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第一話『来訪者』

 西暦2064年。20世紀後半より構想されていた大規模多人数同時参加型、通称『MMO』の概念は、フルダイブ技術の確立によって一つの到達点を迎えた。


 かつてモニターを通してでしか見れなかった仮想世界は、今や『第二の現実』となって、世界中の人間を熱狂の渦に飲み込んでいる。AIの飛躍的発展、量子コンピューターの完成、そして重力制御の解明。これら科学技術の進展が、仮想を現実へと変容させる強固な地盤となった。人類は物理的な肉体を脱ぎ捨て、新たな文明のフェーズへと至ったのである。


 このように人類が希望で溢れかえった湯舟に身を浸らせる中、2072年、ゲーム業界は革新的かつ倫理的議論を呼ぶ衝撃的な技術を開発した。

 

 それが『メメント・モリ・システム』、通称MMSである。

 このシステムは従来のものとは一線を隔していた。

 本来、フルダイブ型が如何にリアルな空間でゲーム世界を楽しめるとしても、ゲームはゲーム。

 それぞれ現実の生活もあれば、心配すべき家族だっている。

 一時の交流や愉楽にはなるやもしれないが、リアルの世界は常に頭の中に想起されてしまう。

 対戦ゲームといえども、命をかけていないのであれば緊迫も何もあったものではない。


 その点を、MMSは突いた。

 このゲームジャンルの特徴、それは『ゲーム世界であることを忘れる』こと。

 すなわち『死』を真らしく、『戦い』を真らしく、『世界』を真らしく。

 ゲーム内の死が現実の死と同等の価値を持ち、もう一つの人生を構築し、そこで果てるがために生み出された狂気の産物。それがこのMMSであった。


 もちろん、世間はこのような人倫を顧みずに造られた精神汚染兵器を易々と認めるわけがなく、様々な議論や反対活動が発売のその瞬間まで行われた。しかし、一度世に出てしまえば、おのずとその価値は証明されてしまう。


 味わったことのないスリル、合法的な命のやり取り、許されぬが故の背徳。


 世界中の人間がこの仮想世界の虜になった。

 そうして次第に影響力は増していく。

 最初は反対してきた世間も、その市場が生み出す莫大な資産の前には目を瞑るしかなく、次第に彼らもMMSが生み出す熱に飲まれていった。

 

 プレイヤーの在り方も、その人気を青天井まで引き上げた原因の一つである。

 何よりこのジャンルに挑むプレイヤーは、偽りの死を快楽へと替えられる異常者ばかりなのであった。

 彼らは常人には為し得ない体技や戦術を得て、それぞれの戦闘に参加する。

 そして何より好まれたのは、彼らが生み出す人間ドラマそのもの。

 凄惨な死を覚悟しながらも、己が矜持を貫かんと闘う彼らの姿は、さながら一つのアニメを見ているような錯覚を覚えさせた。プレイヤーは次第に偶像化され、グッズ化や番組の特集が組まれる。茶の間では彼らの生死が語り草となり、特定のプレイヤーを『推す』行為が平然と容認されるようになる。

 

 まさしくそれは現代に蘇ったコロッセオであり、『ソドム120日』のような様相(ようそう)を呈していた。

 道徳学への受動的背信は何よりも人間を愉しませるのだ。


 『|Memento Mori《死を想え》』。

 その名に刻まれた一節は、確かに、彼らに死を実感させるに値したものであったろう。

 

 そうして、次第に流れは激流と化し、人々を更なる深淵へと飲み込んでいく。

 国連で甚大な問題であると議論され、その暴挙が差し押さえられるその日まで――――――


 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 イングランドの日没は遅い。

 秋の日であっても日が暮れ始めるのは夕方の二十時頃、夜は10℃を下回ることすらある。

 ことにグラストンベリーのような最西の田舎など、秋の夜には外に出られたものではない。

 それはジャガイモ作りに勤しむこの青年も例外ではなく、日が暮れかかると彼は即座に農具を回収し、森林を背後に携える木造建築の一軒家に閉じこもった。


 「はぁ、今夜は冷えるな。昨日はまだマシだったんだが」


 風呂上りである青年は、日々の労働で培った逞しい背筋を弛ませながら、その黄金色に輝く髪へとタオルを被せる。

 ワサワサと水分を拭き取り、次に下半身、そして上半身へと移行。

 濡れたタオルを真上に設置された棒に引っ掛け、鏡の前でドライヤー捌きに注力した。


 「こんなときに魔法があればね、こう、光でふっとできるんだが……」


 (……魔法、ね。もはや使う感覚すら忘れてきてるが……あれは便利だったな、ほんと)


 靡く髪にほんの少しの心地よさを感じながら、青年は幾年かの過去に想いを馳せていた。

 かくいうこの青年も、昔『The() ()Enherjar(エインヘリャル)』というMMS搭載バトルロワイアル型RPGにダイブし、世界にその勇名を轟かせていたのである。

 

 「……存外、懐かしいものだね」


 自然由来ではない人工の風が、頭皮をじんわりと熱している。

 拭き取れていなかった水滴が、肩より伝わり、滴り、肘から落ちる。

 (わめ)く旋風機械は、やはり思考の底へと彼を誘い、暗い底で沈思させてくる。

 この時間になるといつもそうなのである。彼には現実が風に姿を変えて、この頭蓋目掛けて吹き抜けているように感じられた。


 (言いたくなる。あの言葉を、口に出したくなる。でもそれは禁忌(タブー)だ。それは――)


 ドライヤーの音がピタリと止んだ。

 

 (――それは、英雄らしくはない)


