第18話 邪馬台詩
伊予掾様に呼ばれた。
わざわざ西の浜まで来て、弓部の荘園の代官を追い払ってくれた人だ。
宇和の日振島にある伊予掾様の館へ行った。
今治の六郎さんと一緒だ。
どうするのだろう。
虚ろの自分でも知っている。
貴族は、僕達に直接、声をかけるものではないし、僕達も、何か問われても直接、答えてはいけないものだ。
今治の六郎さんは親しく接することを許されているようだけれど、あの人は、「構わん」としか言わない。
六郎さんが間に立って、話が成り立つのだろうか。
今治の六郎さんを通じて話しているフリをして、直接、聞いて、直接、答えることになるのかな。
無礼だと、首を刎ねられるのかな。
そうなっても困らないけれど、思っていたのと違った。
伊予掾様は館の中にいて、僕は庭先で平伏して、聞かれた事に受け答えするのだと思っていたのだけれど、館の中にあげられてしまった。
そういう約束事は、もう、どうでも良いのだと言われて、館の中で遮る物もなく対面している。
「何を見て、何を感じて、何を考えたか、いろいろと噂は聞いているのだけれど、直接、教えてくれるかな」
穏やかな伊予掾様の顔。
張り付いた顔。
心を見せない顔。
「構わん」
やっぱり、今治の六郎さんは、構わんしか言わない。
思ったことを思いつくままに、まとまりのない話をして、きっと、何を言っているのから分からなかっただろうな、首を刎ねられるかなと考えた。
「僕も断言はできないけれど、恐らく月は、そして太陽も一つしか無いと思うよ」
伊予掾様は、僕のとりとめのない話を理解して、一つ、一つ、答えてくれるようだ。
僕の事を分かってくれたのだろうか。
でも、伊予掾の顔と目の色に心は見えない。
「日食や月食というものがあってね、見ている間に欠けて満ちる事があるんだよ。だから、満ちた月、欠けた月が、それぞれ在るのではなくて、他の理があって、欠けて満ちているのだと思うよ」
「月や星を見続けて、暦を作り、次の満ち欠けを言い当てる学問があるんだ」
「月が満ちて欠けるように、王朝が滅びることもあるんだよ。易姓革命というんだ。政が間違っていれば、天の信を失って王朝は滅びる。天の命を受けて新しい王朝が立つんだ」
我慢できずに、聞いてしまった。
「この王朝を滅ぼすのですか」
伊予掾様の顔は変わらない。
「君は随分と恐ろしい事を考えているようだね。そして、それを恐ろしいことだと思っていない」
伊予掾様の目は変わらない。
「漕ぎ手に石と盾を持たせる。船の陣形を組む。油を集めて火計を企む。六韜三略を修めた真備様のようだ。六郎君、恐ろしい子を育ててしまったねえ」
今治の六郎さんが黙って頭を下げる。
やはり、我慢できない。
僕のような人間が他にも居たのなら、どんな終わりを迎えたのか知りたい。
「簡潔に答える事は難しいねえ」
「真備様は、唐の国に渡り、多くの理を学んで帰って来られたのだけれど、その知識を十分に振るうことが出来ないまま、吉備の国で隠棲して最後を迎えられたようだよ」
「唐の国は遠い。外海の大波に呑まれて消えた船がある。辿り着いても、帰りの船が野分にに襲われて沈むことも多い」
「仲麻呂様のように、その才を買われて、帰ることを許されなかった人もいる」
「真備様は、唐の国で与えられた財を全て書物に換えて持ち帰られた」
「真備様を妬み、恐れる者は多かった」
「持ち帰った知識を、この王朝のために使えば、妬み、恐れる者が真備様を追い落とし、困りごとが生じれば、何食わぬ顔をして引っ張り出し、都合良く使った」
「それでも真備様は徳を忘れず、外海に在る王朝から、この王朝を守る防塁を築く時も、民の事を第一に考えた」
「そのように生きて、誰も妬まぬように、誰も恐れぬように、自ら身を退いて静かな最後を迎えられたようだよ。沢山の書物を残してね」
「才ある者は妬まれる」
「物申す者は嫌われる」
「この王朝だけではないよ」
「多くの理を明らかにした唐の国も同じだよ」
「才を買われた仲麻呂様も妬まれて、恐れられて、急な病を得て亡くなられたと聞いているけれど、きっと、この王朝と同じだよ」
「唐の国へ渡ることを止めるよう進言した道真様が、何もかも奪われたようにね」
「そう。唐の国は滅びてしまったけれど、真備様によると、この国は、まだ滅びないようだよ。真備様は唐の国で邪馬台詩という予言書を読み解かれたんだ」
「この王朝が百代目の王を戴いたとき、犬や猿のような者が英雄になり、王に取って代わると書いてあったらしいね。でも、百代目の王を迎えるのは随分と先の事だ」
首を刎ねられてもいいから聞きたかった。
「今すぐ、滅ぼすことは出来ないのですか。何もかも燃やし尽くしてしまうことは出来ないのですか」
伊予掾様の波の色が変わった。
「ごめんね。僕の徳が足りないから、ごめんね」
「君は自分も含めて何もかも無くなってしまえば良いと思っているんだね。間違った政が君を、そうさせてしまったんだよね」
「徳の足りない僕が言っても、聞く耳を持てないかもしれないけれど、聞いておくれ」
「自分に価値が無いとは思っていけないよ」
「自分の価値は自分で決めるんだ」
「高値で買ってもらえないからといって、諦めてはいけないよ」
「他人が、どう思うかは関係ないんだ」
「自分の値打ちは自分で決めるんだ」
「誰が何と言おうと、断固たる意志で、自分は素晴らしいものであると胸を張って立つんだ」
伊予掾様は熱を込めて、徳を語ってくれているようだけれど、僕には全く理解できない。
「それは、貴族のことを言っているのですか」
「何の役にも立って居ないのに、自分は尊いものだと信じて疑わないのは貴族です」
伊予掾様の目が見えた。
伊予掾様の顔が見えた。
これが徳の色なのか。
理の色、怒の色、憎の色、哀の色、諦の色、利の色、望の色が渦巻いている。
「そうだね」
「そうだね」
「全く、そうだね」
「徳を語ったつもりで、得を語ってしまったね」
「僕もそうだよ」
「僕も貴族だよ」
「自分の価値を認めて貰えなくて、自分の価値を認めるために、ここに居るんだよ」
「何もかも無くなってしまったらいいと思うよ」
「何かを残せたら、いいと思うよ」
「僕に徳が満ちていれば、こんな風にはならなかっただろうね」
「僕に徳が全く無ければ、こんな風にはならなかっただろうね」
「一緒に行こう」
「手を繋いで革命の火を灯そう」
「消えずに残る火を、一緒に点けよう」
「良かったね」
「残念だったね」
「君は僕よりも恐ろしい事をするかもしれない」
「君は僕よりも素晴らしい物を残すかもしれない」




