第19話 藤原純友の乱
難波の津、住吉の津から船の群れが押し出して来た。
僕達の船の群れと睨み合う。
伊予掾様は任期が終わっても都に帰らなかった。
何度も文が来て、位や職を与えるからと誘われたようだけれど、それらを全て無視して海賊衆を呼び集め、船の群れを作った。
浪速の海で睨み合う。
海の戦というものは、押しては引き、引いては押すの繰り返しだ。
すぐに戦いを始められるものではない。
追い風が吹けば押し、向かい風が吹けば引く。
追い潮に乗れば押し、引き潮になれば引く。
足の速い小早船が敵方の船の位置を確かめ、敵方の動きを牽制し、船と船の間を行き来して、伊予掾様の決めた事を伝える。
機を見て、足は遅いが、船の上に防壁を備えた関船が進み、弓の射手が盾の狭間から矢を射る。
風が吹く。
波で揺れる。
盾に阻まれる。
そう当たるものではない。
勝機と見れば、巨大な安宅船で押し出し、多くの射手が弓を射て、近づく船があれば、当たって砕く。
小早船も関船も入り乱れて船を寄せ、熊手で敵を海に引きずり落し、鉤縄を掛け、乗り移って敵を叩き落とす。
しかし、そのような機会は、そうあるものではない。
互いに風を知り、潮を知り、岩礁の位置を知る者同士。
有利を読んで押し進み、不利を悟って退き下がる。
押しては引く、睨み合いが続いていた日々に変化が訪れた。
敵方の船の群れの圧力が増す。
新皇を名乗った平将門様が敗れたようだ。
二手に分かれていた、この王朝の力が、一手に集まる。
押しては引く駆け引きは、そろそろ終わりのようだ。
「八郎」
伊予掾様が呼ぶ。
僕は、いつも伊予掾様のそばに居るように言われて、問われた事に答える。
虚ろの僕が言う事は、情のある人には聞くに耐えぬものがあるようで、伊予掾様が嗜めつつも、使える考えであれば今治の六郎さんが頷き、海賊衆が動く形が出来ていた。
「あの船の群れの端、おかしな色をしています。他は整っているのに、あそこだけ乱れていてる。誘っているのかもしれません。あの島影に隠れた船が在れば、寄った船は押し包まれてしまうでしょう」
「構わん」
今治の六郎さんが頷いて、今治の衆の小早船と関船が島影に回り込む。
敵方の船団の色が乱れる。
敵方は欲をかいて、損をした。
背中から襲うつもりで小分けした小さな波が、背中から襲われて、船の群れの色が崩れる。
退いて行く。
退いて色を整え、明日はもっと大きな波になって寄って来るだろう。
「八郎」
伊予掾様が呼ぶ。
「大きく退きましょう。この辺りは互いに知った海です。ここで睨み合いを続けても、少しずつ削られて、やがて大きく呑まれるでしょう」
「退けば、相手は勢いに乗るよ」
「勢いに乗せましょう。退いて逃げると見せれば、止まれぬ波となるでしょう。侘しい漁村へ至る水道の入り口に、波に隠れた砂州があります。帆船も滅多に立ち寄らぬ水道なので、知る者は少ないでしょう。そこへ引き込んで砂州に乗り上げさせ、押し包んで燃やします」
「そう、都合良く、乗ってくれるものかな」
「誘いましょう。怒りに我を忘れて止まれぬように誘いましょう。そのために備えました」
今治の六郎さんは何も言わなかった。
誰も何も言わなかった。
「八郎、まだ、居なくなってはいけないよ」
伊予掾様が、そう言って、船の群れが舳先を変える。
翌朝、押し出して来た敵方の大きな船の群れを見ながら、退く。
讃岐の衆が導く。
潮の流れ、風の向きを読んで、何かあると敵方に恐れさせながら、船の群れを導く。
潮湧の衆が色を作る。
波の色、潮の色の間をぬって、喰いつけぬ色を作りながら、船の群れを退かせる。
数日をかけて、加羅の島を越え、侘しい漁村に近づいた。
敵方の船の群れの勢いは増しているが、少し足りない。
疑っている。
兄ちゃんと僕は小早船に乗り換え、10艘の小さな群れを作り、敵方に近づく。
漕ぎ手だけで、射手の居ない弱い群れ。
残った僕達の船の群れは、幾つにも分かれて散って行く。
