第2話 ホントにヤベーのは八郎だ
「ウェーイ、今、帰ったぜ」
まだ舌が痺れて呂律が回らない。
砂まみれの体だが、気にすることもない。
蚤と虱だらけの掘っ立て小屋の我が家だ。
腐って落ちた葦を葺き替える余裕もない、隙間風の通り抜ける竪穴式住居で冬を越す度に、どうして死ななかったのか不思議に思う。
俺達が生きてるんだから、蚤と虱も生き残った。
八人産まれて生き残ったのは、たった二人の兄弟。
蚤と虱まで家族と認めた覚えはねえんだがな。
「兄ちゃん、なに言ってるか、分かんないよ」
そう言いながら、八郎が俺に椀を差し出す。
海藻と貝と粟や稗を煮た粥が入ってる。
「あんがとよ。フォーッ。舌が痺れてんだよ。このヒリヒリ感が堪んねえ」
まったく言葉になってないと我ながら思ったが、八郎には伝わったと思う。
「兄ちゃん、僕は、しばらくバックレるから、みんなには上手いこと言っといてくれないかな」
「おう、任せとけ」
八郎は数えで十三だ。
風邪を引いて寝込んでると言えば、特に文句が出るわけでもない。
弟は、皆、兄ちゃんに一目置いているから、兄ちゃんが言えば大抵の無理は通ると言うが、そんな訳ねえ。
マジでヤベえのは八郎だ。
コイツの目に映るのは何か別のもの。
コイツの頭の中にある天秤は、皆と違う錘を乗せて、釣り合いをとっている。
やって良いか、悪いかじゃねえ。
出来るか、出来ないかだ。
欠けてる。
それをやったら、皆が、どう思うかという視点が欠けてる。
いや、違うな。
皆が思うことを、コイツは思わない。
情が無いわけじゃあねえ。
大事に思うことがズレてる。
どうしようもないくらいズレてる。
クサフグを食って痺れた俺を躊躇なく砂浜に埋めた時は、皆、ドン引きしてたが、俺は知ってる。
素手で人ひとり、埋められるだけの穴を掘った八郎の手は、爪が割れて剥がれて血を流していたことを知っている。
涙ひとつ流さずに、血を流していた俺の弟。
普段は腐った魚みたいな目をして、同じ年ごろのガキどもと遊ぶわけでもなく、無気力に座り込んで遠くを眺めてる。
そんで、時々、突拍子もないことを言い出す。
言ったことは、必ず、やる。
4年前のことだった。
西の浜の北に山賊の塒があった。
国衙に集まる年貢の荷駄を襲っていた奴らは、段々、頭数を増やして、それまでは転々と居場所を移していたものを、北の山に砦を作って腰を落ち着けるようになった。
流行り病で親兄弟が死んで、俺と八郎の二人っきりになった頃のことだった。
追討の兵が来た。
近隣の土豪の夜襲を受けて、山賊の住処から火の手が上がった。
夜中に燃え上がる山賊の塒を遠目に見て、八郎が言った。
あの近くまで背負って連れて行ってくれと。
自分一人でも行けなくはないが、時間が惜しいと。
近くまで背負って行ったら、そこから一人で燃え盛る塒に忍び込むと言う。
逃げ散る山賊達を追う兵の怒号。
逃げ遅れた女に群がる雑兵達の歓声。
塒を焦がす炎の明かりで、離れた茂みからも窺い知ることが出来た。
身体の小さい自分なら物陰に身を隠すのも簡単だし、見つかっても童だから許されるかもしれないと。
そう言って、這うように進んで行って、暫くして帰って来た。
武具のような高く売れるものを漁って来るのかと思っていたが、持ち帰って来たのは大きな盥と小さな刀子だった。
弟は盥を背負い、亀のように這って帰って来た。
武具を売れば怪しまれる。
鉄鍋のような価値のあるものも、出所を咎められて買い叩かれるだろう。
目立たず使える盥と刀子の方が命を賭ける価値があると、醒めた顔で答えた弟。
刀子は分からぬでもないが、盥なぞ、何に使うのかと尋ねたら、誰も寄り付かぬ、人目につかぬ入り江はないかと聞いてくる。
何を言っているのか分からなかったが、岩礁だらけで船では近づけない、崖に囲まれた小さな浜の場所を教えてやった。
盥を背負い、刀子を懐にしまって、暗いうちから家を出て、黄昏時に帰って来て、また夜中に出かける。
そんな様子が何日か続いた後、土鍋いっぱいの塩を抱えて帰って来た。
同じ日数で、同じ量の塩を造ろうとしたら大人が10人は要る量の塩を童が一人で作って帰って来た。
山賊の塒の焼け跡から、埋めて隠してあったものを見つけたことにしようと弟が言った。
浦の市で、塩と食い物を交換して、西の浜の皆で分け合って食った。
弟の塩作りは密かに続いた。
浦の長入江に沈んでいる小早舟と交換するためだと言う。
あんなボロクズと交換するよりも、掘っ立て小屋の隙間風を何とかするのが先ではないかと言ったら、弟が呟いた。
我らだけ良い暮らしをすれば、妬まれる。
いつにも増して陰のある顔だった。
虫食い穴だらけで修理のしようも無い襤褸船は、元の持主に一握りの塩を渡すことで、持ち帰りの承諾を得た。
邪魔になっているゴミクズなのだから、退かす手間を思えば、タダでも構わないはずだと不満を漏らしたら、後で文句を言わせぬために必要なことだと言う。
元々、ぶん殴って言うことを聞かせてきた浜の悪童共は、食い物を分けてやってからは、俺が何も言わなくても付いてくるようになっていた。
そいつらと一緒に曳いて帰った襤褸船を弟は直してしまった。
舟に空いた穴や隙間に松脂を塗り込んだ襤褸切れや朽ち縄を詰め込んで、伐った竹を括りつけて、どうにか浮く程度には直してしまった。
松脂を、どうやって手に入れたのかと聞けば、いつか使い途があるかも知れぬと思って集めていたのだという。
松の樹皮に傷を付けて、いつ使うかも知れぬ松脂を集めていたのだと言う。
弟が言った。
俺の舎弟達を集めろと。
舟幽霊達の始まりだった。




