第1話 貧民の人生の値段
春は良くない。
夏の暑さは水を頭からかぶれば誤魔化せるから構わない。
だけれど、冬の寒さは厚着も出来ない、薪や炭で暖を取ることもままならない僕たち貧乏人からしたら、死の季節だ。
だから、春の訪れは嬉しいことなのだけれど。
でも、僕にとっては良くない。
兄ちゃんが、はじける。
兄ちゃんは普段から、危なっかしいのだけれど、春は特に見境が無くなる。
もちろん、弟の僕も、気分が盛り上がってくるのだけれど、突き抜けてる兄ちゃんを見ると気分が落ち込んで普通になる。
ちなみに僕が普通なのは春だけ。
夏と秋と冬は、何もかもが嫌。
いや、別に特別なことじゃないか。
僕たち貧乏人は、一年中、何もかもが嫌。
「ハチ、また掘ってるの?」
従姉の、おさき姉ちゃんが寄って来た。
「そろそろ、必要かなと思って」
「今年も埋めんの?」
砂浜を掘ってる僕のそばに、おさき姉ちゃんが胡坐をかいて座り込む。
さっきまで波打ち際で兄ちゃん達を他の娘衆と一緒に囃し立ててた姉ちゃんは、小袖の裾を膝上まで捲り上げてて、胸元もはだけてるから、普段、そういう事に何も感じない僕でも、ちょっと目のやり場に困る。
「これから盛り上がってくるのに、姉ちゃんが居ないと、皆、がっかりするよ」
「気分じゃないんだよね」
……そうだよね。
「ウヒョーッ」
兄ちゃんの奇声が夜の浜辺に響き渡る。
「この六郎様の度胸が半端ねえとこ見せてやるぜぇえっ」
六郎兄ちゃんが海鼠を丸齧りしてる。
海鼠って、僕にはでっかいウ〇コにしか見えない。
しかも、ブツブツとかトゲトゲとかあるから気持ち悪い。
切り刻んで元の姿が分からなくなれば僕も食べられるけど、そのまま丸齧りなんて真似できない。
今夜は僕たちが住む西の浜の悪童集団である舟幽霊達と犬之島の悪童集団である狂犬衆の抗争っていうか度胸試し合戦が繰り広げられている。
春が来て、満月の大潮の夜に開催される恒例の行事。
もちろん、狂犬衆にも海鼠の丸齧りが出来る奴なんてゴロゴロ居る。
ここまでは小手調べ。
春の大潮の浜辺にはクサフグが産卵にやってくる。
大量に、逃げる隙間も無いくらい押し寄せて来るから、好きなだけ手づかみで捕まえられる猛毒の魚。
これまで言い伝えられてきた知恵から、身だけなら大丈夫らしいって分かってる。
皮や内臓は駄目。
でも、兄ちゃんはイケイケ、ドンドン。
皮付きのまま齧っちゃう。
さすがの狂犬衆も皮や内臓は食べない。
それで舟幽霊達の方が気合が入ってるってことを認めて帰って行く。
その後、兄ちゃんが痺れて動けなくなって、僕が兄ちゃんの口に指を突っ込んで食べたクサフグを吐かせてから砂浜に顔だけ出して埋めるのが、ここ何年か続いている、お約束。
最初は、お墓のつもりで掘って埋めたんだけど、翌朝、兄ちゃん、元気になって帰って来たんだ。
六郎兄ちゃんの舟幽霊達の頭としての武勇伝の始まり。
「ハチ、ついておいで」
掘り終わった穴の、おさき姉ちゃんとは反対側に座ったのに、わざわざ立ち上がって回り込んで来た姉ちゃんが僕の手を取って引っ張る。
「アンタ、まだなんでしょ。ウチが男にしてあげる」
そう言って、月明りの届かない松林の方を指さす姉ちゃんの顔を見る。
おさき姉ちゃんはヤケになってる。
伊予の国の弓部の島にある荘園の代官がやって来たのは去年の秋だった。
塩田の田頭をやってた伯父ちゃんは、無理矢理、証文を取り交わさせられた。
三斗の米を手間賃として受け取る代わりに、一年後に四石の塩を納めること。
約束を守れなかった場合は、代わりに娘を差し出すこと。
この浦で一番の美人と評判の姉ちゃんに、国の境を超えてまで降りかかってきた災難だった。
1石は10斗、10斗は100升、100升は1,000合。
おおよそ、大人一人が毎日、米を食べたとして、一年分が米1石。
伯父ちゃんが冬に風邪をこじらせてポックリ逝って、次の伯父ちゃんが田頭の役を継いで、微妙な雰囲気になった。
おさき姉ちゃんを狙い撃ちの、ふっかけられた取り引き。
出来そうで、出来なさそうな、どう転んでも代官は損をしない約定。
だけれども、少しでも多く種籾が欲しかった伯父ちゃんは、その約定を交わしてしまった。
次の伯父ちゃんも頑張るだろうけど、他の沢山の事を犠牲にしてまで納められないかもしれない4石の塩。
おさき姉ちゃんは代官の身の回りの世話をする身分におさまって、良い暮らしが出来るかもしれないし、出来ないかもしれない。
代官は、ずっと弓部の島に居るかもしれないし、居ないかもしれない。
他の荘園の代官になるかもしれないし、都に帰ることだってあるかもしれない。
その時、代官は姉ちゃんを他所へ連れていったりはしないし、村に帰すこともないと思う。
きっと、売られる。
鞆の浦で、うきねの君になる。
春を売る職業。
器量良しの姉ちゃんなら、きっと分限者相手専門の、引く手数多の「うきねの君」になるだろうけど、それも、いつまで続くかは分からない。
「ファアァアアァーッ。今年も逝くぜえぇえっ」
不思議なことに、クサフグの身を皮付きで齧る六郎兄ちゃんの絶叫が僕の背中を後押しする。
月明りを反射してキラキラと瞬いている、この浦で一番の美人の従姉の目を見て言う。
「兄ちゃんと、僕が何とかするから。だから安心して。もっと自分を大事にして」
うつけの兄弟と呼ばれる六郎と八郎。
何をしでかすか分からない六郎と、いつもボンヤリして無気力な虚の八郎。
うつけの従兄弟の当てにならない安請け合いに、月のように美しい従姉は黙って頷いた。