 もう何も、彼に思考を強制させはしない。


 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

「あぁ寒い寒い……パジャマだパジャマ、はやくパジャマを」


 ペタペタと、暖色の床に足の裏が張り付いた軽快な音が響く。

 小窓から見える外界はすでに真っ暗闇であり、『シッシッシ』と凛とした虫の声が、耳を澄ますまでもなく聞こえてくる。

 青年はリビングに向かっていた。風呂場から一直線に繋がっている部屋だ。

 家の中も薄暗い。節約のためというわけではないが、彼はあまり電気をつけることを好まない。

 

 「明日の朝は霧深いらしいから、今のうちに洗濯物も入れなくては」


 青年はそんな日常の心配に惚けながらも、数秒でリビングのドアへとたどり着く。

 そうしてドアノブを掴んで、何気ないように、いつも通りに、ドアを前方へと開いた。

 明るい光が、彼の身体を包み込む。すでに温められた暖炉が温かい空気を醸造して――――


 (待て、風呂に入る前、僕はリビングの電気をつけてたか……?)


 瞬間的に巻き起こった疑問。しかし彼の脳はすでに神経を通して、己が身体に命令したあとであった。

 素足を一歩、リビングへと進める。

 疑念が一つの形になって表象されそうだと、そう頭が確信する。

 彼の瞳は疑うがままに、その些細な違和感を、暖炉側のソファーに見出した。


 「よぅ、辛気臭い家じゃねぇか。いやまさかグラストンベリーとはな」


 酒焼けした声が、彼の鼓膜を震わせる。

 瞬間、青年の身体は後方へと飛びずさった。

 目を凝らして見れば、そこには痩せ型の中年が一人、ソファーに踏ん反り帰ってワインを飲んでいる。

 全身には、イタリア産であろうか、灰色のブチ柄のスーツを身にまとい、赤味ががかったその髪は後ろで束ねられている。

 青年にはもちろん、このような客を招いた記憶は一切ない。

 男は一度彼の瞳を見つめた後、ワインが入ったグラスを目の前の机に丁寧に置いた。


 「自家製のワインに、自家製の別荘。そして自家製のジャガイモ畑。

 隠居するにはお(あつら)え向きなわけだ。ここならお前を卑下する輩はいねぇ。なぁ、そうだろう……? 『アーサー』」


 「――ッッ!!」

 

 そうして男は呼びかけた。

 かつての青年の名前。ゲームの中で使用していた、彼を象徴する名前を。

 アーサーは即座に反応する。それはそうだ。MMSがサ終してから、彼はゲーム関係でいい思いをした記憶が一切ない。

 こういうのは基本、悪意が働いているものなのだと、彼は一人でに了承していた。


 「……なんだ、金か? わざわざここまでやってくるとは、とんだ暇人がいたものだ……!」


 「おいおいおい! ちょっと待ってくれよ。そんな俺が悪人みたいによぉ」


 「不法侵入が悪行じゃなかったらなんだっていうんだ」


 「いや、それはそうだけども……。

 ほら考えてもみろよ、世界的大企業のカリスマ社長!

 その御曹司が住む別荘にこんな易々と一人の男が入れると思うか?

 許可貰ってんだよ許可を!」


 「そんなの僕は聞いちゃいないぞ」

 

 「……そりゃあ内密にしないといけねぇ案件だったからだよ」


 「他家のワインを飲むことも、その内密にしないといけないことに関係があるのか?」


 「あ、いや、これは……旨そうなワインだなと思って……」


 「……追報する。言っとくが抵抗はするなよ。知ってると思うが、僕は強いぞ」


 「……おいおいちょっと持て待て!!」

 

 長い脚を組むのをやめ、男は慌てて立ち上がる。

 青年は壁に立てかけてあった角材を右手で握り、後ずさる不審者に向けて歩を進めた。

 その目には恐怖の念が一切ない。ただ粛々と打ちのめす、そんな常人離れした覚悟だけがあった。

 男もそれには参ったのだろう。

 必死に頭を働かせた末、思い出したと言わんばかりに、豁然大吾の境地でズボンのポケットをまさぐり出す。


 「ほらこれを見ろ! 名刺だ名刺!!」


 「……む」


 バッと音がなったかと思う程、男は勢いよく左手に掴んだ名刺をアーサーに向けた。

 そこには――


 「『人事部係長 リチャード・マルクス・コパフィールド』――」


 「『Beato(ベアド) ()Tecke(テケー)株式会社』!!

 ほら! これで分かったろ!? 俺はMMSの関係者だ!!」

 

 その名が示すものは非常に大きなものだった。

 なんせあの世界を全巻したMMSの開発・運営社だ。

 彼らはサ終に追い込まれこそしたものの、プレイヤーへの待遇は非常にいいとして、プレイヤーからはとにかく好印象であった。そしてそれはアーサーとて例外ではなく、現に彼は少しため息を吐いた後、右手に握った角材をソファの横に立てかけた。


 「……まぁ、話なら聞きますよ。僕に用があるというなら」


 「あ、あぁ……ありがとう……」


 「……なんです? まだ何かあるんですか?」


 「い、いや、改めて言おうかとは思ってたんだが……」


 彼を受け入れながらも、なお不審そうに見つめるアーサーの瞳を気にすることなく、リチャードの視点は顔よりも下、臍を通り越し、その更に先を見据えていた。


 「……あ」

 

 そこにあったのは男たるもの、誰しもが身につけている一座の肉塊。

 暖房から流れる暖風を受け、それはぶらりぶらりと揺れていた。


 「……立派なものをお持ちのようで」


 「……着替えます。そこに架けて待っていてください」

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