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志願

 リゼットが門番になりたいと言い始めたのは、ずいぶん前だった。


 町には認証所がいくつかあった。


 駅に近い認証所は、その中でも利用者が多い。


 朝には仕事へ向かう者が来る。


 役所へ行く者が来る。


 商人や、町を出入りする旅人も来る。


 いくつかの認証口に列ができ、混み方を見て受付が利用者を振り分ける。


 そこで働く門番の一人を、リゼットは子どものころから何度も見ていた。


 利用条件の確認が早かった。


 説明は短かった。


 通常認証が適さなければ、その場で条件を確かめ、対応できる別の認証口を案内した。そこで扱わない方式なら、別の認証所へ回した。


 列が伸びても、記録の手を抜かなかった。


 顔を覚えている利用者も多く、困って認証所へ来た者がその門番の列を探すこともあった。


 子どものころのリゼットには、それが格好よく見えた。


 門番になりたい。


 最初は、それだけだった。


     *


 王都の認証業務養成課程の募集要項を食卓へ置くと、父はすぐには手を伸ばさなかった。


「王都か」


「うん」


「通うのは無理だな」


「寄宿舎に入る。そこを受けたい」


 母が募集要項を取った。


 募集区分。


 修業期間。


 受験科目。


 必要経費。


 寄宿舎の申請期限。


 上から順に読んでいく。


「門番になれたら一生ものよ。取れたら、私は自慢するけど」


「だからって、簡単なわけじゃないだろ。国家資格なんだから」


「分かってる」


「筆記だけじゃないぞ」


「それも分かってる」


 父はようやく募集要項を受け取った。


 反対されるとは思っていなかった。


 心配されるとは思っていた。


「学費は、これで全部か」


「教材費は別」


「生活費は?」


「寄宿舎に入れれば、このくらい」


「入れなかったら」


 リゼットは別の紙を出した。


 母が笑った。


「そこまで調べてるなら、最初から出しなさい」


「聞かれたら出そうと思ってた」


 父は二枚を並べた。


「健康審査は」


「出願時と入学後」


「更新もあるのね」


「資格を取った後も」


「守秘規程、記録実務、認証安全……」


 母が募集要項の科目欄を指で追った。


「あなた、こういうの全部やるの?」


「やる」


 答えるまでに迷わなかった。


     *


 養成課程の選抜資料は、思っていたより厚かった。


 一般科目。


 認証制度。


 法規。


 記録実務。


 同意と利用条件。


 衛生と健康管理。


 古代認証技術史。


 最後の科目だけ、準備教材が二冊に分かれていた。


 古代語の見出しが続く。


 Authentication。


 Authenticator。


 User Presence。


 User Verification。


 Credential。


 Registration。


 WebAuthn。


 CTAP。


 最初の頁には注意書きがあった。


 用語の暗記だけを評価しない。


 古代技術上の意味と、現行認証制度で用いられる語義を区別すること。


 過去の出題例を一問読む。


 User Presence と User Verification の差異を述べよ。


 閉じた。


 もう一度開いた。


 その下には、現行制度における利用者確認との比較を求める設問が続いている。


「難しい?」


 母が湯を置いた。


「知らない言葉が多い」


「じゃあ、これから知るのね」


「そうなんだけど」


 もう一度、問題を見る。


 門番が利用者へ何を説明するかなら分かる。


 町の認証口で何度も見てきた。


 利用条件。


 待ち時間。


 代理口への振替。


 必要な書類。


 けれど、古代の認証器が何をしていたのかは知らない。


 知らないままでも門番という仕事は知っているつもりだった。


 選抜資料を読むと、その「知っている」の範囲が思っていたより狭かった。


 余白へ、最初の印を付けた。


 User Presence / User Verification。


 要確認。


     *


 町の門番に進路のことを話したのは、その数日後だった。


「王都を受けるの?」


「はい」


「なら、古代技術史は早めにやった方がいいよ」


「やっぱり難しいですか」


「私は苦手だった」


 意外だった。


 勤務中の資格票には、標準認証のほかに追加技能が二つ並んでいる。


