第5話「同類」
ドクン。
鼓動が強くなる。
仁はゆっくりと窓の外を見た。
校庭。
体育の授業をしている生徒たち。
その向こう。
校門の近くに、一人の少女が立っていた。
白いパーカー。
長い黒髪。
年齢は自分と同じくらいに見える。
少女は人混みの中にいるのに、妙に浮いて見えた。
そして、仁は気付く。
昨日の夜。
窓の外にいた少女だ。
「神山?」
高橋の声が遠く聞こえる。
少女が顔を上げた。
目が合う。
その瞬間、胸の奥が強く脈打った。
間違いない。
あの少女も神の力を持っている。
仁の手からパンが落ちた。
「おい、大丈夫か?」
「……悪い。ちょっとトイレ」
「え、今?」
仁は高橋の返事も待たずに教室を出た。
廊下を歩く。
走り出したい衝動を必死に抑える。
ここで慌てれば目立つ。
学校には普通の生徒がいる。
巻き込まれるかもしれない。
その考えが、仁の足を鈍らせた。
階段を下り、昇降口へ向かう。
靴を履き替える手が震えていた。
怖い。
昨日の男の顔が浮かぶ。
次はもっと強い奴が来る。
あの言葉が頭の中で繰り返される。
少女も自分を殺しに来たのか。
学校で。
この場所で。
高橋たちがいる場所で。
仁は校庭へ出た。
少女は校門の外に立っていた。
逃げる様子はない。
ただ、仁を待っている。
仁は一定の距離を保って立ち止まった。
「……お前、何者だ」
声が硬くなる。
少女は少しだけ首を傾げた。
「いきなりそれ?」
「答えろ」
「怖い顔」
「昨日、殺されかけたばかりなんだよ」
少女の表情が少しだけ変わった。
驚きではない。
納得に近かった。
「やっぱり、昨日覚醒したばかりなんだ」
「……何で分かる」
「分かるよ。あなた、何も知らない顔してるから」
少女は一歩近づく。
仁は反射的に身構えた。
胸の奥に力が集まる。
弾く力。
拒絶する力。
いつでも使えるように。
少女はそれに気付いたのか、両手を小さく上げた。
「安心して。私はあなたを殺しに来たわけじゃない」
「信じられるかよ」
「まあ、そうだよね」
少女は苦笑した。
「昨日まで普通の高校生だった人に、いきなり信じろって言う方が無理か」
「お前も神の力を持ってるんだろ」
「うん」
「なら敵だ」
仁はそう言った。
言いながら、胸が苦しくなる。
本当にそうなのか。
神の力を持っている者は全員敵なのか。
あの男のように、自分を殺しに来るのか。
そう思いたくはなかった。
だが、信じる理由もなかった。
少女はしばらく仁を見つめていた。
そして静かに言う。
「神持ち同士は、基本的に出会えば戦いになる。どちらかが死ぬまで終わらない」
「……」
「でも、例外もある」
「例外?」
「戦いが始まる前なら、少しだけ猶予がある。互いに敵意を向けず、一定の距離を保てば、すぐに舞台化はしない」
舞台化。
昨日の商店街が頭に浮かぶ。
音が消え、人がいなくなったあの異常な空間。
「あれを舞台って呼ぶのか」
「正式な名前は知らない。私はそう呼んでる」
「お前は……何なんだよ」
少女は少しだけ目を伏せた。
「あなたと同じ。神の力を宿した人間」
「名前は」
「白峰雫」
少女は静かに名乗った。
「白峰、雫……」
「あなたは?」
「神山仁」
「神山くんね」
白峰雫は仁の名前を確認するように呟いた。
その落ち着きが、逆に不気味だった。
仁は警戒を解かない。
「お前、何しに来た」
「忠告」
「忠告?」
「昨日、あなたは勝った。しかも相手の権能を拒否した」
仁の背筋が冷えた。
「何でそれを知ってる」
「分かるの。神の力を持っていると、近くで起きた大きな変化は何となく感じ取れる」
「……」
「昨日、この辺りで権能が一つ放棄された。だから見に来た」
赤黒い光が空へ昇っていった光景を思い出す。
あれは、ただ消えたわけではなかったのか。
「放棄された権能はどうなる」
「どこかの誰かに宿る」
雫は淡々と言った。
「あなたが拒否した“引き寄せる神”は、もう別の誰かに宿っているかもしれない」
仁は言葉を失った。
あの力が。
あの男が使っていた力が。
また別の誰かに。
「じゃあ、また誰かがあれを使うのか」
「そうなる可能性は高い」
「ふざけんな……」
仁は拳を握った。
拒否したのに。
欲しくないと思ったのに。
それで終わりではない。
ただ別の誰かへ渡るだけ。
神ごっこは、力を世界へ撒き続ける。
まるで人間を駒のように扱っている。
「それと、もう一つ」
雫の声が少しだけ低くなる。
「あなた、昨日殺した相手のことを気にしてるでしょ」
仁は息を呑んだ。
「……殺した、のか」
「普通の意味では違う」
「どういう意味だよ」
「神持ちが敗北した場合、その人間は神の力を宿す前の状態に戻される。記憶もリセットされる」
仁はすぐには理解できなかった。
