第20話 毒を吐き、毒を飲む
虚ろの僕が言う事は、情のある人には耐えられぬ毒なのだろう。
毒を吐く僕を見て、皆が静まりかえる。
「僕達を押しとどめる船の群れは無くなりました」
「このまま狭門の海を抑え、帆船が進むことを禁じ、年貢を集める物の流れを止めましょう」
「物の集まる流れを止め、海沿いにある国衙を焼いてまわり、貴族を飢えさせましょう」
「飢えた人は、食える物を求めて散っていきます」
「人の散った摂津の国、河内の国に上がり、集まった物を焼き払いながら都に進み、貴族の家も力も燃やし尽くしてしまいましょう」
夕凪のように静まり返る。
伊予掾様が答える。
「この王朝は腐っているけれど、その底力を甘く見てはいけないよ」
「海が駄目なら、野を越え山を越え運ぶこともできるさ」
「摂津の国、河内の国を侮ってはいけないよ。かつては都が置かれていた国だ。守りは堅く、人や物も坂東から集まる」
「飢えるのは貴族だけではないよ。民も飢える。むしろ民から更に財を取り上げて、貴族だけは飢えないだろう」
「僕達にも土地が必要だ。海の水は飲めないし、船に乗れる人の数には限りがある」
「大宰府を奪おう。都から離れた土地に拠って立ち、人を集めよう」
道理のようであり、道理ではないと思った。
僕達は海に生きる者。
海の上の戦いには長けていても、陸の上の戦いは知らない。
海から寄せて、奪い、焼いて海に帰ることは出来ても、土地に拘り、陸で暮らせば強みを失う。
「がんす」
金剛の十郎さんが答え、僕の肩を叩いた。
船の群れの行く先が決まった。
不思議な人だ。
十郎さんは、伊予掾様に向かっては「がんす」としか言わない。
でも、伊予掾様のそばに居ることを許されなくなった僕に、皆が嫌う僕に、よく話しかけてくれる。
焦根の十郎さんだと思っていたのだけれど、金剛の十郎さんだと言う。
そうして、また、違う名前を名乗るつもりだと言う。
名は残したいと思うものではないのかと聞いたら、名を変えて生き続ける者だって居て良いだろうと笑う。
そして、嫌われ者の僕の頭を撫でながら言う。
坊主が酷い事を言っているとは思わない。
追いつめられると、魔が差し、出来心が生まれ、心にもない事を言って、やってしまうものだと言う。
金剛の十郎さんは、物知りだ。
安芸の海だけでなく、遠くの海の波と潮の色まで知っている。
魔が差したのではなく、出来心でもなく、僕は何時も、この通りだと言えば、時間がかかると金剛の十郎さんは言う。
追いつめられた時間が長ければ長いほど、心の安らぎが戻ってくるまで長い時間がかかるものだと言って僕の背中を擦ってくれる。
物知りの金剛の十郎さんが、そう言うのに、違うと言って逆らう意味は無い。
在っても、無くても、どうでも良い僕のことなど、気にかけてもらうのは無駄なことだ。
安芸の衆の導きで、渦巻く潮が穴となり、船の行くてを塞ぐ戸となる穴戸海峡を越え、外海に出て、九国の北の岸に辿り着いた。
僕達の船の群れは千を超え、博多の津を埋め尽くし、大宰府を飲み込んだ。
船が減った。
博多津の戦で沈められた船はあった。
船が減った。
暗いうちに姿を消した船。
陸の上の暮らしより、故郷の海が恋しくなったのだろうか。
船が減った。
大宰府を取り返そうとする兵を運ぶ船が増えた。
伊予掾様に勝ち目が無いと見て、王朝に従うことにしたのだろうか。
しばらく姿を見なかった金剛の十郎さんが現われた。
今はもう、違う名前だという。
伊予掾様が呼んでいるという。
大宰府を取り囲み始めた武士達が作る陸の波。
分厚く、重なった、強い波の色。
今なら、まだ間に合う。
土地を捨てて、狭門の海に帰れば、また波に乗り、潮と風を読んで強く進む機会が来るかもしれない。
そうして、不思議な事だと思った。
自分など、どうなっても良いのに、何を惜しいと思って逃げる事を考えたのだろうか。
伊予掾様の居る所に着く。
今すぐに土地を捨てて、海に戻るべきだと伝える。
張り付いた顔。
色の見えない目。
伊予掾様は、その顔で都の海に浮いていたのだと思った。
色を見せてはいけない。
眉を顰め、目線をそらしただけで、沈められてしまう都の海。
色を見せない顔を張り付けて、伊予掾様が僕に飲むように差し出す不思議な色の水。
嗅いだことのない匂いの水。
躊躇う意味は無いので飲み干した。
伊予掾様の顔が剥がれ落ちる。
僕には分からない色の顔。
辺りが騒がしい。
海に戻るために荷を、まとめているのだろうか。
何も言う必要は無かったのだなと。
やっぱり自分は役に立たないものだなと。
そう思って兄ちゃんの所へ行こうと思ったら、呼び止められて、伊予掾様の話が始まった。
「最初からね、こうしようと思っていたんだ」
「まだ、この王朝は、いや、貴族は滅びない」
「強かだからね、貴族は」
「だけど、楔を打ち込むことは出来る」
「今まで、貴族同士の争いは、何度もあった」
「負けた貴族から奪って、勝った貴族が大きくなって、それを何度も繰り返して、この王朝は腐っていった」
「だから、違う争いをしないといけなかったんだ」
「貴族と民の争いだよ」
「僕や将門君に勝った民が、貴族から恩賞を勝ち取って力を付け、貴族が縦にする王朝を横の形に変えるんだ」
「形を変えても、中身は変わらないかもしれない」
「だけど、意味のあることだと思うよ」
「貴族が、いつまでも貴族のままで、民が、いつまでも民のままではないのだと皆が知ることになるからね」
「途中まででいいと言ったんだよ」
「形が出来たら、帰って良いと皆に約束してたんだ」
「僕の首を獲る側になっても良いと言っておいたんだ」
「だけど困ったものだね」
「最後まで一緒だと言って、帰ってくれない人達が居るんだよ」
「そんな約束はしていないと言っても、帰ってくれないんだよ」
「本当に、困ったものだね」
「僕の徳が足りないから、皆を困らせてしまったね」
「誰も彼もに嫌な役を押し付けて、僕の徳は本当に足りないね」
「だから八郎に毒を飲ませたよ」
「嫌な役を押し付けるために、毒を飲ませたよ」
「今、八郎が飲んだのは、僕達がハシリドコロと呼ぶ草の根を煎じたものだよ」
「僕達が、好んで使う毒だよ」
「飲んだ者は、起きているのに夢を見るんだ」
「楽しい夢や、悪い夢を見て、起きたまま夢の中の出来事を本当の事のように思い込んで言葉にしてしまうんだ」
「幻を語り、見えない物を追って、追われて、走り回った後に毒が回りきって息が止まるんだ。だからハシリドコロと呼んでいる」
「そんな毒を飲ませておいて、僕達は、嗚呼、あの人は悪い病気に罹って死んでしまった。惜しい人を亡くしたと泣いてみせるんだ」
「さあ、十郎。八郎の事を頼んだよ」
「他の困った人達は、飲んでくれそうにないからね」
「八郎を連れて行っておくれ」
「八郎が逃げ落ちるための時間を稼げと言えば、頑張ってくれるだろう」
「頑張り過ぎて、生き延びてしまうかもしれないから」
「酷いね」
「僕は本当に徳が足りない。最後の最後まで、こんなに欲深い」