 更新日も新しい。


「今でも?」


「今は必要なところは分かる。受験のときは、Authenticator と現行の認証担当者を同じものだと思って一問落とした」


「あ、それは違うんですか」


「違う。だから勉強するの」


 受付へ利用者が来た。


 門番は会話を切り、書類を受け取った。


 利用条件を確認する。


 今日は通常認証ではなく、別の認証口を案内した。


 理由を一つ説明し、紹介書類へ記入する。


 利用者は礼を言って帰った。


 門番は記録簿へ処理結果を書いた。


 それからリゼットへ向き直った。


「こういう判断も試験に出るよ」


「今のも?」


「今のは仕事」


 そう言って、次の利用者を呼んだ。


     *


 受験勉強は、思っていたより長く続いた。


 制度史は取れた。


 法規も悪くない。


 古代技術史は、確認問題の点が安定しなかった。


 同じ「認証」という訳語でも、古代の仕様と現在の制度では責務が違う。


 似た言葉を見つけて安心すると間違えた。


 父が返却された確認問題を見た。


「上がったな」


「前が低かっただけ」


「上がったのは同じだろ」


 母は点数より、食事の残りを見た。


「夜までやるなら、昼を減らさない」


「減らしてない」


「昨日も言った」


「昨日は緊張してただけ」


「試験の日にも食べられなくなるでしょう」


 返す言葉がなかった。


 試験日はもう決まっている。


 試験当日は朝が早い。


 始発で間に合わせるより、前日に王都へ入り、会場近くに泊まることにした。


 父は列車と宿の予定を三度確認した。


 母は持ち物を二度増やした。


     *


 合否通知が届いた日は、父が先に帰っていた。


 机の上に封筒が置かれている。


 宛名は自分だった。


「開けないの?」


 母に言われて、封を切った。


 一枚目を読む。


 二枚目を見る。


 もう一度、一枚目へ戻る。


「どうだった」


「合格」


 母が息を吐いた。


 父は手を出した。


 通知を渡す。


 合格。


 受講登録。


 寄宿舎。


 開始前健康審査。


 事前教材。


 父は最後まで読んでから、最初の頁へ戻った。


「門番になったわけじゃないからな」


「分かってる」


「これから資格試験だ」


「その前に養成課程」


「分かってるならいい」


 母が父の手から通知を取った。


「明日、おばあちゃんにも知らせないと」


「まだ早くない?」


「養成課程に受かったのは本当でしょう」


 父も否定しなかった。


 リゼットは事前教材の欄を見た。


 認証制度基礎。


 古代認証技術史。


 同意確認。


 記録実務。


 養成開始までに読むものだけで、また一冊増えている。


 合格通知を置き、そちらを先に抜き出した。


     *


 出発の朝、母は予定より早く起きていた。


 保存の利く食べ物が、昨日まとめた荷物とは別に増えている。


「寄宿舎でも食事は出るよ」


「着いた日に買い物へ行かなくていいでしょう」


 父は荷物の紐を締め直した。


「困ったら手紙を出せ」


「うん」


「金のこともだ」


「うん」


「資格のことは、焦るな」


 それだけ少し意外だった。


「簡単じゃないって言っただろ」


「言ってた」


「簡単じゃないものを取りに行くんだから、一回で全部できると思うな」


 母が荷物を渡した。


「ちゃんと食べなさい」


「分かった」


「寝ることも」


「分かったって」


 家を出る。


 駅前の認証所を通る道だった。


 朝の勤務が始まっている。


 いくつかの認証口に資格票が掲示され、利用者の列ができていた。


 門番はこちらに気づくと、仕事を止めずに片手だけ上げた。


 リゼットも手を上げた。


 そのまま駅へ向かった。


 列車に乗れば、王都までは数時間だった。


 帰ろうと思えば帰れる。


 それでも、これからは毎日の食卓も、自分の部屋も、この家にはない。


 養成課程を終えても、資格試験がある。


 合格しても、初期認証がある。


 仮登録。


 指導下実務。


 単独配置判定。


 正式登録。


 募集要項で何度も読んだ順番だった。


 まだ最初の一つしか終わっていない。


 列車が入ってくる。


 荷物を持ち直した。


 扉が開いた。


 リゼットは乗り込んだ。


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