第20話
王子は銃を降ろし、つかつかと獲物の死骸へと近づいていく。
獣道から外れることになるので、生い茂る雑草や木の根が歩行の邪魔になるうえ、土が含む湿気も馬鹿にならない。
エリーザは慎重な足取りで、それでも、今度はヨハン王子の手を借りずに悪路を踏破した。
「慣れてきた?」
「ええ、歩き方が分かってきましたわ」
「さすがだ」
「田舎貴族ですから」
エリーザは笑顔でそう言って、それは自分にとってかなり自然な笑顔だと感じることができた。
王子は野兎をさらにもう一匹狩り、野狐も一匹仕留めた。
「このへんにしとこうか」
王子は満足気にそう言うと、くるりと踵を返す。
エリーザも王子に続いて振り返り、そして凍り付いた。
とても近い距離で、猪がこちらを見ていたのだ。
体躯の大きな猪はいかにも獰猛な様子で身体を震わせている。
ヨハン王子はエリーザの前に立って猪と対峙した。
何十秒も、もしかしたら何分かもしれないけれど、睨み合いは続いた。
そしてある瞬間に、猪は見るからに戦意を喪失して遠ざかっていった。
「危なかった」
猪が十分に離れてから、ヨハン王子は呟いた。
「どうして撃たなかったのですか?」
エリーザは王子の後ろからひょいと横に出て声をかける。
「あの距離で撃つのは自殺行為だよ、一発、二発じゃ猪は死なない。撃ったりなんかしたら暴れだして体当たりされるのがオチだ」
「でも、睨み合ってたって体当たりされたかもしれません」
「その通りだよ、でも、撃てば百パーセント体当たりされるけど、睨み合いならいまみたいに退いてくれるかもしれない」
「……わたしたち、本当に危なかったんですね」
「そうだよ。でも、猪一匹を視線で追い払えないような君主ならどのみち命は長くない」
ヘレン王子はそう言いながら目を細める。その瞳は優しそうで悲しそうだった。
狩猟以外で印象深かったのは、シュタイン卿の家臣だと身分を偽って近くの農村を訪れたときのことだ。もちろん、王子が手紙を通じてシュタイン卿から許可を貰っている。
教会の神父や村長に会って話をした後、エリーザとヨハン王子は馬を借りて農地一帯を巡回することにした。
道中、エリーザは神父と村長が語った村の困りごとについて心配したり、サヴァツキ家が治める村々とこの村との違いをヨハン王子に話したりした。
二人が乗った馬が通ると、畑仕事をしている農民たちは次に次に顔を上げて跪いた。
その様子を見て、エリーザはふと不安を感じる。
「ヨハン様が王子だって見破られないかしら」
「大丈夫だよ。この人たちは王家の人間の顔なんて見たことないだろうからね」
「小さい頃、この辺りで遊んでいたと狩りの後に仰っていたではないですか。だから森の中も迷わず歩けたと」
「そのときは農民と顔を合わせるような場所に連れて行かれたりはしなかったからね。農村の状況を自分の目で見て知ることの重要性に気づいたのはごく最近だ」
そう言いながら、ヨハン王子はどこまでも広がる畑のさらに向こう側を眺めていた。




