増を選び放題なのか。
しかし、明日、来るかもしれぬ波を思って待つのは俺様の流儀ではない。
今ある、目の前の大波に挑むのが俺様だ。
「姐さん。アンタの作る饂飩を食べたい。毎日、一緒に饂飩を食って、一緒に歳を取って、同じ墓に入ってくれないか」
周りの若衆が腹を抱えて笑い転げている。
涙を流して笑いながら「やっぱり、お前は大した奴だ」、「讃岐の夜叉を口説くなんて命知らずにも程がある」などと言っている。
どうやら、名の知れた、相当の大波のようだ。
だが、それが良い。
何度、はじき返されようと、必ず、俺のノリと勢いを、この大波に認めさせてみせよう。




