代理口
翌日から、調べる棚が増えた。
情報機器。暗号技術。古代通信。携帯型機器。都市生活。
認証技術史の目録だけを見ていたときには、別分野だったものばかりである。
それでも、一度つながりが見えると拾える記述は多かった。
認証器は秘密鍵を保持する。
利用者本人の確認は、その認証器の内側で行われる。
確認方法は生体的特徴だけではない。
確認を終えた認証器が秘密鍵を用い、相手方は公開鍵を用いて結果を検証する。
細部には不明な点が残る。
だが、少なくとも復興初期に想定されたような、相手の身体的特徴そのものを認証先へ提示する仕組みではないらしい。
対照表の欄が埋まるにつれて、別の空欄が目についた。
代理口。
現行制度の由来をまとめた研究では、通常認証と並べて古代認証技術の系譜に置かれている。
ならば、対応するものがあるはずだった。
通常方式を利用できない者がいるのは、古代も同じだろう。
別の認証器。
予備の資格情報。
復旧。
代替。
それらしい語を拾い、史料番号を並べた。
半日かけて、三つ消した。
もう二つは、意味が違った。
認証器を失った場合に、別の認証器を使えるよう備える記述。
一つの利用者について複数の資格情報を登録する運用。
利用者本人の確認方法を、生体的特徴以外へ切り替えられる認証器。
どれも例外への備えではある。
だが、代理口ではない。
最後の一冊を閉じた。
未発見。
そう書こうとして、やめた。
見つからないことと、存在しなかったことは違う。
手帳には、代わりに史料番号だけを残した。
*
研究院を出たのは、昼を少し過ぎてからだった。
午後は王城西側の行政資料館へ行く。
第三門へ向かう途中、前の列が止まった。
通常口の受付で、年配の女性が書類を出している。
腹部を押さえるようにして立っていた。
受付の門番が書類を確認し、隣を示した。
「こちらではなく、代理口をご利用ください」
「この証明で大丈夫ですか」
「はい。本日の利用条件に該当しています。二番窓口へどうぞ」
女性は礼を言い、列を離れた。
通常口の脇に、代理口の案内板がある。
現在の待ちは一人。
人数は少ないが、代理口は標準認証より一件あたりの所要時間が長い。
利用条件の欄には、妊娠、産前産後、負傷、その他の身体的事情について、通常認証が適さないと認められた場合、とある。
見慣れた表示だった。
女性が二番窓口で書類を見せる。
窓口の奥から、男性の門番が出てきて、受付へ記録を渡した。
「次、お願いできますか」
「まだ回復時間です」
「では、三番へ引き継ぎます」
女性の書類は隣の窓口へ回された。別の担当者が確認し、奥へ案内した。
それだけだった。
列が一人分進んだ。
自分も前へ詰める。
これまでなら、それで終わっていた。
今日は案内板をもう一度見た。
代理口。
古代の、何を復元したものなのだろう。
*
王立認証行政資料館の受付で、古代史料を見たいと伝えると、担当者は少し考えた。
「代理口の、ですか」
「はい。成立時の典拠を確認したいんです」
「成立時」
「古代認証資料との対応が分かるものがあれば」
担当者は申請書へ目を落とした。
「制度史でしたら、あります」
「古代史料は」
「代理口について、ですよね」
「ええ」
「でしたら、まず制度史をご覧になった方が早いと思います」
話が噛み合っていない気がした。
ただ、相手は迷っている様子ではない。
「お願いします」
出てきたのは、古代資料ではなかった。
認証制度が王国内で整備され始めた時期の行政記録だった。
古代語の転写もない。
発掘番号もない。
王国の役所が作った記録である。
最初の冊子を開く。
通常認証を実施できない者の扱い。
そこに代理口という語はなかった。
負傷者については、医師の確認を受けた上で期間を定めて通行を許可する。
妊娠中または産後の者については、必要に応じて認証を免除する。
身元について疑義がある場合は、保証人を求める。
地域によって書式が違う。
認証境界によって扱いも違う。
次の記録には、その運用上の問題がまとめられていた。
免除期間中の本人確認。
保証人を用意できない利用者。
遠隔地から来た者の身元確認。
許可証の転用。
個別判断の増加。
