第5話 皆、等しい
あれは良い場所だった。
だから悪かった。
小高い崖の上から沖を眺めながら思う。
兄ちゃんが教えてくれた人目に付かぬ入り江は、西の浜から山を越え、大きく回り込んでから藪の中を獣道を這い進んで辿り着く。
兄ちゃんならば、一息に駆け抜けてしまうだろう。
きっと、訳の分からぬことを叫びながら、気の向くままに走り回って見つけた場所なのだろう。
自分には無理である。
休み休み、長い時間をかけて、やっと辿り着く。
少しだけ休むつもりで腰を下ろして、もう、そろそろ行かねばと思うのだが、尻に根が生えたようである。
もう随分と長い間、座っている。
眺める海面に小さな漣が揺れ動く。
風に吹かれて立つ波や、潮の流れの渦とは異なる漣。
死んでしまった父母や兄達の言っていた事を思い出す。
あれが、小魚達が逃げ惑って起こす漣なのだろう。
漣に寄って、釣り針を垂らし、網を打てば、大魚が獲れるという。
小魚を喰おうとする大魚に追われて、小魚の群れが起こす漣があるのだと言っていた。
漣に海鳥が飛び込む。
大魚だけでなく、海鳥にまで襲われる小魚の群れ。
大魚も海鳥も必死なのであろう。
小魚に比べて、その大きな身体を養うために、沢山、喰わねばならぬ。
いつも腹を空かせているのだろう。
小魚は小さな虫や海藻を喰えば、ひとまずの飢えは誤魔化せるだろう。
しかし、大きな魚や海鳥に喰われてしまう。
だから小魚は群れを作るのだろう。
西の浜の村人のように、誰かが死んでも、残った子を誰かが育てて生き残っているのだろう。
では大きな魚や海鳥は幸せなのであろうか。
そうでもなかろう。
大きな魚は、より大きな魚に喰われ、海鳥も、より大きな鳥に襲われて喰われる。
皆、飢えて満たされぬまま、喰われる。
海面に色の違う波を見つける。
聞いていた場所と、おおよそ合致する。
海の中にも山があるのだと言っていた。
潮の流れが海の中の山にぶつかって、違う色の波を立てる。
海の中の山に魚が寄り集まるのだという。
きっと、海の中の山にも栗や木通のような甘味があって、魚が寄り集まるのだろう。
海の中の山に寄って、針を垂らし、網を打てば、魚がよく獲れると言っていた。
しかし、寄りすぎれば、海の中の山に釣り針を取られ、網は岩に掛かって破れる。
どこまで寄れば針を取られ、どこまで近づけば網が破れるのか。
海の中の何処に山があり、その山が、どのように広がっているのかは漁師の親が子へと語り継ぐ秘密である。
父は腕の良い漁師であった。
そして少し、欲深い所があった。
海の中の山の形を良く知り、西の浜の村の者には多くを語らなかった。
欲だったのだろうか。
皆が知れば、皆が獲る。
自分の取り分が減る。
自分の妻や息子達に少しでも多く食べさせたいと思う。
それを欲と言って良いのだろうか。
欲とは違うのではないかと思う。
いや、やはり欲であると思う。
欲をかいて死んだ。
親兄弟の咳と熱が続いた時、助け合い、支え合って生きて来た村の者の心は、少しだけ、ほんの少しだけ薄かったのではないかと思う。
ひどく心が重くなる。
やはり、自分は虚である。
従姉の整った顔を思い浮かべる。
自分は喰わずに、うつけの従弟に干し魚を差し出した従姉の目の色を思う。
人を疑う、欲深い自分は、やはり何の役にも立たぬ虚であると思う。
焼き滅ぼされた山賊と同じであると思う。
あの場所は、不思議な場所であった。
山の上に池がある。
全くもって、理屈に合わぬことである。
水は高い所から低い所へと流れて行くものであろう。
浜に打ち寄せる波も、必ず低い方へ帰って行く。
あの山に連なる山々の峰は、あの山よりも僅かばかり高いものもある。
その峰から水が流れ落ちるにしても、池が出来るほど水が溜まるものではないだろうと思う。
湧き水が出るのだと聞いたことがある。
ますます、道理に合わぬことである。
水というものは、高い所から低い所へと集まるものであろうに、山の頂付近から湧き出るなど、理屈が通らぬ。
神仏の加護であると言うものがある。
山から山へと移り住む山の民、山伏達が、あの山の池の辺りを練り歩き、近くの大岩を神仏の御印であるとして祈祷を捧げているという。
思いが逸れた。
あの場所が良かったために、悪かった事を考えていたのだった。
山賊達は小魚だった。
役人達に搾り取られて耐えきれず、在所を棄てて逃げた小魚だった。
最初は小さな群れで、行商人を襲っていた。
転々と移動しながら、大きな魚や海鳥から逃げていた。
生き延び続けるうちに頭数が増え、群れは大きくなり、役人達の荷駄を襲って肥え太った。
大きくなった図体は、住処を気軽に移せるものではなくなっていた。
身を隠す木々があり、湧き水が出る山を見つけ、塒とした。
あそこに隠れているつもりだったのだろう。
たちまち大きな魚や海鳥が来て、喰われてしまった。
我が身さえ良ければ構わないと欲をかいて、肥え太って喰われてしまった。
他人事のように思っているが、自分も同じである。
目立つ小魚が、どのような目に遭うか分かっていたのに、喜ぶ従姉の顔を見たいという欲に逆らえず、従姉の身に災難を招いた。
従姉が売られてしまわぬように塩を作らねばならぬ。
そうして、その先も、また危い。
搾り取れると知られれば、大きな魚や海鳥が西の浜の村を襲うだろう。
どうやって逃げるか。
考えて、弱いとは思いつつ、手を打ってみたが、効き目が出るかは、その時になってみねば分からぬ。
さて、益体もない物思いは、これまでだと思って立ち上がろうとして、視界の端に船が見えた。
帆船であった。
あれは、物の怪の類か。
せっかく立ち上がりかけた足が萎えた。