「戻る……?」
「そう。力を得る前の普通の人間に戻る。本人は神ごっこのことを覚えていない。自分が誰かを殺したことも、殺されかけたことも」
「じゃあ、あの男は……」
「生きてる可能性が高い」
仁の膝から力が抜けそうになった。
安堵なのか、混乱なのか分からない。
あの男は消えた。
死んだと思った。
自分が殺したのだと思った。
だが、生きているかもしれない。
記憶を失い、普通の人間として。
「でも」
雫は続けた。
「だからといって、あなたが楽になる話ではないと思う」
「……」
「彼が殺した三人も、もしかしたら戻っているかもしれない。でも、戦っている間の恐怖は本物だった。痛みも、傷も、殺意も、全部本物」
仁は唇を噛んだ。
そうだ。
死んでいないかもしれない。
それは救いかもしれない。
でも、だから昨日の出来事が軽くなるわけではない。
殺されそうになった恐怖は消えない。
自分が相手を倒した感触も消えない。
「神ごっこって、何なんだよ」
仁は絞り出すように言った。
「誰がこんなことをしてる。何のために」
雫は答えなかった。
少しだけ視線を逸らす。
「私も全部は知らない」
「神ごっこ歴、長いんじゃないのか」
「長いよ」
雫は仁を見た。
「三年」
「……三年?」
仁は言葉を失った。
三年。
昨日覚醒したばかりの仁には、想像もできない時間だった。
三年間、この少女は神ごっこの中にいた。
殺し合いの中で生きてきた。
「三年も……こんなことを?」
「うん」
「何で生きてるんだよ」
口にしてから、失礼な言い方だと思った。
だが雫は怒らなかった。
「逃げ方を覚えたから。戦わない方法を覚えたから。あと、少しだけ運が良かった」
「戦わない方法……」
「神ごっこは殺し合いだけど、常に戦わないといけないわけじゃない。ルールの穴はある。知らないと死ぬけど」
仁は黙る。
ルールの穴。
それを知れば生き残れるのか。
高橋や母親を巻き込まずに済むのか。
「教えてくれ」
気付けばそう言っていた。
「神ごっこのことを。生き残る方法を」
雫は静かに仁を見ていた。
「信じられるの?」
「信じてない」
仁は即答した。
「でも、知らないまま死ぬよりはマシだ」
雫は少しだけ笑った。
「正直だね」
「昨日まで普通の高校生だったんだよ。嘘ついて余裕ぶれるほど器用じゃない」
「それは良いことだと思う」
「良いこと?」
「慣れてない証拠だから」
その言葉に、昨日の男の声が重なった。
人を殺すことにも、人が死ぬことにも慣れる。
仁は拳を握る。
「俺は慣れたくない」
「うん」
雫は頷いた。
「なら、まずは生き残らないと」
その時、昼休み終了のチャイムが鳴った。
学校の中から生徒たちの声が響く。
日常へ戻れと急かす音。
仁は校舎を振り返った。
高橋が教室で待っているかもしれない。
先生に怒られるかもしれない。
小テストもある。
普通の日常が、すぐそこにある。
だが目の前には、三年間神ごっこを生き延びた少女がいる。
仁はもう、何も知らなかった頃には戻れない。
「放課後」
雫が言った。
「学校の裏にある古い公園。そこに来て」
「罠じゃない保証は?」
「ないよ」
雫はあっさり言った。
「でも、来なければあなたは近いうちに死ぬと思う」
「……随分はっきり言うな」
「昨日覚醒したばかりで、権能を拒否して、ルールも知らない。そんな状態で次の神持ちに会ったら危ない」
仁は反論できなかった。
「分かった。行く」
「一人で来て」
「言われなくても」
雫は背を向けた。
「白峰」
仁は思わず呼び止める。
雫が振り返る。
「お前は……敵じゃないんだよな」
自分でも情けない質問だと思った。
だが聞かずにはいられなかった。
雫は少しだけ考えてから答えた。
「今はね」
「今は?」
「神ごっこに絶対はないから」
そう言って、雫は去っていった。
仁はその背中を見送ることしかできなかった。
味方かもしれない。
敵かもしれない。
けれど、初めてだった。
神ごっこについて話せる相手が現れたのは。
仁は拳を握った。
知らなければ死ぬ。
知っても死ぬかもしれない。
それでも。
何も知らないまま奪われるのだけは嫌だった。
教室へ戻ると、高橋が心配そうに仁を見た。
「お前、トイレ長すぎ。大丈夫か?」
「ああ」
「顔色悪いぞ」
「大丈夫だって」
仁は席に座る。
窓の外を見ると、もう雫の姿はなかった。
だが胸の奥には、まだあの感覚が残っている。
同じ神の力を持つ者の気配。
同じ匂い。
それはきっと、これから何度も仁を死地へ導く。
放課後。
古い公園。
そこで何を知らされるのかは分からない。
ただ一つだけ、はっきりしていることがある。
神山仁は、もう逃げられない。
この狂った鬼ごっこから。
そして、自分の中に宿った神の力から。