記録の照合負担。
古代の認証技術とは関係のない問題ばかりだった。
いや。
認証制度を実際に運用すれば、出る問題だった。
頁をめくる。
しばらく後の記録で、通常方式とは異なる本人確認手順の試行が始まっている。
対象は、通常認証を利用できない者。
試行結果には、利用者負担、確認精度、所要時間、設備上の問題が並んでいた。
方式そのものの詳細は、現在の史料区分では別冊になっている。
今回はそこまで必要ない。
さらに後の記録では、担当者の資格要件が追加されていた。
設備基準。
利用条件。
記録様式。
通常口から代理口へ案内する際の判定手順。
少しずつ、現在の形に近づいていく。
「古代典拠をお探しなんですよね」
先ほどの担当者が、追加の冊子を持ってきた。
「はい」
「でしたら、こちらも必要かもしれません」
渡されたのは、代理口制度の沿革をまとめた後世の資料だった。
冒頭に、制度成立以前の扱いが整理されている。
免除。
保証。
暫定許可。
そして、代替方式の試行。
参照されているのは、医療記録、門の運用記録、通行許可台帳、制度改定記録。
古代史料の番号はなかった。
「古代認証を参考にした記録はありませんか」
担当者は沿革を開き、索引を確認した。
「通常認証制度の由来についてなら、古代認証研究への参照があります」
「代理口そのものは」
「制度化の理由でしたら、通常認証不適者の処理ですね」
「いえ、方式の典拠です。古代にも代替認証があって、それを復元したという記録が」
担当者は少し考えた。
「少なくとも、私が扱う範囲では見たことがありません」
「ない」
「代理口は、通常口だけでは処理できない利用者が増えたので整備された制度ですから」
そこでようやく、質問がずれていた理由が分かった。
相手は成立理由を答えている。
自分は古代の原型を尋ねている。
「最初から代理口があったわけではないんですね」
「ええ。初期は免除と個別許可が中心です。保証人を使った時期もあります」
担当者が机の記録を指した。
「ただ、それでは認証境界を設けているのに、必要な人ほど認証せず通すことになります。運用も門ごとに違いました。それを整理する過程で、代替の本人認証が制度化されています」
「古代方式の復元ではなく」
「制度史の記録では、そうなっています」
担当者はそこで言葉を切った。
「古代側に何か対応する技術があったかは、私の専門ではありません」
「いえ。十分です」
今度は話が合った。
*
研究院へ戻り、午前中の対照表を開いた。
古代資料側に並べた項目を見る。
複数の資格情報。
予備の認証器。
異なる本人確認方法。
復旧。
いずれも実在したらしい。
だが、それらを代理口の原型とする必要はなかった。
隣に、行政資料館で取った記録を置く。
初期制度。
通常認証不適者。
免除。
保証。
暫定許可。
運用上の問題。
代替方式の試行。
制度化。
線は、古代へ戻らなかった。
途中から始まっている。
手帳を開く。
先に書いた二行は、そのまま残っていた。
当時資料上、判断妥当。
現在も妥当か。
その下に、代理口について二行加えた。
古代典拠、確認できず。
少し考えて、もう一行。
制度上の成立過程、確認。
見比べる。
古代にない。
それでも、成立した理由は追える。
対照表の代理口の欄に、古代史料の番号を書くのをやめた。
代わりに、制度史料の参照番号を書いた。
*
帰りの第三門では、代理口の待ちはなくなっていた。
通常口には四人いる。
勤務表を見る。
朝とは担当が替わっていた。
奥の列には、男性の門番が一人いた。
「今日はあの人いるんだ」
「並ぶ?」
「少し待つよ」
「二人続けてだと時間かかるよね」
「並列、お願いしてみる?」
「うん。あの人がいいな」
「安心するしね」
女性二人は、少し長いその列の後ろへ並んだ。
空いている列へ並ぶ。
前の利用者が認証室へ入り、扉が閉じた。
待っている間、手帳を開いた。
明日確認する史料を整理する。
認証器。
古代資料では、秘密鍵を保持し、利用者本人の確認を内部で行うもの。
復興初期の研究では、まだ何を指すのか確定していなかった。
現在は。
列が進んだ。
手帳を閉じる。
次は自分の番だった。