敵方の船の群れに見える戸惑いの色。
降伏を告げる使いか、寝返る小さな群れかと戸惑っている。
先頭に立つ兄ちゃん。
異相である。
二本の松明を頭の左右に括りつけ、煤で顔に模様を描いている。
カッコイイだろと笑う兄ちゃん。
兄ちゃんの異相が見える位置まで近づいて、敵方の群れの戸惑いの色が強くなる。
「三日月」
僕の呟きを受けて、兄ちゃんが手を振り、僕達の小早船が敵方の船の群れの前で弧を描く。
どの船から石を投げても、一点に礫が集まる形。
敵方の船の先頭で、僕達を威圧していた関船を狙う。
櫓を手放し、石礫を皆が投げる。
風が吹いても流されることの無い石の重さ。
波で揺れ、狙いを外しても、補って余る礫の数。
関船の頭らしき人に当たる石。
倒れる。
敵方の船の群れから熱の色が立ち昇る。
海の戦の流儀に反することぞと、怒りの色が溢れでる。
「一列」
僕の呟きを受けて、兄ちゃんが手を振り、僕達の乗る小早船を最後尾にして縦の一列になり、退く。
竹束の盾を組み合わせ、大きな盾を作って船尾で構える。
一列になった小早船のそれぞれが、船尾で盾を構えて漕ぎ手を守りながら退く。
矢を防ぎながら逃げるのに良い縦一列の船の波。
大きくした盾にも納まりきらぬ兄の巨躯。
飛んでくる矢を掴み取り、へし折って見せて、高笑い。
風にかき消されることの無い、異相の大男の大きな嘲笑い。
敵方の船の群れの溢れる熱。
止まらない。
止まれない。
夕暮れ時。
もうすぐ凪が来る。
水道の入り口。
目を凝らせば気付く、波の下の砂州の色。
一列の小早船の波を散らせる。
慌てて逃げ散る小魚の群れ。
大魚は、喰い逃がしてはなるものかと焦る。
我先にと勢いを増す。
敵方の小早船は通り抜け、関船の群れが乗り上げる。
狼狽える小早船と関船。
急には止まれぬ安宅船。
ぶつかる。
それでも後から押し寄せる船の群れ。
終わりの色。
出来上がった。
散っていた仲間の小早船が寄り集まり、再び作る三日月。
弓矢の腕を鍛えても出来ぬこと。
石礫を手ぬぐいや紐で投げる技と同じ鍛え方。
網で包んだ油壷。
振り回して手を離せば、大きな弧を描いて落ちる、躱すのは容易い油壷。
人は避ける。
乗り上げた船、後がつかえて身動きのとれ船は油で濡れる。
癪に障る、うつけ共めと、寄ってくる敵方の小早船。
兄が懐から瓶子を取り出し、中の油を口に含む。
寄せてくる小早船に向け、松明をかざして油を吹く。
火を吐く異相の大男。
弓を射ることを忘れ、櫓を漕ぐ気を失い、呆然とする。
敵方の群れに広がる恐れの色。
投げる油壷が無くなって、投げる熾火の入った壺。
大きく弧を描いて落ちる熾火。
燃え広がる炎。
何度も試した。
ただの油では弱い。
松脂の火は水をかけても消えにくい。
油に松脂を加えてみる。
別々の物のままであった。
混ぜ合わさねばならぬ。
掻き混ぜても効果は薄い。
温めてみた。
松脂は油に溶けた。
まだ足りぬと思った。
兄が割った水瓶の水を浴びて、はじけた熾火。
火で煮れば、水は湯気になって飛んで行く。
よく乾いて、強く燃える熾火にかかった水は、強い勢いの湯気となって、はじけ飛ぶ。
炭を細かく砕き、粉にして、松脂の溶けた油と混ぜ合わせた。
強く燃え、水をかけても消えぬ、水をかければ、はじけて燃え広がる油が出来た。
燃え広がる船の、そこかしこで立ち上がる強い湯気、飛び散る消えない炎。
兄が竹束を放り投げる。
幾つも放り投げる。
波にゆれる竹束。
兄が飛ぶ。
揺れる竹束に飛び移る。
竹束が沈む。
沈む前に次の竹束に飛び移る兄。
飛ぶ、飛ぶ、飛ぶ。
海の上を飛び跳ねる、火を吐く異相の大男。
叫び、飛び、気を吐く。
「我は住吉社の使いなり。龍神様の使いなり」
色を失う敵方の船の群れ。
海に飛び込み、泳いで逃げる者、動けぬ船を置いて去ろうとする船の群れ。
逃げたと見せかけて戻って来た僕達の船の群れが背後から押し包む。
大勢は決した。




