第4話 小袖の塩
兄ちゃんが騒々しい。
誰も何も言わない。
数えで十三の子どもなのに、終わってみれば大人3人分は働いているから、文句を言われたりはしないのだけれど、マトモにやっていれば4人分、5人分の働きになるかもしれない。
そう思ってから、違うと思った。
ああいうのを間に挟むから3人分の働きをする気になるのであって、黙々と働くことを求めれば、辛抱できずに、どこかへ行ってしまうから誰も何も言わぬのだ。
兄ちゃんだけではない。
他の者の心持ちも変えるのだろう。
奇声を上げて、兄ちゃんが天秤竿を振り回す。
海水を汲んだ桶を4つも吊り下げた天秤竿を振り回しながら運ぶ。
時には、桶を一つ手に取って、グルグルと振り回す。
不思議なことだと思う。
桶を逆さまにすれば、汲んだ海水は零れ落ちてしまうはずなのに、兄ちゃんが振り回す間、逆さまになった桶から海水が零れることはない。
どうして零れぬのかと目を見開くが、他に気にする者は居ないようだ。
聞くまでもない、当然のことなのかもしれぬ。
聞けば、また虚だと笑われるのだろう。
「ギャハハハハ」
兄ちゃんの高笑いが塩田に響き渡る。
強く振り回し過ぎて、持ち手の縄がほどけて、兄ちゃんは頭から海水を被っていた。
兄ちゃんには奇妙な力がある。
塩田で働く浜子の役は辛い仕事だ。
波打ち際から浜の上に設けた塩田まで、海水を一杯に貯めた桶を担いで、何度も往復する。
重い天秤竿を担ぐ肩には血が滲む。
不始末をする者があれば怒声が飛ぶものだが、兄ちゃんが奇妙な振る舞いをして笑えば、皆笑う。
皆の足取りが軽くなる。
これ以上、自分などが、ここに居ても益の無いことであると、海藻や貝など、めぼしい物を拾って家に帰る。
夕飯の支度のために火を起こす。
不思議なことだと思う。
薄く被せた灰を除けて、熾火を起こす。
熾火を種に小枝を寄せ集めて火を点ける。
息を吹きかけて、火を強くする。
火というものは風が欠かせぬもののようだ。
風に当たれば、強く燃え上がり、深く灰に埋めれば火は消えてしまう。
しかし、炭になった熾火は灰をかけても燃え続ける。
もちろん、深く埋めてしまえば熾火も消えてしまう。
それでも薪や小枝の火が消えてしまう程度の灰で、熾火の火が消えることはない。
また熾火は、火の力も強い。
薪や小枝から勢いよく立ち昇る火が無くとも、土鍋を熾火に当てるだけで粥が煮える。
最近になって、燃えている薪や小枝が灰に埋もれると炭になるものがあることに気づいた。
山での柴刈りも、取り決めが煩く、好きなだけ薪や小枝を持って帰って良いわけではないので、熾火のことを、もっと知らねばと思う。
乾いているためかと自分に問うてみる。
湿った枯草や小枝には火は点かぬ。
乾かせば、焚き付けになる。
火の点いた薪や小枝であっても灰を被せれば火が消えてしまうのは、まだ湿り気があるためか。
火の側にあって、しっかり乾いて炭になったものは、少しぐらい灰を被っても、わずかな風で燃え続け、火の力も強いのであろうと答えてみる。
道理のような気がするが、真であるかは分からない。
別の道理があるのかもしれない。
全く自分は役にも立たぬ、中身が空っぽの虚であると諦めた時、兄ちゃんが帰ってきた。
「ウヒョー、見ろよ。小袖が一人で立ってるぜぇえっ」
帰宅するなり、全裸になった兄が叫ぶ。
いや、帰宅する前から全裸だったかもしれない。
見れば、確かに兄の脱いだ小袖が、袖を通した形のままで立っている。
寄って見れば、小袖は白い粒で覆われている。
触ってみる。
白い粒が零れ落ちる。
手に付いた白い粒を舐めてみる。
塩である。
兄ちゃんは先ほど、頭から海水を被っていた。
乾けば塩が残る。
塩で固められた小袖が、脱いでも袖を通した形のまま立つ。
何も、おかしなことはない。
だのに、どうして、そんなに笑うのかと不思議に思って、気が付いた。
確かに、これは面白い。
海水からは塩が採れる。
海水を煮詰める。
煮詰めるうちに海水が減る。
湯気が良くでるほど、海水の減りも早いので、煮詰めると、水は湯気になるのだろう。
頭の良い、役に立つ人が居たものだと思う。
海水を煮て、採れる塩は僅かである。
沢山の薪を燃やして、僅かの塩では間尺に合わぬ。
海水の中の塩を濃くする術を思いついた人が居た。
塩田である。
浜の上手に粘土を敷き、水が逃げてしまわぬように囲って、粘土の上に砂を撒く。
桶で波打ち際から海水を運び、粘土の上に撒いた砂にかける。
夏の日差しに焼けて、砂が乾く。
砂粒の中に塩粒が残る。
そこへ重ねて汲んできた海水を撒く。
乾いた砂粒の中に塩粒が残る。
何度も繰り返す内に砂粒よりも塩粒が大きくなる。
次が素晴らしい。
砂粒の中から塩粒を拾うのではない。
塩粒を多く含んだ砂粒を掻き集め、穴の開いた桝に入れて海水をかけるのだ。
かけた海水は塩粒を溶かして、桝の穴から流れ出る。
穴から出る海水は、ただの海水よりも、ずっと塩気が濃くなっている。
その塩気が濃くなった海水を煮詰めれば、ただの海水を煮詰めた時よりも、ずっと沢山の塩を得る。
全くもって道理である。
誇れる知恵である。
そうして、小袖を見る。
砂でなくとも良いのではないか?
塩田で働く浜子の役は辛い仕事である。
海水をなみなみと汲んだ桶を担ぎ、波打ち際から浜の上の塩田まで、何度も往復する。
塩田では、早く乾くように鋤簾で砂を掻き混ぜる。
焼けるような日差しの中、砂をかき混ぜ続ける。
塩粒が大きくなれば、塩田の砂を掻き集めて桝に運ぶ。
重たい砂を担いで運ぶ。
桝に砂が溜まれば、また海水を運ぶ。
砂粒の中の塩粒が、余すところなく溶けるように、そして、煮詰める海水が多くなり過ぎぬように、ゆっくり時間をかけて重い桶を傾ける。
試してみたいと思った。
無理であると諦めた。
海水を煮詰める鉄の大鍋のような高価なものは村の共有財産である。
虚の自分の思いつきで自由に出来る代物ではない。
また、自分の思う通りであれば、別の厄介事を呼び寄せるだろう。
まったく自分は何の役にも立たぬものであると、心底から嫌になった。




